捏造の構造分析10:ウェークフィールド事件(小保方事件との比較で)1

英国での麻疹流行と学生へのワクチン接種(写真:ロイター/アフロ)

世界3大捏造?

小保方氏論文捏造事件(以下、「小保方氏事件」という。)を、世界の3大捏造事件と呼んでいたジャーナリストがいたが、彼(女)らはどんな基準で3大捏造を選んでいたのだろうか?

おそらくジャーナリストたちも自ら火に油を注いだ今回の小保方氏事件狂騒曲が最初に頭にあって、あとは自分が知っている事件を適当に組み合わせただけのトップ3だろうと想像する。このジャーナリズムの有様を見ると思い出すのが、韓国東亜日報の医学担当記者だった李成柱さんの著書「国家を騙した科学者」だ。いうまでもなく、韓国を揺るがせた黄禹錫(ファン・ウソク:韓国の生物学者)さんのヒトクローンES捏造事件についての分析だが、黄さん自身のスキャンダルだけでなく、捏造の背景にある政府、そして、捏造に関与するメディアの役割についても鋭く切り込んだ内容で、李さんのジャーナリストとしての高い資質を伺わせる。残念ながら小保方氏事件では、李さんレベルの見識を持ち、この事件でメディアがどのような役割を担っていたのかに切り込むことができた科学ジャーナリストは、少なくとも大手メディアには皆無だった様に思う。この点についての検証も、捏造の構造分析を書く中で進めるのが、結局、私の役目ではないかと思っている。

捏造や不正に優劣をつけること自体に意味はないが、捏造を評価するとき私が一番気にするのは、組織等の上下関係により研究員に強いられるが研究者コミュニティ内に被害が限局する捏造と、関係のない市民に直接被害を及ぼす捏造だ。例えば第6話で紹介したオセルタミビル(oseltamivir:インフルエンザ治療薬。オセルタミビルリン酸塩として、スイスのロシュ社により商品名「タミフル」(tamiflu)で販売されている。)論文の不正により、我が国だけでも700億円近い税金が使われた。この使われた多額の税金は、他の公共事業に使えたはずなので、国民全員が影響を受けている。国の備蓄を、マスメディアも国民代表として後押ししたはずだ。ただ、その間5年にわたって続けられていた、オセルタミビルの論文についての議論に、記者が誰一人として気づかなかったのは残念だ。更に、問題が明らかになり、製薬企業の治験データ公開などの対応策が進んでいる最中に、NHKがまだオセルタミビルの予防投与を呼びかける放送をして私を驚かせた。はっきり言えるのは、不十分な知識しか有していない不勉強なマスメディアに、何が重要な捏造かを決める資格はないということである。

ウェイクフィールド事件と小保方事件

今回から私が経験した小保方氏事件についても積極的に述べるつもりだ。

まずこれから2回にわたって、ウェイクフィールドらがThe Lancetに発表した、新三種混合ワクチン(MMRワクチン:麻疹(measles)、流行性耳下腺炎(おたふく風邪:mumps)、風疹(rubella)の三種の生ワクチンが混合されたワクチン)と自閉症の関連を主張する捏造論文事件(以下、「ウェイクフィールド事件」という。事件の詳細は後で説明する。)と小保方氏事件を比較しながら、捏造事件に対する社会の反応を分析したいと思っている。

両者は、

1)自分の信条を証明したいという強い思い込みを持つ研究者が多くの捏造を行った事

2)論文について、内容を脚色した大々的記者会見が行われた事

3)論文の著者間で撤回に関する意見が分かれた事

4)論文が最終的に撤回された事

5)マスメディアが著者らのプレス発表を吟味しないでそのまま大きく取り上げた事

など様々な共通点が存在する。ただウェイクフィールドが「The Lancet」に発表した論文は、その後、新三種混合ワクチン接種率の低下による麻疹の流行、その結果としての死亡例の発生など、市民生活への直接影響を持っていた点では、小保方氏事件と大きく様相を異にしている。一方、両事件に対する学会や政府の対応、そしてメディアの対応の違いは際立っており、この違いから我が国の学界・政府・メディアの構造について多くを学ぶ事ができる。

ウェイクフィールド事件の発端

1998年「The Lancet」に、筆頭著者のアンドリュー・ジェレミー・ウェイクフィールド(Andrew Jeremy Wakefield:英国の医師で生物医学研究者)他13名の著者(全員、ロンドンにある「Royal Free Hospital and School of Medicine」のスタッフ)から、「Ileal-lymphoid-nodular hyperplasia, non-specific colitiss, and pervasive developmental disorder in children(小児にまん延する、回腸に見られる結節状リンパ球増多、非特異的腸炎、および発達異常を示す疾患)」とタイトルのついた論文が発表される。これが騒ぎの根源だった。

「The Lancet」は臨床医なら一度は論文を載せたいと思っている臨床医学の世界的トップジャーナルで、メディアの注目度も高い。小保方氏事件と比較するため、私もなるべく偏見を排してもう一度この論文を読んでみたが、これまで報告されていない共通の症状を持つ12人の患者についての記録が淡々と記載されているだけに見える。しかも、サマリーで述べられた結論は、「これまで知られていない、環境要因が疑われる精神的発達障害と腸炎を持つ疾患単位がある。」と言う控えめな記述で、ある程度、納得できる。しかし、本文を読み進むと、この環境要因こそが新三種混合ワクチン投与であると結論したいのが見え見えの論調で、論文の最後はこれらの症状は新三種混合ワクチン接種後に発現したことを明言している。すなわち、「新三種混合ワクチン投与により引き起こされる、これまで記載された事のない小児のautistic-enterocolitis(自閉症合併腸炎)が存在する。」という大胆な結論を主張している。

論文だけ読むと、患者を注意深く診察しているうち、新しい疾患単位に気づいた様に読みとれる。しかし、後から、この結論が、彼が論文を書く前から持っている持論であり、思い込みであることが明らかになる。ウェイクフィールドたちは1995年にも「The Lancet」に、麻疹ワクチンがクローン病(Crohn's Disease:口腔から肛門までの全消化管に、非連続性の慢性肉芽腫性炎症を生じる原因不明の炎症性疾患で、厚生労働省より特定疾患に指定されている。)の原因になる可能性を示唆する疫学的研究論文を発表していた。ただ統計データの分析と解釈から導かれたこの結論は、より正確な疫学的研究により即座に否定されている。今度はこの壁を打ち破ろうと、Austistic entericolitis(自閉症合併腸炎)という疾患単位を提案することで、麻疹や新3種混合ワクチン投与が自閉症の原因になるという持論を展開する作戦に出た。

繰り返すが、実際にこの論文で示されたデータからみて、この結論を導くことは言い過ぎだと批判されるべきだが、論文の内容自体にそれほど不自然さは見られない。もし結論が間違っているなら、追試されない他の多くの論文と同様に忘れ去られ消え去る運命が待っているだけだ。実際、我が国の研究も含め、自閉症とワクチンが相関しないという論文は数多く発表されている。しかし、この事件の本質は、拡大解釈で済まされるものではなく、徹底的なデータ捏造が行われていた事が後に露呈する(これについては、次回以降に御紹介する。)。

大々的プレス発表

いくら「The Lancet」が有名科学雑誌でも、掲載論文の内容にまで目を通す一般の方はそうはいない。ウェイクフィールド論文が大騒ぎになった本当の発端は彼と、彼の属していたRoyal Free Hospitalが行った大々的記者会見だった。この記者会見では持論がそのまま展開され、ワクチン投与の中止が呼びかけられる。この呼びかけはビデオクリップとしても流される。ウェイクフィールドの様に、自分の論文を題材に大々的記者会見を行うことを、「記者会見によるサイエンス」と呼ぶようになった。これは研究の目的が、「The Lancet」に論文を発表することで科学的な進歩を図る事から離れ、有名研究雑誌への論文掲載を自分の信条を大々的に宣伝するために利用しメデイアを巻き込んで虚偽を真実としてでっち上げるように見えるからだ。意図しないとはいえ、ウェイクフィールドの策に乗せられプレス発表をそのまま報道したメディアは、その後に起こるワクチン接種率の低下と、それに伴う「はしか」の流行という人為的災害発生の共犯者として働いたことになる。

小保方氏事件の件でも、大騒ぎの実際の発端は、論文発表ではなく、論文の内容とは関連の低い再生医学・再生医療と結びつけての大々的プレス発表が行われ、その発表内容をそのまま鵜呑みにした多くのメディアが一面で報道したことによる。通常は、論文が出る(掲載)前に、論文を掲載する雑誌からメディアに別刷り(書籍・雑誌の一部分だけ別に印刷した印刷物)が提供され、報道解禁日時が知らされる。この際、論文を新聞や雑誌で紹介する価値があるか、どれくらいの扱いにすればいいのかを査定するのは各紙の科学部の仕事だ。

個人的話だが、記者会見の3日前、文京シビックホールでグルタフ・マーラー(Gustav Mahler(1860年7月7日-1911年5月18日):主にオーストリアのウィーンで活躍した作曲家・指揮者)の交響曲第2番「復活」を聞いた後に、近くのビアホールでくつろいでいたとき、毎日新聞社の須田 桃子 記者が電話してきた。何があったのかと聞いてみると、小保方さんの「Nature」論文についての理化学研究所で月曜日に記者会見が予定されており、毎日新聞として扱いを決める必要があるが、この研究論文のインパクトを教えて欲しいということだった。その時、須田さんが「小保方 晴子さんの、この仕事を知っているか?一面扱いに値するインパクトがあるか?」と聞いてきたので、「「Nature」に掲載される論文はまだ読んでいないが、以前reject(論文掲載を拒否)された論文は読んでおり、内容はよく知っている。ただ一面に載せるほどのインパクトはないと思う。」と答えた。しかし、私の意見は全く無視され、結局、記者会見での発表をそのままマスコミが信じた結果、毎日新聞でも一面扱いの報道を行なったはずだ。もちろんどう扱おうと報道は自由だ。しかし、問題は、論文をしっかり自分で読まず、関係者(直接関係のない人も含まれることがある。)の適当なコメントを集めて扱いを決めた上で、笹井 芳樹さん(元理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)グループディレクター、元同副センター長:日本の発生学者、医学者)を中心にした理化学研究所側の発表をそのまま鵜呑みにして報道したことだ。宣伝したのは笹井さんであり、若山照彦(日本の生物学者)さんであり、理化学研究所であることは事実であるが、その内容を検証もせず報道したことは、事態の悪化を増長させた一因といえる。今年初めにタミフルの予防投与を呼びかけたNHKも同じことだ。特に、笹井さんが別に配布したというリプログラムの効率についての説明を検証(有識者への幅広い積極的な取材等を含む。)せず、最初の報道発表内容を重視した事は、不勉強の極みと言わざるを得ない。確かに、騙す人間が最も悪いのではあるが、騙されないよう準備する事が重要であることは、報道各紙も「オレオレ詐欺」報道ですでに御存知のはずだ。笹井さんの説明が、当時の世界基準から見たとき何の意味もないことは、Webで閲覧できる情報だけでも十分に判断することができる。

現代の科学技術が高度化専門化したことにより、研究内容を理解することが困難となっていることは理解できるが、偏った考えを持つ者の共犯とならず、公平かつ適切な報道を国民に対して行うためには、メディア自身が研究内容の積極的な理解のために一歩踏み込み、独自で判断できるようになることが、今後ますます重要かつ必要になってくる。

プレス発表による捏造

私は、このプレス発表で自説や業績を宣伝しすぎる研究者の風潮が小保方氏事件の背景にあり、これにはマスメディアも能動的か受動的かにはかかわらず一定程度は、加担していると思っている。ノーベル賞を始めとする高いプレステージの賞をとった時や、実際に患者さんが協力した臨床実験結果ならいざ知らず、自分の仕事(研究)が論文に出たからといって、自己顕示欲や名誉欲などを満足させるためにいちいちプレス発表することは、やめたほうがいいと思っている研究者は多いはずだ。以前1回だけ、私の研究室のメンバーが「Nature」に発表した論文をプレス発表で説明したことはあったが、私は、自身の信条から会見には同席しなかった。私自身は新聞記者の皆さんと情報交換をすることは重要だと思っており、普通の研究者よりはるかにお付き合いをしてきた。しかし、自分の仕事についてプレス発表を設定することはやめたほうがいいと思ってきたし、行った事はない。

今私が一番今心配しているのは、上述と一部重複となるが、研究者の論文の捏造より、プレス発表で自分の仕事を宣伝しすぎる風潮だ。研究者はウェイクフィールド事件や小保方氏事件から、プレス発表というメディア対応が、捏造の芽を息吹かせることを学ぶべきだ。論文に書くのはレフリー(論文査読者)に許してもらえない(雑誌に掲載されない)事も、記者会見なら無責任に言ってしまうことが多い。記者発表の内容をほとんど吟味せずそのまま掲載するメディアが相手では、いくら捏造とは無関係の論文でも、プレス発表する側が結果に過度の脚色(一種の小さな捏造)を加えて発表する事がしばしばある。例えば、すでに他のグループが発表した論文を無視して世界初という発表をするケースは、私の手元に資料があるだけでも驚くほど多い。自分のグループが研究の中心だとするプレス発表が、実際には他の責任著者のグループの仕事だったりする場合も多い。論文はレフリーの査読を受け、不正が発覚すれば撤回される。しかし、論文内容を吟味しないメディア等への発表の場合、脚色された結果がそのまま吟味もされずに新聞に掲載されると、まず撤回される事はない上に、社会に拡散された情報は、撤回されることすら不可能となる。

また、特にこのような、脚色されたプレス発表(新聞、Web等)記事を選りすぐって助成金の申請に添付する事が今当たり前になっている。これで採択、不採択の判断に影響が出る事はないと思うが、メディアが自ら論文内容を吟味しない限り、プレス発表は捏造の温床になり、知らず知らずのうちにマスコミが共犯にされてしまうこととなる。

この悪循環を断つ具体的施策が、小保方氏問題への処方箋(1)になるが、これについては適切に読者が判断できるようになるために、前提となる知識や考え方を提供した上で読んでもらいたいので、もう少し先に議論することとする。

次回は両事件の社会的影響とともに、論文発表以後のメディア、役所の対応の違いを比べる。