今年の2月、南米でのジカ熱流行と、小頭症などのジカ熱感染による胎児の発生異常についての現状を、The New England Journal of Medicine, Science, 米国医師会雑誌のレポートを参考に短く紹介した

あれからまだ3ヶ月しか経っていないのに、ジカウイルス感染についての基礎研究は驚くべきスピードで進展している。今日は、過去3ヶ月間に私が目にしたジカウイルスに関する論文のうち、主に基礎研究について紹介し、緊急事態には、研究者、政府、科学誌の編集者が協力しあって問題を解決する、頼りになる生命科学の側面を紹介する。

1、疫学研究。

ブラジルで多発した小頭症理解にまず必要なのは、ジカウイルス感染と発達異常の因果関係を確定することだ。小頭症の発生頻度上昇が指摘され始めてすぐ、昨年9月には、ブラジルオズワルド・クルーズ財団のグループはジカウイルスへの感染が確認された妊婦についての追跡調査に着手している。この調査により、流産、超音波検査で検出できる発達異常、死産、小頭症の発症が、間違いなくジカウイルスに感染した妊婦さんで上昇することが確認された。これにより、ジカウイルスが多発する発生異常の原因である可能性がほぼ確実になった。(3月7日号The New England Journal of Medicine オンライン版)

2、ウィルスの構造解析

ジカウイルスはデングウイルスや黄熱病ウイルスと同じくフラビウイルスの仲間だ。それぞれのウイルスの感染性やホストの特異性を調べる時には、ウイルス粒子の構造解析が欠かせない。プルデュー大学のグループは低温電子顕微鏡を用いてウイルス粒子の構造解析を行い、ホストの細胞と結合する部位を特定した。(3月31日号Scienceオンライン版)

3、試験管内実験系の確立。

発達途上の脳細胞へのジカウイルスウイルス感染実験を行うためには、ヒト胎児の脳細胞が必要になるが、これまでその入手は簡単ではなかった。しかしES細胞やiPS細胞のおかげで、試験管内であればヒト脳細胞を調整することが可能になっている。フロリダ州立大学のグループはこの技術をいち早く利用し、ヒトのiPSから誘導したヒトのミニ脳組織を用いて感染実験を行った。この研究から、ジカウイルスウイルスがヒト脳細胞に感染し、一部の細胞が細胞死に陥ることが明らかになった(3月4日Cell Stem Cell オンライン版)

4、ウイルス細胞の進入経路の特定

ヒトの脳組織が用意できると、次は脳細胞にジカウイルスが感染するルートの特定が重要になる。これまでの研究でフラビウイルスの細胞へ侵入する時AXL分子(たんぱく質を構成するアミノ酸の一つであるチロシンにリン酸を付加する機能を持つ酵素の一種)を受容体として用いていることが明らかになっているが、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のグループは、ヒト胎児のラジアルグリア細胞(放射状グリア細胞:発生期の脳で。神経細胞の移動に関与すると考えられているグリア細胞)にこのAXL分子が強く発現しており、ジカウイルスの細胞内への侵入のゲートとなっている可能性を示した。同じ分子はフェレットやマウスにも発現が見られることから、これらの動物を感染実験に使える可能性も示唆している。(3月30日Cell Stem Cellオンライン版)   

5、ウイルスの胎盤通過性についての研究。

母親に感染したジカウイルスウイルスが胎児に到達するには胎盤というバリアーを超える必要がある。当然、ジカウイルスウイルスが胎盤を通過するメカニズムも重要テーマとして研究されている。

4月5日、ピッツバーグ大学のグループは、正常胎盤由来のトロフォブラスト(栄養膜)にはジカウイルスが感染できないこと、この原因がトロフォブラストにより作られる3型インターフェロンであることを示した(4月5日Cell Host & Microbeオンライン版)。このことは胎児にウイルスが到達するためには、このバリアーが障害されているか、あるいはトロフォブラストを経由しない感染経路があることを示している。

6、ジカ熱ウイルス感染の動物モデル作成

ウイルスの研究には、表駅細胞を用いた試験管ない実験系だけでなく、感染可能な動物実験モデルが必要だ。ところが、ジカウイルスウイルスは動物に感染させること自体が難しいことがわかっていた。ノースカロライナ大学のグループは、インターフェロンからのシグナルを伝える転写因子IRF3、4、7分子(インターフェロン調整因子)を全てノックアウトしたマウス、あるいはインターフェロン受容体をノックアウトしたマウスでは、ジカウイルスを感染させることができ、脳細胞の異常が誘導されることを明らかにした。(4月5日にCell Host & Microbeオンライン版)

7、ウイルス感染による神経細胞死のメカニズム。

ES/iPS細胞から調整した脳のミニ組織を形成させる方法により、ウイルスと神経細胞の相互作用についての解明も急速に進んだ。

カリフォルニア大学サンディエゴ校のグループは、神経細胞内にウイルスが侵入した時TLR3分子(Toll-like receptor 3(Toll様受容体-3))を介して細胞死を誘導することを突き止めた。実際、TLR3シグナル阻害剤をウイルスとともに培養系に加えると、ウイルスにより誘導される細胞死を阻害することができる。神経細胞死の予防のみで発生異常を治せるかは不明だが、まずは発達異常の阻止に向けた第一歩が踏み出せたと言える。(5月6日Cell Stem Cellオンライン版)

8、動物モデルによる胎児発生異常の誘導

インターフェロン受容体をノックアウトしたマウスにはジカウイルスウイルスを感染させられることが4月に発表されたが(6参照)、この発表から1ヶ月もしないうちにワシントン大学のグループは同じモデルを使って、妊娠マウスにジカウイルスを感染させ、胎児発生の異常が誘導できることを報告した。この研究により、ジカウイルス感染により胎児脳細胞の細胞死が誘導されるだけでなく、胎盤のトロフォブラスト細胞や血管内皮細胞も強く障害されることが明らかになった(5月11日号Cell掲載論文)。

一方ブラジルサンパウロ大学のグループは、遺伝子改変を行わなくとも、SJLと呼ばれる系統のマウスにはジカウイルスが感染することを見出し、妊娠SJLマウスに感染実験を行っている。この結果、感染によってマウス胎児の成長が著しく阻害され、脳では特に脳皮質の細胞がアポトーシス(プログラムされた細胞死)で失われることを明らかにした。(5月11日にNatureオンライン版)

このように動物実験から、ジカウイルスは通常血液・胎盤関門を通過できないが、防御機構が低下している個体に感染すると、胎児に移行し、脳細胞死を誘導、結果として小頭症など様々な発達異常を引き起こすことが分かった。

9、ジカ熱ウイルスとそれを媒介する蚊との関係についての研究。

この全過程を追跡するため、蛍光タンパクで標識したジカウイルスをテキサス大学ガルベストン校のグループが作成し、蛍光標識されたウイルスは、マウスだけでなく、ネッタイシマカへ体内での感染についてもモニターできること、また標識したウイルスは正常のウイルスと同様、様々な症状を引き起こすことから、感染過程の詳しい追跡が可能になったことを報告した(5月16日Cell Host & Microbeオンライン版)。

ボルバッキアと呼ばれる様々な昆虫と共生関係を確立できる共生細菌が体内に住み着くと、昆虫はウイルス感染に抵抗性を獲得することが知られており、感染予防の鍵になるのではと期待されている。ブラジルサンパウロ大学のグループはこの可能性をネッタイシマカへのジカウイルス感染について調べた。結果は予想通りで、ボルバッキアが共生しているネッタイシマカの体内では、ウイルスの増殖が強く抑えられる。さらに、ヒトに感染する際に問題になる唾液腺には全くウイルスが存在しないことが明らかになった。今後、ボルバッキアと共生したネッタイシマカの割合を増やすことで、ウイルス感染を予防できる可能性を示唆している(5月4日Cell Host & Microbeオンライン版)

この他にも安価で迅速な診断法の開発など、診断や治療についての臨床研究が並行して行われたが、きりがないのでこの稿では基礎研究だけを紹介した。

私を最も驚かせたのは3ヶ月という短い期間に数多くの論文がトップジャーナルに掲載されている点だ。それぞれの研究がいつ始められたのかはわからないが、おそらく一年は経っていないだろう。通常論文を書いて掲載にこぎつけるだけでも一年はゆうに経ってしまう。このスピード感は、ジカウイルスの基礎研究の緊急性を認識した雑誌の編集者が、通常とは異なるファストトラックとしてジカウイルス論文を処理したことを示唆している。もちろんアメリカ政府も緊急予算として十分な助成金を提供したのだろう。様々な分野で準備ができていた研究者は、早速この機会を利用し、トップジャーナルの論文を業績リストに加えることができた。今後緊急性が薄れれば、参加した研究者達も、本来の研究に戻っていくのだろう。このチームワークのおかげで、感染ルートから標的細胞、細胞死のメカニズムまで多くのことが明らかになった。

今日の日経新聞朝刊に「ジカ熱不安な夏」という特集記事が掲載されていたが、不安は着実に解消されつつある