私たちの先祖とネアンデルタール人の複雑な関係

(提供:アフロ)

先日「現代人のうつ病はネアンデルタール人の遺産」というタイトルで、ネアンデルタール人ゲノム研究の現状を紹介したばかりだが、今週また、是非紹介したいネアンデルタール人ゲノムについての論文がNatureに発表された。タイトルは「Ancient gene flow from early modern humans into eastern Neanderthals (初期現代人から東部ネアンデルタール人への遺伝子流入の痕跡)」だ。

古代人の系統関係

今日の話を理解するためには、私たちの先祖ホモサピエンス(Homo sapiens:HS)、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis:HN)、そしてもう一種の古代人デニソーワ人(Denisova hominin:HD)の系統関係を少し頭に入れておく必要がある。まず、ホモサピエンス(HS)とネアンデルタール人(HN)及びデニソーワ人(HD)は約50万年前に分離、その後40万年ごろネアンデルタール人(HN)とデニソーワ人(HD)が別れたと考えられている。これまで紹介してきたように、分離したとはいえ3種の間で遺伝子のやり取りがあったという事実は、互いに性的交渉が可能で、完全に異なる種として分離してはいなかったことを意味している。

一方、ホモサピエンス(HS)も約20~10万年前に徐々に現代のアフリカ人とユーラシア人に分離をはじめていることから、現代のユーラシア人は10万年前にアフリカを離れたグループの子孫と言える。一方、ネアンデルタール人(HN)は、ホモサピエンス(HS)より先にユーラシア全体に広がった。ヨーロッパでもクロアチアやスペインに分布した西部ネアンデルタール人(HN)と、シベリアアルタイ地域に分布した東部ネアンデルタール人(HN)は遺伝的に異なっている(私たちの民族の違いと同じように考えればいい)。

3者のゲノムを比べた研究から、1)西部ネアンデルタール人(HN)から現代ユーラシア人の祖先、2)デニソール人(HD)からポリネシアやチベット族の祖先、そして3)ネアンデルタール人(HN)からデニソーワ人(HD)、という方向性で遺伝子導入が認められているが、不思議なことに、この逆の流れは検出できていなかった。

我々の祖先(HS)からネアンデルタール人への遺伝子流入

今日、紹介する「Nature」論文は、私たちホモサピエンス(HS)からネアンデルタール人(HN)に流入した遺伝子の痕跡もあるはずだと探し続けたドイツ・ライプチッヒにある「マックスプランク人類進化研究所」で行われた研究だ。

クロアチアで発見されたネアンデルタール人(HN)の全ゲノム解析に成功し、ネアンデルタール人(HN)の遺伝子が私たち現代人に流入しているという世紀の発見を成し遂げたのは、言うまでもなくこの研究所だ。

この研究では、ホモサピエンス(HS)への遺伝子流入の痕跡がないアルタイ地方で発見されたネアンデルタール人(HN)のゲノムに注目し、このゲノムに現代人の遺伝子流入がないか調べている。このとき、ユーラシアに分布したホモサピエンス(HS)のように、すでにネアンデルタール人(HN)遺伝子がゲノム中に散らばっている民族を比較すると複雑になるので、ネアンデルタール人(HN)遺伝子が流れ込んでいないアフリカ人のゲノムと比較することで、私たちの先祖からネアンデルタール人(HN)への遺伝子流入の痕跡がないか探索している。

研究手法

研究はそれぞれのゲノム情報を比べる数理的な研究で、アフリカ人が共通に持っている遺伝子が、アルタイ地方のネアンデルタール人(HN)のゲノム中に存在していないか調べることから始めている。この探索により、同じ地域に住んでいたデニソーワ人(HD)には存在せず、アルタイのHNには存在するアフリカ人特有の遺伝子、すなわちホモサピエンス(HS)からアルタイのネアンデルタール人(HN)へと流れた遺伝子を特定することができる。(同じ比較から、最も古いホモサピエンス(HS)からデニソーワ人(HD)へ遺伝子が流入した証拠も見つけているが、話が複雑になるので、ここでは無視して話を進める。)。

このように、この研究は極論すると、全ゲノムという情報を処理する数理研究ということができる。従って、この研究が妥当かどうかは、使われた数理手法が妥当かどうかにかかっているが、残念ながら私にはこれを判断する数学的知識がないので、信じるしかないことを前もって断ったうえで話を進める。

現代人の祖先からネアンデルタールへの遺伝子流入。

この論文の結論は次のようにまとめることができる。

1)まず、東部ネアンデルタール人(HN)には、確かにホモサピエンス(HS)から遺伝子が流入している(1~7%)。この流入は、西部ネアンデルタール人(HN)やデニソーワ人(HD)には認められない。

2)西部ネアンデルタール人(HN)からユーラシアホモサピエンス(HS)にゲノムが流入(3.3~5.8%)したのは5万年前の話だが、東部ネアンデルタール人(HN)へのホモサピエンス(HS)ゲノムの流入は10万年から20万年前の間に起こっている。

3)この遺伝子流入は後にユーラシアホモサピエンス(HS)を形成する現代人の一部の集団がアフリカを離れるより前、今の北アフリカや、イスラエルで起こったと考えられる。

4)流入した遺伝子には、肝臓の発生に関わる遺伝子など200近くの遺伝子が含まれているが、面白いのは言語の発生や進化に関係すると考えられてきた「FoxP2」遺伝子も含まれている、

5)人口が20,000人に達したと考えられる西部ネアンデルタール人(HN)とは違って、アルタイのネアンデルタール人(HN)は1,000人以下の小さな集団で他の古代人から孤立して暮らしていたと思われる。これが、現代人(ホモサピエンス(HS))ゲノムの流入の痕跡がより鮮明に残している一因と考えられる。

一方向の遺伝子流入の背景

遺伝子流入と表現するとこれと言って生々しい印象はないが、例えばネアンデルタール人(HN)の遺伝子がホモサピエンス(HS)に流入してきた状況を想像すると、平和な関係とは程遠い光景が想像される。すなわち、ネアンデルタール人(HN)の男性がホモサピエンス(HS)の女性と暴力的に性交し、またホモサピエンス(HS)の男性がネアンデルタール人(HN)の女性と暴力的に性交した結果が、遺伝子流入の痕跡として残っていると考えられる。

もちろんホモサピエンス(HS)の集団にネアンデルタール人(HN)女性が受け入れられ一緒に生活して子孫を残したと考えることも可能だ。しかしネアンデルタール人(HN)とホモサピエンス(HS)が共同生活をしていたことを示す証拠は残っていない。従って、遺伝子流入は専ら男性から女性への暴力的な性交で起こったと考える方が自然に思える。もしそうなら、10万年以上前にはホモサピエンス(HS)からネアンデルタール人(HN)への遺伝子流入、5万年前のヨーロッパではネアンデルタール人(HN)からホモサピエンス(HS)への遺伝子流入しか起こっていないというこれまでの結果は興味深い。すなわち、10万年前にはホモサピエンス(HS)の男性がネアンデルタール人(HN)の女性を襲い、5万年前にはネアンデルタール人(HN)の男性がホモサピエンス(HS)の女性を襲っていても、逆はなかったことになる。だとすると、グループ間のどのような力関係がこのような結果を生むのだろうか。今度は文化人類学の出番だろう。もちろん、ゲノム解析が行われたネアンデルタール人(HN)個体が増えれば、関係は双方向性だったことがわかるのかもしれない。

しかし、間違いなくゲノム研究は歴史学や考古学を大きく変革させつつある。