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阪神・淡路大震災から日本が得たもの〜「ボランティア」と「多文化共生」の誕生日としての1.17

にしゃんた社会学者/タレント
被災地に立つ「鉄人28号」モニュメント。

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起き、毎年この日に、日本中で震災による被害者を追悼する。メディアが中心となり、毎年の1月17日はもちろん、定期的に回想する番組を積極的に放送するなどのこともあってか20年を超える歳月を意外と感じず、昨日今日のように振り返る人も多い。幾度の被災を経験してもその都度、しっかり立ち上がりたくましく前進する日本人の逞しさに世界中の人々が感動している。

阪神・淡路大震災を通して大都市での震災を久しく経験した日本が受けたショックは余りにも大きい。高層ビルだけでなく、高速道路までもが哀れな姿で倒壊し、現代の文明の脆さを思い知らされた。言わずして最も大きなショックは愛する者が二度と帰らぬようになったことである。死者の数は6434人、負傷者は4万3792人。財産を多く失い、愛する我が家を失った人は、全壊、半壊合わせて24万9170棟で、全焼建物は7036棟であった。失ったのは数字に表れるものだけではない。復興に際し、安全なまちづくりに行政が重点を置きすぎたあまり被災地域住民のそれまでのコミュニティは完全に崩壊された。

失ったことについていくら語っても切りがあるまい。国民はこの痛みを共有しようという優しさの中で、不謹慎と思いから震災を通して失ったものについて語っても得たものについて語ることは少ない。しかしここでは、想像を絶する痛みに耐え、阪神淡路大震災 により日本人が未来に向けて得た掛け替えのないものは何か、について触れたい。「多文化共生」と「ボランティア」という二つの大きな財産についてである。

日本で阪神・淡路大震災が発生した1995年はボランティア元年とされている。1月17日は「ボランティアの日」と定められ、さらにはその日を中心にして前後3日を足した1週間はボランティア週間となった。日本社会の長い歴史の中で育んできた血縁や地縁を基にした相互扶助の精神が、その後、企業内者同士の助け合いにまで引き継がれて来た。しかし地縁や血縁などのそれまでの繋がりの中で、あるいは特定の人たちだけが行うものとなっていた狭き枠組みが、音を立て打ち砕かれ、ボランティア活動がこの国の大衆の中で大きく花開いたのは阪神淡路大震災によってである。義捐金や間接支援を行った者を含めると日本に例外な者はいないに違いない。実際に被災地に足を運んだ者は3ヶ月間で116万人、1日平均2万人を超えた。

1995年1月17 日、日本で始まったボランティア文化が、後の東日本大震災にも、また、多くの海外の現場にもしっかり引き継がれるようになった。教育現場は、小中高に限らず大学などにおいても科目として、また重点的に行っている活動としてボランティアが位置づけられるようになった。阪神・淡路大震災の痛みと引き換えに、日本社会にとって、国際社会にとっての掛け替えのないプレゼントをもらったと言えよう。

この社会が多様化しているという当たり前で大事な「多文化共生」の気づきも阪神・淡路大震災から日本社会が得た大きな収穫である。あの災害での被災者は何も日本人ばかりではなかった。外国人も多くが負傷し、200人の外国人が死亡した。被災地となった兵庫県内の10市10町において被災時には8万人の外国人が居住していた。そのうちの4人に1人が日本語の読み書きが出来なかった。

被災者を助けようとする情報がいくら被災地で行き交っても一向に恩恵を受けられない人がいることに気づいた。それは日本社会の住人が日本語がわかる人ばかりではないという気付きでもあった。それが日本社会の多言語化が産声をあげた瞬間でもあった。多言語でのペーパー媒体はもちろん、多言語ラジオや多言語のインターネットコンテンツが日本で次々に生まれるようになった。阪神大震災で育んだ緊急時における多言語対応はその後の東日本大震災にも大きく役立てられた。

当初は、日本社会の少数者の幸せを妨げている「言葉の壁」を取っ払うための活動だったが、その延長線上に社会の壁は言葉の壁だけではなく「制度の壁」も「心の壁」もあると気づかされた。それらの壁の存在によって少数者に限らず、多数派含む社会全体の幸福を妨げていることにも気づくようになった。今の日本社会のあちこちで、少数派と多数派が、違う者同士が、共に生きるという目標に向かって、個として、組織的として、そして行政としても勢力的に活動を行っている。そしてすでに2020年「東京オリンピック」という国家をあげての大祭典にも1.17からはじまる多文化共生活動での蓄積が活かされようとしている。

今年で20年を迎える阪神・淡路大震災が私たちから多くを奪い去った。しかし多くを私たちにもたらしてくれた。失った者へのせめてもの報いとしても共に笑える未来日本に向けて、1995年1月17日にプレゼントされた「ボランティア」や「多文化共生」という芽が出たばかりの尊い小さな苗をこの国の全員で立派な大木にするように引き続き大切に育てて行く必要があろう。

※ 参考資料として筆者が書いた下記の記事も合わせて読んでいただきたい。

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社会学者/タレント

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「Mr.ダイバーシティ」などと言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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