ネアンデルタール人の全ゲノムが解読されている。

Yahooニュース・個人を引き受けた時、一度はぜひ紹介したいと思っていたのがネアンデルタール人の全ゲノム解析の話だ。

この文章を目にしているほぼすべての読者の皆さんは、自分の全ゲノムはおろか、ミトコンドリアゲノムも調べたことはないと思う。しかし、驚くべきことに、2008年にはネアンデルタール人のミトコンドリアゲノムが、2010年には全ゲノムが解読されている。正確には把握していないが、これまで全ゲノムが解読されたネアンデルタール人の数は10個体に迫るのではないだろうか(もっと多いかもしれない)。さらに、私たちとも、ネアンデルタールとも異なるデニソーワ人の全ゲノム解析も既に終わっている。

何万年も前に生きた我々の仲間の全ゲノムが解読されるという驚くべき成果には、ドイツマックスプランク研究所のスベンテ・ペーボさんの貢献が大きく関わっている。この偉業を成し遂げるまでの苦労話は「ネアンデルタール人は私たちと交配した」に書かれているのでぜひ一読してほしい。日本語のタイトルはセンスが良くないが、原題は「Nenaderthal man」だ。

ネアンデルタール人ゲノムを見た驚き

ネアンデルタール人、デニソーワ人のゲノム配列から飛び出した最も大きな発見は、ネアンデルタール人が私たちの先祖と性的交渉を行い、子孫を私たちの先祖の中に残していたことだ。もちろんネアンデルタール人との交雑は日常的に行われたわけではない。様々な出会いがあったと想像できるが、ほんの短い交渉だったはずだ。このため、私たちの祖先に流入したネアンデルタール人のゲノムの量は少なく、その後、子孫が現代人同士で交雑を繰り返すうちに、現代人のゲノムの中に分散して埋もれていく。ただ一旦流入した遺伝子は、簡単に消えるものではなく、世界中に分散して分布する子孫のゲノムを調べればどこかに存在していることが見つかる。例えば、私も、読者のあなたもネアンデルタール人由来のゲノム部分を1-2%ほど持っているが、各個人で受け継いでいる領域は違ており、また、個人のゲノム中に短い断片として散在している。

ネアンデルタール人の遺伝子を持たない現代人

ネアンデルタール人遺伝子を持たない現代人もいる。例えばサハラ以南のアフリカ人は過去にネアンデルタール人と出会っておらず、当然、性的交渉もなく遺伝子流入は見られなかった。このためアフリカ人からネアンデルタール人遺伝子ほとんど見つからない。一方、これまで調べられたヨーロッパ人やアジア人には必ずネアンデルタール人遺伝子の断片が見つかっている。このことは、アジア・ヨーロッパ人が、ネアンデルタール遺伝子の流入した比較的少数の先祖に由来していることを物語っている。 

研究方法

ネアンデルタール人由来のゲノム断片が私たちのゲノムの何処にどれだけ存在するのか調べるための様々なソフトウェアが現在、開発されている。数多くの現代人ゲノムをこのソフトを使って解析すると、私たちのゲノムから一見消失して影も形も無くなったように見えるネアンデルタール人のゲノム断片を特定することができる。これらは生きる環境において生存にとって不利になる遺伝子として淘汰されたと考えられる。逆に他のネアンデルタール人特異的断片と比べると、高い頻度で見つかるゲノム断片もある。これは、そのゲノムの存在が生存に有利に働いた結果と言える。

あまり高度が高くない場所で生活している人には既に存在しないゲノム断片が、生存有利に働いた例として私を最も驚かせたのは、2014年「Nature」に掲載された「チベット人の高地適応に関わる遺伝子がアルタイで発見されたデニソーバ人のゲノムに由来する」ことを示す論文だった。もちろん高地適応能力に関わるなら、生存有利に働いていい。同じ様に、現代人に高い頻度で見つかるネアンデルタール人のゲノム断片についても研究が進んでおり、皮膚や毛に関わるケラチン遺伝子が存在する領域には、高い頻度で特定のネアンデルタール人由来のゲノム断片が集中して存在していることがわかっている。

ネアンデルタールの遺産(バンダービルド大学より「Science」に発表された論文紹介)

ネアンデルタール人が私たちに残した遺産をさらによく理解できる論文がバンダービルド大学のグループから今週の「Science」に発表された(Simonti et al, Science,351:737,2016)。この論文に基づいてこの研究分野をもう少し掘り下げてみよう。論文のタイトルは「The phenotypic legacy of admixture between modern humans and Neandertals(現代人の祖先とネアンデルタールの交雑が残した形質)」だ。

ネアンデルタール人といってもゲノムの大部分は私たちと同じだ。現代人とネアンデルタール人のゲノムを詳細に比べた研究から、この配列があれば確実にネアンデルタール人由来と言える部分がリストされつつある。

この研究では、このリストをさらにふるいにかけ、現代人のゲノムが突然変異を起こしたのではなく、間違いなくネアンデルタール人由来と考えられる135,000箇所を選んで研究を進めている。この部分を今後ネアンデルタール人特異的SNP(一塩基多型:nSNP)と呼ぶが、詳しいことは気にしないでnSNPをネアンデルタール人由来であることが証明されたゲノム断片のことを指す単語として読み進めてほしい。

さて現代人ゲノムの中に散らばったnSNPを、次にゲノムデータと臨床データがリンクできている患者さんのデータベースに蓄積されている疾患特異的SNP(dSNP)と比較している。この比較でdSNPがnSNPと一致する場合、ネアンデルタール人から受け継いだnSNPが、現代人の病気になりやすい体質をもたらしていることになる。

現代人の疾患に関連するdSNPの中からnSNPを探す研究は従来から行われており、私も興味津々でウォッチしてきた。ただ今日紹介している研究は、アメリカ医療機関で蓄積されている疾患の臨床データとゲノムデータがリンクされているデータベースを使って、より病気の診断に完璧を期していることが新しい点だ。説明するのは簡単だが、すでに2万人規模のこの様なデータベースが構築されているアメリカのゲノム研究の先進性には驚く。これと比べると、我が国の現状は十年以上遅れており、本当に寂しい限りだ。

この論文の著者たちは、自分でゲノム解析をしたわけではない。様々なアルゴリズムを駆使して現存のデータベースを探索し、現代人の病気に関わるnSNPを探して、様々な病気や生活習慣にネアンデルタール人ゲノムの影響を特定しようとしている。

おそらく読者の皆さんもそれぞれについての詳細な説明は期待していないだろうから、この研究が示した特に興味深い3つの病気についてだけ紹介する。

ネアンデルタール人由来のゲノム断片によりもたらされた遺産としてもっともはっきりしたのが、

1)光によって誘発される光線角化症、

2)持続性うつ病、

3)感情障害

だった。

すでに述べたが、現代人のゲノムに高い頻度で維持されるためには、そのSNPは生存優位性を与える必要がある。とすると、この3種類の現代人の病気に関わるnSNPも、私たちの祖先(この研究ではヨーロッパ人に限っている)に生存優位性をもたらしていたと考えざるをえない。すなわち現代人には問題でも、人類進化の長い過程では同じ形質が生存に優位に働いていたと考えられる。

この研究では、3つの病気とも光と関わっている点に着目している。強い光に当たると角化することは、皮膚を強くすることから、生存優位性につながることは納得できる。じゃあうつ病や、感情障害はどう考えればいいのか?うつ病の発症が日照時間と強く相関しているという報告はある。確かに寒い暗い冬に気分が滅入るのは直感できる。しかし、もしこのnSNPが冬にうつ状態を誘導するとして、どうして生存優位性につながるのだろう?

著者らはこれ以上の議論はしていない。そこで少し勝手な想像をめぐらせてみた。現代人もネアンデルタール人も長い冬はじっと耐えるしかない。しかし、春が来て日が燦々と輝きだすと心は浮かれ、お日様の下で活動を始めたくなる。しかし浮かれた時が、一番注意力散漫となり危険な時期でもあるのだ、もし今回うつ病と相関がみられたnSNPの働きが浮かれた気分をおさえるなら、慎重な行動を促すことが外で待ち受ける猛獣などの脅威から身を守るために必要だったのかもしれない。あるいは逆に、冬が来た時、気分をより滅入らせることで、じっと洞穴で過ごす方が安全だったのかもしれない。

これは証拠のない憶測だ。この疑問に答えるためには、もっと日照時間の長い南アジア人でこのnSNPの頻度を調べることが重要だと思う。いずれにせよ、ネアンデルタール人のゲノム解析が現代人の進化研究理解に大きな貢献をしていることは理解していただけたと思う。

皆さんのゲノムの中にしぶとく生き残っているネアンデルタール人の遺伝子が、皆さんの性質にどの様な遺産を残しているのか知りたくないだろうか?

そろそろ個人ゲノム解読コストは10万円を切ろうとしている。