Wakefield事件と小保方氏事件の比較が続く。今回は、両事件に関わったジャーナリズムについて考えてみたい。

捏造発覚の主役

Wakefield 論文の捏造発覚過程と、小保方論文捏造発覚過程の違いは際立っている。これは論文撤回までに要した期間が、Wakefield事件の12年に対して、小保方論文は6ヶ月であることからもわかる。第7話で紹介したように、で紹介したように、論文撤回までの平均期間は、意図的捏造による撤回の場合だと平均46ヶ月だ。これと比べると、小保方氏論文は非常に短い。これは、捏造の方法(特に画像処理)を熟知する研究者集団による画像データ不正鑑識能力が高いレベルにあったこと、また小保方氏論文の捏造があまりに稚拙であったことが要因あると思う。特にはっきりしているのは、捏造発覚にマスメディアの出る幕がなかったことだ。

一方、Wakefield論文捏造の発覚は、この論文が書かれるまでの経緯を独自に調査し、その研究不正を白日のもとにさらし、論文を撤回させた一人のジャーナリスト、Brian Deer氏なしには不可能だった。これから両事件の論文発表後の経過をたどりながら、この事件に関わったメディアと公的調査機関の能力について比較して見ていく。

データ不正監視集団

小保方氏事件で脚光を浴びた、データ不正を鑑識する匿名集団の威力には感嘆する。研究不正の手口を熟知しており、小保方氏論文だけでなく、その後多くの論文がこの社会的センサーに引っかかった。この時、指摘を受けた論文についての調査結果がどうなったのか何も聞こえてこないが、マスメディアはあまり関心がないようなので、大きな問題には発展しないだろう。我が国では、まだまだ大手メディア報道の影響力は絶大だからだ。ともあれ、小保方氏論文の不正を見抜いたということで、匿名ではあってもこのデータ不正鑑識機構は、今後も重要なデータ等の捏造抑止力として機能するだろう。

私が小保方氏論文不正について耳にしたのは、たまたま滞在していたミュンヘン(Muenchen:ドイツ連邦バイエルン州最大の都市であり州都)だった。毎日新聞の須田桃子さんや、京都大学理学部の阿形清和さんから電話があり、小保方氏の論文にデータ不正があるという指摘がWebであったことを知った。このことからも、発覚の主役が匿名の研究データ不正鑑識機構だったことがわかる。

その後、小保方さんは、「将来のノーベル賞候補」から、「世紀の研究データ捏造事件の主犯」とメディアの扱いは変わるが、そのまま報道の渦中の人に留まる。

データ不正調査についての理科学研究所の対応は迅速に行われ、3月14日には理化学研究所に設置された「研究論文の疑義に関する調査委員会(以下、「石井委員会」という。)」(委員長:石井俊輔(理研上席研究員))の中間報告会見が行われ、同月31日に最終報告書が出ている。中間報告では、データに加えられた不正な加工、他論文からの写真の再利用、実験内容とデータの不一致など、詳しく分析結果を述べ、研究不正行為があったと断定した。私の目から見ても不正は明らかだった。メディアは、「STAP細胞はあるのかとか。」、「悪意(故意性)はあったのか。」などの問題に終始していたが、存在の前提となる研究データの不正行為が明確である以上、STAP細胞が存在するかどうかを議論するのは意味がなくなる。

笹井さんの入院

一つでも不正データを研究で使えば、全ては科学ではなく作り話になる(これについては後々議論する。)。あとはルールに沿った関係者の処分と、論文の撤回で事は終わるはずだった。しかし、当事者、理科学研究所、そしてメディアもこのことがよく理解していなかったようだ。小保方さんと笹井さんはマスメディアを避けるため雲隠れしてしまったために騒ぎは大きくなる。

後で知ったが、笹井さんは張り込みの記者から逃れるため、理化学研究所多細胞システム形成研究センター(CDB)内から一歩も出ることができず、精神的にも、肉体的にも限界にあったようだ。彼も医師だ。このままでは取り返しがつかない事になると考え、私の自宅に電話をしてきた。私はちょうどNPOオフィスで会議中だったためと、また雲隠れした笹井さんに少し腹を立てていたので、笹井さんに電話するようにと勧める妻の伝言を無視した。ただ、笹井さんから事情を電話で聞いた妻は、彼の状態がただ事でないと判断し、入院させる手配を一人で進めてくれていた。今考えると、困っている一人の友人を前に、私の態度は大人気なく、医師として友人として、その前に一人の人間として情けない限りであったと猛省している。そんな私に比べて、事の重大性を感じ取り適切に笹井さんのおかれた状態に対処してくれた妻には、感謝しても感謝しきれるものではない。

笹井さんの説得

当時、私は、CDBから離れていたが、折に触れて若い研究者から所長までの様々な方からの相談に乗っていた。石井委員会報告の結論から考えて、この騒ぎを収めるには、笹井さんが自主的に辞意を申し出る他ないと考えた。もちろん、病室に行って「辞めろ!」と怒鳴っても私の自己満足にしかならず意味がない。彼自身が辞任することを正しい選択だと納得することが必要だ。会う前に彼の御兄さんと話しあって、彼が辞職しても御家族は、困らないことを確認した上で、彼の病室を訪れた。そして、「悪意(恣意性)の有無にかかわらず、論文に不正データが使われたことは間違いない。ここで「私は論文の責任著者として、辞職する。」と辞職するのが一番正しい選択で、残される研究室の人たちも必ずなんとかする。」と説得した。彼は、行われた不正は悪意(恣意性)のない不備でしかないという主張を繰り返し、理科学研究所理事会から勝手に辞職するのは、まかりならぬと命令されていることを理由に、私の提案は拒否されてしまった。(実際には理研本部との意向にかかわらず、相沢慎一元副センター長、齋藤成和・神戸研究所所長も説得に力を尽くしてくれた)

この結果、私もこの問題に自分で積極的に関わる意欲を喪失してしまった。その後の結果は、誰もが知る通りだが、この時、もっと粘り強く笹井さんを説得すべきだったと今も悔やみ反省している。

この間、各メディアは熾烈な報道合戦を繰り広げていたが、結局、理科学研究所や関係者の一挙一動に右往左往させられ。事実追求と記者会見を理化学研究所に要求するだけで、自ら事実の解明に乗り出すことはなかった。

英国メディアによるWakefield論文の報道

自閉症概念の成立史を描いたSteve Silberman著の「Neurotribes」にもWakefield事件が取り上げられ、プレス発表直後の新聞の見出しが引用されている。

「科学者の警告により麻疹ワクチンへの恐怖を呼びさます。」(London Evening Standard)、

「医師が新しいワクチンの危険を警告した。」(Independent)、

「知られざる腸疾患が赤ちゃんの悲劇を生んだ。」(Guardian)、

「麻疹ワクチンが私の子供を自閉症にした。」(Daily Record)、

といった見出しを見ると、英国のプレスも我が国と同じで、Wakefield氏の発表をそのまま、時には、より誇大に報道したのがわかる。これを見ると、Wakefield論文によるワクチン接種率の低下と麻疹の流行に、メディアも責任があることは、間違いないだろう。

捏造の発覚

前回紹介したように、この騒ぎに驚いた医学研究委員会(Medical Research Council(MRC):非政府組織で、Royal Charterによって設立された公的機関で、7つあるResearch Councilの一つ)は専門家を集め、論文を精査した。そして、最初から、特定の結論に合わせて患者さんが意図的に選択されたのではないかと疑問を提出している。更に2000年以降、相次いで新3種混合(MMR)ワクチンと自閉症に関連は認められないという論文が発表される。しかし、マスメディアがこのようなMRCの声を大きく取り上げることはなかったようだ。科学界からの批判にもかかわらず、2000年に放送されたCBSテレビにWakefield氏が登場し、全米ネットで「流行性自閉症」の存在を主張している。また、英国最大手の風刺雑誌「Private Eye」は2002年Wakefield氏の主張を擁護する特集を32ページにわたって掲載している。

この経緯をみると、ほとんどのメディアにとって重要なのは、科学的事実より事件性であることがわかる。確かに、集めた症例の観察記録を中心に書かれた「The Lancet」のWakefield論文は、再現性がなく医学研究としての様々な問題を孕んでいることを科学的に指摘できても、不正が行われたという証拠を掴むことは難しかったのだと思う。これまで書いてきたように科学性や再現性を指標として不正を暴くことはできない。不正の暴露には専門的な優れた資質が必要になる。実際この困難を克服し、綿密な取材を通して科学的には水掛け論となっていたWakefield論文の不正を暴く一人のジャーナリストBrian Deer氏が登場する。

Deer記者によるWakefieldによる論文不正の暴露

2004年2月、「Sunday Times」に掲載されたBrian Deerさんが書いた記事には、

・論文に記載されている患者の多くが、たまたま病院の外来を訪れたのではなく、ワクチン反対運動に関わる組織を通して集められたこと(すなわち意図的に集められていること)、

・Wakefield氏は論文発表の2年前、反ワクチン運動を推進する団体に雇われており、そこから研究費を受け取っていたこと(後に研究費が約45万ポンドに登ることが明らかにされる)、

・このような個人的利害関係を論文では完全に隠蔽していたこと、

が明らかにされ、論文には重大な問題が隠れていたことが白日に晒される。

同じ記事では、新たな事実を突きつけられた論文の共著者や、「The Lancet」の編集者が論文撤回に向けて動き始めたこと、一方、Wakefield氏や彼を支援した団体のBarr弁護士のWakefield氏と団体を擁護するコメントも載せられている。自分で取材した内容を材料に、関係者にインタビューにより真相に迫るという、ジャーナリストの手本を見ることができる。

その後、

・彼自身が新しい麻疹単独ワクチン作製法に関する特許を、「The Lancet」論文の1年以上前に取得しており、論文はこの特許と直接の利害関係があること、

・腸管の病理所見も捏造されていたこと、

などの新たな不正が次々と明らかになり、ついに「The Lancet」も2010年論文撤回に踏み切ることとなる。これにはもちろん英国医事委員会(General Medical Council(GMC):英国行政機関の一つ)の行った調査が最後の決め手になるが、これについては次回、小保方氏事件の調査委員会と比べながら検証する。

我が国のジャーナリストの悪い癖

繰り返すが、Wakefield事件の全貌は、メディア全体の報道の潮流の中にあっても自分を見失わず、真相を独自の取材を通して突き詰める優秀なジャーナリストの存在なくしてありえなかった。Brian Deerさんは自らのWebサイトに、これまでの記事やブログを公開している。新聞記事に紙面の制限があるなら、書き足らなかったことをWebで言葉を尽くして書くことは重要なことだ。残念なことに、日本の大手新聞社のWebサイトは、新聞と同じ記事の転載で終わっている。

最近ジャーナリストの中には、Webでも新聞とは別の記事を書き始めた人たちがいる。これは素晴らしいことだ。しかし、せっかく自由に書けるWebサイトなのに、新聞記事と同じように、どうとでも解釈できる短い文章を書く癖が抜け切れていないようだ。この悪い癖について少し分析して、今回の話を終える。

私の捏造の構造分析11と前後して、同じYahooニュース個人に、朝日新聞の高橋真理子さんが、私自身が経験したことについて書いているので、これを例として取り上げる(決して高橋 真理子さんをやり玉に挙げるつもりは全くなく、読者の皆さんには、一般的な話として受け取ってもらうことを切に願う。)。

彼女が、私に関して書いた部分をここに転載すると、

彼女が、私に関して書いた部分をここに転載すると、

「ハーバード大学のバカンティ教授が思いついたアイデアを大学院生の小保方晴子氏が実験した。一流雑誌に成果を発表したいと教授は理研の西川伸一CDB副センター長(当時)に相談する。それがきっかけとなり、小保方氏は理研に就職。」(※ハーバード大学(Harvard University):アメリカ合衆国の1636年に設置された研究型私立大学)だ(Yahooニュース個人「小保方事件は繰り返される 予言していたような1989年の研究内幕小説」高橋真理子 朝日新聞編集委員、WEBRONZA筆者(2015年12月18日12時6分配信)の記事より引用

記事には根も葉もないことは書かないことは重要だ。おそらくこの記事は、私がHPに書いた小保方論文に関する文章「最初にこの話を聞いたのは仕事でイスラエルに滞在していた約1年半前の事で、メールでの依頼に応じて論文のレフェリーコメントにどう答えればいいのかなどボストンのバカンティさんと電話で話をした。その後帰国してから、若山研に寄宿して実験をしていた小保方さんと出会って論文についてアドバイスをした」(※バカンティ:チャールズ・バカンティ( Charles Alfred Vacanti):アメリカ合衆国出身のハーバード・メディカル・スクール教授(麻酔科医(医師))。研究分野:麻酔学、組織工学、細胞生物学)を下敷きにしたのではないだろうか?あるいは伝聞かもしれない。いずれにせよWebで事実関係を述べる場合は、出処をはっきりさせることが重要だ。

私は、「レフリーへの答え方をアドバイスした。」と書いている。この文章は、最初の小保方氏論文がすでに投稿され、レフリー(論文査読者)コメント付きで返事が返ってきた時に私に相談したと、時間経緯が明示されている。一方、高橋さんの短い表現だけでは、いつどこで何のために私に論文についてレフリー(論文査読者)が相談したのかが記載されていない。これは、事実つと異なる報道してしまう間違を犯さないよう、どうとでも解釈できる文章(官僚がつくる玉虫色の文書のようなものに近い。一部では「霞ヶ関文学」と言われることもあるようだ。)を書いてしまうジャーナリストの悪い習慣だと私には思える。

問題は、このどうとでも取れる文章を、「それがきっかけとなり理研に就職」という事実で受けると、前の文章の解釈可能性が限られてしまうことだ。これは、調査手法と対象が明確でない理化学研究所に設置された「研究不正再発防止のための改革委員会(委員長:岸輝雄)」(以下、石井さんが委員長を行った同委員会と区別するため「岸委員会」という。)の結論、すなわち「CDBの人事がずさん」という、まさに杜撰な結論を想像させる。このまま読んでしまうと、コネでいい加減な人事が行われたと思う読者は多いのではないだろうか。「解釈するのは読者の自由」、「勝手に解釈する読者が悪い」と言えるのかもしれない。しかし、私がアドバイスしただけで研究員が採用されるほどCDBの人事はいい加減ではない。(小保方さんが採用される経緯については、公的委員会について比べる時に述べるつもりだ。)。

岸委員会の結論に違和感を覚えるジャーナリストが一人でもいるなら、独自の取材でその違和感の源をたどれるはずだ。そうすれば取材をすすめることにより小保方氏事件だけでなく、我が国の研究開発の社会的システムの抱える様々な問題が見えてくるはずだ。そんなジャーナリストの出現を私は心待ちにしている。