世界保健機関(WHO:World Health Organization)がようやく重い腰をあげてジカ熱についての緊急事態宣言を発令した。昨年5月ブラジルで感染者が報告されてからすでに中南米20カ国以上で流行が見られ、おそらくアメリカ合衆国にも広がっているのではないかと懸念されている。WHOの緊急事態宣言を受けて、我が国のメディアも一斉にジカ熱について報道している。今年初めから医師・医学研究者を対象とした国際学術誌では、一般メディアに先立ちジカ熱についての総説が掲載されるようになっている。今日は、これら雑誌の最新の総説を参考にして、ジカ熱についてまとめておく。今回読んだ総説は、アメリカ合衆国国立衛生研究所(National Institutes of Health(NIH))国立アレルギー・感染症研究所(National Institute of Allergy and Infectious Diseases(NIAID))のAnthony S. Fauci(M.D.)博士が1月27日号の「The New England Journal of Medicine」に発表した「Zika virus in the Americas- Yet another arbovirus threat(アメリカのジカウイルス 新たなアルボウイルスの危機)」、「Science」のスタッフライターGretchen Vogel氏が1月7日号「Science」に発表した「A race to explain Brazil’s spike in birth defects(ブラジルで急上昇した先天異常を解明するための競争)」、そしてジョージタウン大学(Georgetown University:アメリカ合衆国ワシントンD.C.近郊、ジョージタウンにある名門私立大学)のDaniel R. Luceyがアメリカ1月27日号「医師会雑誌(The Journal of the American Medical Association(JAMA))」に発表した「The emerging Zika Pandemic. Enhancing preparednesss(ジカ熱の世界流行が始まった。準備を急げ)」の3編だ。

ジカ熱ウイルス

ジカ熱ウイルスは、「黄熱病」、「デング病」、「西ナイル脳炎ウイルス」そして「日本脳炎」と同じフラビウイルス(黄熱病の黄色=flaviから名付けられ、1本鎖RNAウイルス)の仲間で、1947年にウガンダのアカゲザルから分離された。ジカ熱ウイルスをはじめこれらのウイルスは、昆虫(特に蚊)により媒介されることから、Anthropod-borne(節足動物により媒介される)という意味のアルボウイルスと総称されている。ヒトへの流行の報告はこれまで数えるほどしかなく、通常はヤブ蚊の仲間であるネッタイシマカと野生の猿の間を行き来して維持されてきたと考えられている。従って、今回のような大規模なヒトでの流行が起こるということは大変な異変が起こり始めていることを意味している。アルボウイルスは、数千年前ヒトが飲み水に使う貯水槽でネッタイシマカが繁殖するようになることでヒトへ感染するようになったと考えられている。その後、馬や豚のような家畜への感染性を獲得することで、他の種類の蚊によっても媒介されるようになり、例えば日本脳炎では豚とコガタアカイエカを行き来して保持されたウイルスがヒトに感染して流行した。ジカ熱は現在ネッタイシマカ(Aedes Africanus種)が媒介しているが、北米にも生息するヒトスジシマカ(Aedes albopictus種)が媒介するようになれば流行が拡大すると懸念されている。

病態

ほとんどは感染しても、顕在化することがないと言われている。症状が出る場合はデング熱と同じで、「発熱」、「筋肉痛」、「眼痛」、「虚脱感」そして「丘疹」が現れる。フランス領ポリネシアで流行が見られた時の経験では、症状は軽度で、安静にするだけで回復する。ただ、ポリネシアの流行ではギランバレー症候群と呼ばれる運動神経や中枢神経の炎症による麻痺が73人に見られた。

診断法

現在のところ、デング熱などと確実に鑑別診断するにはPCR(polymerase chain reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)を用いた遺伝子診断をするしかない。血清中の抗体も診断に用いられるが、デング熱ウイルスにも同様に反応(交差反応)してしまうため、確実ではない。

小頭症との関係

ギランバレー症候群の発症を除くと、症状は軽い感染症であることから、WHOも取り組みが遅れたと考えられる。しかし、ジカ熱ウイルスに感染したと思われる母親から生まれた子供の中に小頭症が多発することが報告されるようになり、事態は急変する。ジカ熱の報告から現在までブラジルでは4,000例以上の小頭症児が報告されたが、これは流行前の20倍に相当する。

1)ポリネシアの流行でも、神経障害を伴った12例の子供の誕生が報告されていること、

2)今回、ブラジルでは超音波で小頭症と診断された胎児の羊水中、あるいは生後すぐ死亡した新生児の脳にジカ熱ウイルスが検出されたという報告があること

から、ジカ熱ウイルス感染が小頭症の原因と考える状況証拠が揃ってきている。とはいえ、ジカ熱ウイルスの感染を特定するための確定診断法が普及していないため、疫学的調査は完全でなく、ジカ熱ウイルスを小頭症の原因として確定するまでには至っていない。

この相関を明らかにするための決め手は、ウイルス感染の確実な診断に基づく疫学調査と、ジカ熱ウイルスが脳発生過程に影響を及ぼすことを直接示す実験研究だ。疫学調査には、PCRを用いた診断法や、特異抗体による一般検査の開発が急務になる。

実験的研究では、マウスの脳に感染することまでは確認できているが、満足できるモデルはまだ完成していない。個人的意見だが、直接マウスなどの実験動物胎児の脳にウイルスを注射する研究も必要かもしれない。

動物実験の代わりに現在進んでいるのが、マウス等のiPS細胞、ES細胞や神経幹細胞から脳組織を分化誘導させ、そこにウイルスを感染させ、脳の構造形成への影響を調べる研究だ。もしこれが可能になれば、ジカ熱は幹細胞が貢献する最初の感染症になるかもしれないが、おそらく時間がかかると思う。

当面の対策

これまでWHOは感染対策を各国政府の衛生当局に委ねていたが、診断法の開発普及などは先進国の援助なしに進められない。その意味で今回WHOが緊急宣言を出して、流行の拡大防止と収拾に乗り出したことは大きい。ただ、今日の日本経済新聞では「WHOが先手を打った」と書いているが、今日紹介している総説では、逆に深刻さの理解が足りず腰が重すぎると批判されている。

当面取り得る対策として、

1)現在の流行を支えるネッタイシマカを撲滅すること(産卵できる水たまりを無くす)

2)蚊帳を始め蚊に刺されない予防を徹底すること、

3)正確な情報を提供すること、

4)感染地域への旅行の自粛を促すこと、

などだが、今年ブラジルのリオデジャネイロでオリンピックが行われることを考えなければならない。もし感染が終焉せずに最悪の状況となった場合にはオリンピック中止に追い込まれる可能性もある

我が国での流行の可能性

ここからは私の判断だが、ネッタイシマカと野生の猿の間でジカ熱ウイルスが維持されている限り、我が国での流行の心配は少ない。ただ、昨年、デングウイルスを持つヒトスジシマカの生息が東京で確認されたことを考えると、温暖化の影響で、ネッタイシマカも我が国で生息する可能性はある。この場合、蚊と人間の間でウイルスが維持される一過性の流行はあるかもしれない。我が国で最も重要な対策は、これらの感染症に対する医師の教育、一般への正確な情報提供、確定診断に基づいて感染をモニターしていくことだが、何よりもまして、現在の中南米の流行を収束させるための人的、技術的、資金的な協力と援助ではないかと思う。

以上、知識の提供です。