「HSP(繊細さん)」が共感を得る理由 なぜわたしたちは「生きづらさ」に名前をつけるのか

写真:アフロ

 「LINEの返信一つにすごく時間がかかる」「気を使いすぎて、他人の仕事までやろうとして疲れ果ててしまう…」「他人の一言がずっと気になってしまう」――。

SNSで「#HSPあるある」と検索すると、このような悩みを多く目にすることができる。その中には、読者の皆さんも思わず共感してしまうものもあるかもしれない。

 近年、いわゆる「繊細さん」と称される概念「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)」を目にする機会が多くなった。関連書籍は売れ行きもよく、自身がHSPであることを公表した芸能人には共感の声が集まっている。一方で、HSPは精神医学や心理学の領域で確立された概念ではない。

 なぜいま「HSP」が受け入れられているのだろうか。わたしはHSPをライフワークとして関わっているわけではないが、一般的な臨床精神科医としての視点から、背景に存在する「生きづらさ」を考察すると共に、過去から続く「生きづらさ」に名前をつける行為の意味を考えていきたい。

近年目にすることが増えた「繊細さん(HSP)」

 HSPは「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」の略で、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質を持った人」という意味である。「とても敏感な人」や「敏感過ぎる人」、そして最近は「繊細さん」といった通称で広く受け入れられている概念だ。

 もともと心理学者のエレイン・アーロン(Elaine N Aron, Ph.D.)が1990年代後半に提唱したもので、統計的には約5人に1人があてはまる「気質」とされる。精神障害や心の病気ではない(※1)点に注意が必要だ。

 わたしも含めて、精神医学の業界では、HSPを勉強する機会はほとんどないのではないかと思う。そういう概念があることすら知らなかったというのが実情である。

 しかし、最近は実際に外来診療をしていると、「わたしはHSPなのでしょうか」「HSPにわたしは当てはまっている気がします」と尋ねられる機会が増えてきたのも事実である。

対人・人間関係でうまくいかない人が増えた?

 HSPを自認する人が増えている背景には「生きづらさ」というキーワードが常につきまとってくるように思える。前述のエレイン・アーロンによるHS(Highly Sensitive:非常に敏感である)評価基準(※2)を見ると、対人・人間関係がHSPの「生きづらさ」を生み出す要因の一つとして大きい割合をしめているという。そこで、わたしなりに「生きづらさ」を生み出す要因を考えてみた。

 まず、日本人に特徴的な人間関係における思考やコミュニケーション傾向が挙げられる。代表的なものは、対人恐怖であろう。対人恐怖は、過去より錚々たる精神医学の重鎮達が取り組んできたテーマでもある。ざっと見渡すと、日本人特有の「恥の意識」との論考が多い。「恥をかきたくない」という羞恥恐怖も、HSPと縁が深い概念かもしれない。

 意思表示がはっきりしない、日本特有の非言語的コミュニケーションも関係があるだろう。過度な「忖度」や「空気を読む」への過剰適応を行っていては、感受性を意識せざるを得なくなる。そこにコンプライアンスの遵守が叫ばれ、ますます規律や他者からの評価に過敏になっていく。

 こういった日本特有の状況に、コロナ禍による急激な経済不況や労働条件の悪化が、人々の余裕をなくしてしまった。テレワークや失業などに伴い、家族といる時間が増えた家庭も多いと思う。家族に対しても、敏感にならざるをえないことも増えているだろう。

 ほかにも要因はあるのかもしれないが、以上のような背景のもとに、対人・人間関係でうまく行かず「生きづらさ」を感じる人が増えているのではないだろうか。そして、そのような悩みを包み込み、手軽に自身の生きづらさに見立てを立てられるため、HSPがいま受け入れられているのではないかとも思う。

対人・人間関係が現代の生きづらさに大きく関わっていそうだ(提供:queso/イメージマート)
対人・人間関係が現代の生きづらさに大きく関わっていそうだ(提供:queso/イメージマート)

なぜわたしたちは「生きづらさ」に名前をつけるのか

「生きづらさ」を表す概念のトレンド化

 「生きづらさ」に関連する概念について振り返ると、HSPが初めてではないことが分かる。わたしが医者になりたての頃は、アダルトチルドレンという概念があった。これも精神疾患などの正式な診断名ではない。毒親にも通じるが、子どもの頃に、虐待など家庭内でのトラウマ(心的外傷)によって傷つき、成人して心理的に問題を抱えた人をいう。近年では、自己肯定感の低さと生きづらさを結びつけ、鼓舞する書籍や記事などもよく見かける。

 時代ごとに「生きづらさ」を定義する概念は、都度マスコミなどのメディアに多く取り上げられ、適切・不適切双方の情報が入り交じり、拡散されていく傾向にある。広く認知される一方で、批判や反発も生じてくる。

 たとえば、前述のようにHSPを自称・公表する芸能人が存在している。わたしの患者でも、少数ながら役者や芸術家がいたが、豊かな芸術的感性がある一方で、他者からの厳しい評価に晒されるため、やはり傷つきやすい繊細な人が多かったように思う。しかし社会からは、「人前に堂々と出ているような人が繊細なはずがない」「繊細ならば、相手の家庭を破壊する不倫などできるわけがない」という意見も出てくる。

 メディアで広く取り上げられた概念は、時間が経つと反発の意見も大きくなり、時と共にいわゆるブームが沈静化していく傾向にあるように思える。

「生きづらさ」に名前をつけることの効用

 前述のように、「生きづらさ」に関連する概念は、それぞれ定義は異なるけれども、時代ごとにトレンドといえるような形で変遷をしてきた。

 現在はSNSなどを見ていると、「わたしもHSPです」「HSPですが、」など、自身でHSPと診断しているコメントをしばしば見かける。安易な診断にわたしは懐疑的ではあるのだが、「生きづらさ」に名前をつけることにメリットもあると考える。

 状態や診断が自分では分からないとき、未知への不安やモヤモヤ感が生まれる。例えば調子が悪いときに医者に行って、「よく分かりません」と言われれば、ますます不安になるだろう。診断は難しくとも、見立てすら伝えられておらず、薬剤を漫然と出されているだけの患者も少なくないと思う。この「見立て」の大切さは、わたしが研修医時代に読んだ土居健郎先生の名著「新訂 方法としての面接」(医学書院)でも力説されていたことだ(第6章)。

 他人とは異なる「生きづらさ」があるにもかかわらず、自分はどういう状態なのかがわからない、訳がわからないという状態に、「これかもしれない」という見立てを得ることができる。そのために自分の「生きづらさ」に対する不安が減り、付き合い方が分かる人も多くいるのではないだろうか。

 また、カウンセリングの基本だが、人間は他人に「共感」してほしいものである。「生きづらさ」への共感欲求も強いだろう。SNSなどを見れば、同様の生きづらさを抱えている人たちを見出すことができ、その人々へ共感し、かつ共感を得ることができる。そういった心の支えを得られることも名付けの効用と言えそうだ。

 こういった背景もあり、人々は繰り返し「生きづらさ」に適切な名付けをできる概念を求めてきたと考えられる。

生きづらさへの見立てや共感が見いだせない状態は不安が大きくなる(写真:アフロ)
生きづらさへの見立てや共感が見いだせない状態は不安が大きくなる(写真:アフロ)

ビジネス搾取や疾病の見逃しなどの弊害

 ただし、自身で簡単に「生きづらさ」に名前をつけることによる弊害も存在することを念頭においていただきたい。今回はHSPに関して述べるが、トレンドとなる概念には同様の弊害がつきまといやすい。

 ウェブ検索をしていると、HSPにつけ込んだ非科学的なビジネスがかなり目に入り、わたしとしてもなんとも言えない気持ちになる。スピリチュアルや霊感能力を謳い、芸能人を広告塔としてビジネスを仕掛けているサイトも事実ある。

 医学的に吟味の浅い概念であるので、安易に治療に結びつけるフレーズも危険である。HSPについてホームページに説明を記載しているメンタルクリニックも多く、一部には「HSPによるうつ症状にお悩みなら」と、治療に誘導するフレーズも見かける。もちろんそれによって治療が必要なうつ病などが診断され、適切な治療が行われれば問題はない。しかし、過剰診療、儲け主義・クリニック経営優先の意図をわたしはどうしても勘ぐってしまう。

 そこで、注意を三つ喚起して締めくくりたい。 

 一点目は、「HSP早期克服」「HSPはこれで治った!」のような謳い文句で、エビデンスレベルの低いメソッドに高い出費をしないよう気をつけることである。

 二点目は、HSPだと思い込んでしまい、治療が必要にもかかわらず医療機関を受診しないことである。発達障害の感覚過敏、社交不安症などの可能性もあり、これらの場合は医療的なアプローチをした方が治療的であり、本人にとっても良い。

 最後に、HSPを免罪符、弁解に使わないことである。「自分はHSPだから仕方がない」と諦めたり、「HSPだから、社会が悪い」のような、他責的な思考パターンには陥ったりしないことが大切だ。こういった考え方になるのでは、自分自身によるHSPとの診断が、むしろ本人の自己成長を妨げ、幸福度を低くしてしまうと考える。

 HSPは一定数の人から「求められている概念」とも個人的には考えている。HSPということばに出会って、「安心した」「しっくりくる」「やっと生きやすくなった」と感じ、「生きづらさ」が軽くなるのならば、その人にとって良かったことだと思う。他にも同じような人たちが実はいたんだと思えれば、さらに気持ちはラクになるだろう。最後に述べた注意も踏まえ、うまく付き合ってほしいと願う。

(精神医学や心理学の領域でどのように捉えられているか、より詳細な内容は別記事で解説予定です)

(※1)精神医学の国際的診断基準であるDSM-5やICD-11には分類されていない。したがって精神障害、心の病気ではなく、先天的な気質、生まれ持った性質とされている。

(※2) Aron EN & Aron A. Journal of Personality and Social Psychology 1997

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

早稲田大学スポーツ科学学術院・准教授、早稲田大学睡眠研究所・所長。1970年石川県生まれ、東京医科歯科大学卒業。東京医科歯科大学助教、自治医科大学講師、ハーバード大学、スタンフォード大学の客員研究員などを経て、現職。精神科専門医、日本睡眠学会専門医など。専門は睡眠、身体運動とメンタルヘルス。著書に、「休む技術」(大和書房)、「自分の『異常性』に気づかない人たち」(草思社)、「悪夢障害」(幻冬舎新書)など多数。

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