多死社会日本、後始末に関する提案ースリランカからの言づけ

スリランカ初代大統領ジャヤワルダナの手帳。91年5月9日に書かれた遺言・筆者撮影

空港で手にした新聞(7月30日の朝日新聞朝刊)に掲載された「継がれず無縁、さまよう墓石、不法投棄続々、墓の墓場も」という記事。タイトルから察する通り、記事の内容とは、先祖代々にわたり受け継がれてきた墓が受難の時を迎えている。

墓守が絶え、無縁墓となった墓の墓石が慰霊の場を離れ彷徨っているという。結局は人里離れた山中に“墓の墓”が現れ、不法投棄も後を絶たない。これが一か所ではなく、全国あちこちで起きているという。すでに始まっている少子高齢多死国日本の未来を実感する。年間130万人近くが死を迎え、とどまる事の知らない少子・長寿化、独り身増に伴い、死後の始末は日本にとっての最も大きな関心事の一つである。

多宗教混在国家日本社会において一般的に、誕生を神道・神社で祝い、結婚はキリスト教会ときて、死を担当するのは仏教寺院と役割分担されている。そしてその延長線上に墓を立て墓守が登場する。墓守をする事が日本では文化と化しており、しないことが不真面目というレッテルを貼られる。社会保障負担に年金負担がかつての若人大勢で一人の老人を担いだ「みこし型」から「騎馬戦型」に代わり、一人で一人を担ぐの「肩車型」になる日もそう遠くない。若者にとっては担うものはもう十分である中で、墓守りもとなるときつくならないはずがない。田舎を離れ都会に居住を移しても、田舎にある墓守の呪縛が解けず、業者に金を積んでお盆の墓参りを始末である。これは個人にとって「のみ」の悩みなのではない。8割が無縁の墓地であると分かった地方自治体も現れ、行政としても知恵を絞っているというが、妙案はすぐには浮かばないようである。

私は、日本人女性との結婚を申し出た際、彼女の両親から「スリランカの墓守もせず、日本にいる人間は信用ならない」と断る理由に挙げられた経験がある。「釈迦は、墓守をしなさいなどとは言っていない以上、日本の墓守は、お寺と墓石屋が考えたビジネスモデルではないか」と内心自分を慰めたものである。日本に存在する仏教は原型からだいぶ変化しており、事実、日本仏教の墓守は神道から取り入れられている。もちろん日本の宗教もすばらしく、批判するつもりは毛頭ない。

私は、スリランカに向かっていた。たずねた場所の一つに国の西、首都から程近い街キャラニアがある。スリランカ人ならキャラニア寺院は誰もが良く知っている。スリランカでは、釈迦は3度この国を訪ねたと信じており、その一箇所はこのキャラニア寺院である。釈迦はここで説法し、側をを流れるキャラニア川で水浴びもしている。実は2006年11月にこの川岸で一つの葬儀が行われた。それは91歳でこの世を去った世界一の親日家と言っても過言ではないJ.R.ジャヤワルダナ初代スリランカ大統領のものである。葬式どうあるべきか、本人の手帳にこう書いてあった。

“Please cremate my body within twenty-four hours of my death on the banks of the Kelani River, within sight of the Rajamaha Viharaya, Kelaniya, which has been associated with my mother's family and me”(私の身体を、死後24時間以内に、私の母方の家族と私の思い出・関りの多いキャラニアのキャラニア寺院が眺められるキャラニア川岸で火葬してください。)元大統領の意を尊重し、遺体が火葬され、遺灰はキャラニア川に流された。口頭でもいくつか死後始末について頼んでいる。一つは角膜についてある。日本では、「片方の角膜を日本に、もう片方をスリランカに」と伝わっているが、私が調べた範囲では両角膜とも日本に寄付されている。

ジャヤワルダナの後始末のすばらしさはそれだけではない。彼が発している名言の一つに「私は守るべく家柄や閉めるべく財産もなく、王冠を被せる王子や姫もいない。私の子孫も、財産も、王冠を被せる王子や王妃は国民である。」というものがある。事実、個人の懐を肥やした跡もなく、二世三世もなく、J.R.ジャヤワルダナは一家から出た最初で最後の政治家となった。それまで住んでいた家さえも今では国の管轄下にある。

ジャヤワルダナは、敬虔な仏教徒であった母と彼女の家族から強く影響を受け、仏教思想を骨身に染みて育ったからこそ、サンフランシコ講和会議で日本を許し擁護するための「憎しみは憎しみによってではなく、愛によって消える」という言葉を発するにつながったのだと理解できる。

ジャヤワルダナの墓はどこを探しても存在しない。ましては、サンフランシコ講話会議での恩に対する謝意を表し日本の1、2箇所に彼の銅像はあるものの、スリランカにはそれすらもない。それは「私の銅像を建てないように」と死ぬ前にジャヤワルダナが周りに伝えたためである。

ジャヤワルダナは、国境を越えてまで、与えるものを多く与え、形になるものは何も残さずこの世を去った。時を同じく生きた吉田茂氏は「日本人はジャヤワルダナの御恩を忘れてはならない」と言っている。恩を感じるだけではなく、彼の生き様や死に対する美学にも学ぶ価値は大いにある。今の日本が存在するにあたって彼のお蔭も多少なりともあるとすれば、すべての日本人の身内の人間としての世界一親日家ジャヤワルダナを参考にできるはずである。

参考資料として下記の記事も合わせて読んでいただきたい。

日本、国家としての記念日は、思いやりをもって一つになってこそ!サンフランシスコ講和会議、複眼的考察

忘れてはならない!JRジャヤワルダナ大統領、日本への本当の願い(サンフランシスコ講和記念日によせて)