古代人の個人ゲノム検査(Natureオンライン版掲載論文紹介)

(写真:アフロ)

アメリカで23andMe(本社所在地:カリフォルニア州マウンテンビュー/設立:2006年4月/CEO:アン・ウォイッキ/創立者:アン・ウォイッキ、リンダ・アベイ)の個人ゲノム(遺伝子)検査サービスが始まったのは2006年、すでに100万人の個人顧客が検査を終えている。それと比べると、今年、遺伝子検査元年だと騒いでいる我が国は、10年近い遅れをとってしまった。これまで研究室や大病院の専売特許と考えられてきたゲノム(遺伝子)検査を個人に提供するサービスをDTC(Direct to Consumer)と呼ぶ。しかし、わざわざお金を出して自分のゲノムを調べて意味があるのかを私たちが迷うのは、「ゲノム(遺伝子)から何がわかるのか?わかって何ができるのか?」が理解しづらい点に起因するものだろう。

DTCを提供する企業は、遺伝子検査の重要性について、「自分の体質を知り」、「将来の病気のリスクを知り」、「リスクに基づいた生活設計を立てることで、病気を防ぐこと」だと宣伝している。確かにそうなのだが、私は、宣伝されている内容はほんの一部の可能性に過ぎないと思っている。

私たち一人ひとりのゲノム(遺伝子)には、38億年の生物の歴史、40万年の人類の歴史、そして各民族の交流の歴史が書き込まれている。そして、地球上70億の人間一人ひとりのゲノム(遺伝子)は、38億年前から続く生物の歴史の中でただ一回だけ地球上に登場し、また私たちが死んでしまえば未来永劫2度と現れることはない。すなわち、全く独自の歴史や経路を通って誕生したゲノム(遺伝子)だ。この愛おしいぐらいユニーク(特異的)な私達人類のゲノム(遺伝子)は、我が国の火葬の習慣によって、まさに人の死とともに灰となって消えていた。それが今後は、少なくとも電子的なデータとして後世に残せる時代が到来した。私にとって、それだけで十分金を払う意味があり、分析の価格が10万円前後になれば解読を頼もうと思っている。アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、死を目前にしても自分のゲノム(遺伝子)を解読し残したようだが、まだそこまでの財力は私にはない。友人に聞くと、全ゲノム30億塩基対を信頼できる精度で読んでもらうためには今でも15~20万円はかかるようで、もう少し待つしか無いようだ。

とはいえ、自分が生まれるまでの歴史が書かれたゲノム(遺伝子)を、自分の親族や、後世の多くの人に使ってもらえる時代が来たのは現実であり。はっきりしているのは、ゲノム(遺伝子)情報を死後も残しておくということは、私が半生を生きた20世紀にはできなかったという点だ。

死後に残されたゲノム(遺伝子)情報の有用性を知ることのできる研究分野がある。古代人ゲノム(遺伝子)解読研究だ。これまで人類の歴史は私たちの脳活動の産物である遺物や記録を元に推測するしかなかった。ここに身体と密接に関連したゲノム(遺伝子)が記録として新しく登場した。ゲノム(遺伝子)の変遷から人類の歴史を解釈しなおし、脳活動の産物から読み解いたこれまでの人類史と比較するというエキサイティングな研究分野が急速に進展している。

この学術的な興奮の一端をうかがわせる論文がハーバード大学から11月23日「Natureオンライン版」に発表された。この論文はBC6500年からBC300年にユーラシア各地に暮らしていた古代人のDNAを回収して、現在DTCのために最もよく用いられているSNP(Single Nucleotide Polymorphism:一塩基多型)検査を用いて調べた研究で、いわば古代人の個人ゲノム(遺伝子)検査といえるだろう(Matieson et al, Nature, doi10.1038/naturee16152)、タイトルは「Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians(230人の古代ユーラシア人のゲノム全体にみられる選択の跡)」だ。

この研究ではすでにデータが発表されている63人の古代人(63人も既にゲノムが解析されているのに驚く。)に加えて、163人のゲノムを新たに調べている。現在行われているDTCサービスは多型と形質の相関が明らかになったSNPを調べるが、この研究でも同じように形質との相関がわかっている120万SNPを調べている。調べたのは北欧からカスピ海北部中央アジアにかけて出土した人骨で、アイソトープ(isotope:同位元素:原子番号が等しく、質量数が異なる原子)による年代測定が確定したサンプルだ。

では古代人の個人ゲノム(遺伝子)を調べて何がわかるのだろうか?

まず、ユーラシア各地の民族の移動と定着過程がわかる。人が移動すると必ず起こるのが性的交流だ。この結果、民族や家族に新しいゲノム(遺伝子)が導入される。すなわちゲノム(遺伝子)に交流の記録が残る。この痕跡は安定で、現代の私たちのゲノムの中に残る何万年も前の先祖とネアンデルタール人の交流を特定することすらできる。次に、現代ヨーロッパ人の持つ様々な身体的特徴が形成されるまでの、選択過程がわかる。論文では膨大なデータが示されており、この短い紙面で全て紹介することはできないが、いくつか面白い発見を抜き出してみよう。

現代、ヨーロッパ人のルーツを探る時、中央アジアとヨーロッパの中央に位置する、現トルコ、アナトリア地方の古代人が鍵になる。この研究では26人のアナトリア新石器時代人ゲノム(遺伝子)を新たに調べている。驚くことに、アナトリア新石器時代人は現トルコ人や中近東の民族より、ハンガリーからスペインにかけての初期農耕民族に似ている。この結果は、ヨーロッパ農耕民族がアナトリア新石器時代人と祖先を共有していることを示している。ただヨーロッパに定着した民族は、そこに先住していた狩猟民族と交雑を重ねて、アナトリア新石器時代人と異なる独自の民族へと発展している。

ヨーロッパの諸民族を理解するときもう一つ欠かせないのが、中央アジアのステップ(草原地帯)に暮らしていた古代人のゲノム(遺伝子)だ。この研究は、ステップで暮らしていた狩猟民族と中近東の古代人がBC5000年ぐらいから交流を持っていたこと、その後、様々な民族と交流を重ねながら最終的にヨーロッパ言語を広めることになる青銅器時代のヤムナ民族が形成されていく過程が追跡できることを示している。以上のように、個人ゲノム(遺伝子)は、民族交流の歴史を知るための重要な記録となるのだ。

民族特有の身体的特徴は、他民族とのゲノム(遺伝子)混合と、生活環境の変化への遺伝的適応の結果だが、この研究では環境への適応により選択された遺伝子についても調べている。

まず民族の形質の選択に関わったことが明らかなSNPを探索し、12遺伝子座を特定している。この中ではっきり選択の跡がわかるのが、乳糖分解酵素持続症で、BC2000年頃にはヨーロッパに定着している。乳糖分解酵素持続症とは大人になってもミルクの乳糖を分解する能力が持続する性質で、成人になってもミルクを飲む食習慣、すなわち牧畜と相関する。他にも食生活に関わるゲノム(遺伝子)変化として、農耕生活で不足するエルゴチオネイン(ergothioneine)吸収に関わる遺伝子変化も特定されている。

他に、ビタミンD代謝、皮膚の色、毛の太さのような日照時間や気温と関連する形質に関わるゲノム(遺伝子)の変化は、北西部ほど金髪でメラニンが少なく、南に行くと黒髪・色黒が増える今のヨーロッパ民族の形成に確かに寄与していることからみても、納得出来る。

最後に、やはり北に行くほど高くなるヨーロッパ民族の身長の差についても調べている。180cm以上の身長と関連するSNPを古代人230人について調べると、ヨーロッパの農耕人はもともと背が低く、高い身長はヨーロッパ南東部ステップ(草原)の民族に由来していることがわかる(確かにクロアチア人は今も背が高い。)。その後、ステップの民族と交流したヨーロッパの農耕民族が北部の背の高い民族を形成したようだ。これらの結果は、古代人のゲノム(遺伝子)検査により、人類史のより深い理解が可能になることを見事に示している。

今後、各形質について、他の遺物との比較が行われ、ますますエキサイティングな人類史を聞くことができるだろう。そして、これから後世に残しておきたいと思っている自分自身のゲノム(遺伝子)も、将来様々な観点から歴史が語られる時にきっと役に立つはずだと確信する。これは私個人の考えだが、我が国で個人ゲノム検査をどう進めるのか政策を決めるときは、21世紀の主役に議論を任すことがまず重要だと思う。