「絶対あきらめない」ユ・サンチョルの言葉を信じて。

ユ・サンチョルはF・マリノスのサポーターに「このスタジアムに戻ってくる」と誓った(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「Jリーグの開幕戦に行きたいと思っているんです」

 横浜F・マリノスや柏レイソルなどで韓国語の通訳を務めてきた高橋建登のもとに、一本のメールが届いた。

 送り主はユ・サンチョル(柳想鐵)。韓国代表で通算122キャップを誇る韓国のレジェンドで、計4シーズン在籍したF・マリノスでは2003、2004年のJリーグ2連覇に貢献している。引退してからは指導者に転身。2019年5月から韓国1部・仁川ユナイテッドの監督に就任した。しかし体調に異変があったことで精密検査を受けた結果、すい臓がんのステージ4であることを11月にクラブの公式サイトで公表。1部残留のミッションを成し遂げ、がん治療に専念している。

 高橋はピンと来た。F・マリノスのファンに、挨拶がしたいのだろう、と。

 始まりは昨年11月23日の松本山雅戦だった。スタンドに病気と戦うユ・サンチョルを励ます横断幕が掲げられた。韓国で開催されたE-1選手権でも、そして今年2月12日のACLアウェーでの全北現代戦でも。

 F・マリノスのJリーグ開幕戦まで1週間もない。「急なお願い」となったのも理解できた。治療のスケジュールや自分の体調と相談しながら、「これなら日本に行ける」となったのだろう、と。

 高橋はチームや関係者に急ぎ連絡を取った。本人は日産スタジアムに足を運び、スタンドでファン、サポーターに向けて手を振るなどして挨拶できればいいと考えていたようだ。個人的な事情でチームになるべく迷惑を掛けたくないという思いがあったのかもしれない。

しかしチーム側から「きちんと受け入れたい」と連絡を受け、高橋はその旨を本人に伝えた。試合後にピッチサイドに出て、スタンドに向けて挨拶する機会がセッティングされたのだった。

 波戸康広の引退試合以来、6年ぶりに再会することになった高橋は「ちょっと覚悟していた」という。闘病中のため、痩せているんじゃないか、顔色が悪いんじゃないか。いくら本人は体調がいいと言っても、弱音を吐かない人だということは分かっている。それでもいつもと同じように迎えようと考えていた。

 だが想像していた以上に元気そうだったことが、高橋の表情を自然に明るくさせていた。

「建登さん、お久しぶりです。お世話になります」

 サッカー人と通訳の関係というよりも友人。再会の喜びに、多くの言葉は要らなかった。

 2月23日、日産スタジアム。

 試合が終わってから、ユ・サンチョルは現役時代と同じように正面ゲートから階段をのぼって、「ユ・サンチョル!」のコールが響き渡るゴール裏のサポーター席へと向かった。しっかりとした足取りで、声援に応えながら。

 マイクを渡された彼は、高橋を通じて感謝の言葉を伝えた。

「こうやって大勢のファンのみなさんがいると、昔を思い出しました。実は私、今、体が良くありません。ですけど、遠いところから僕のことを応援してくれているんだと知って、挨拶したいという思いでここにきて、そしてたくさんの力をもらいました。

 ACLの全北との試合をテレビで観ていたら横断幕が目に入ってきて、本当にびっくりしたんです。(全北の)会場には体調が良くなくて行けなくて、きょう僕がプレーしたここに来たいという思いでここに来ることができました。私は絶対にあきらめないです。しっかり治療して、そしてこのスタジアムに戻ってみなさんとお会いしたいなと思います」

 拍手に包まれるなか、彼は日本語で「ありがとうございます」と笑顔を向けた。

 コールを聞きながら、筆者も16、17年前に岡田F・マリノスで2連覇に貢献した彼の剛健なプレーがフラッシュバックした。1999年、2000年シーズンは主にフォワードで、03、04年は右サイドバック、ボランチで起用された。チーム事情を受け入れ、複数のポジションをこなせるユーティリティープレーヤーは、チームにとって頼もしい存在であった。

 スタジアムではユ・サンチョルの元チームメイトが温かく見守っていた。

 右サイドバックでポジションを争った波戸は、再会した際の会話を明かしてくれた。

「もちろんサンチョルさんの病気のことは知っていましたし、どんな言葉を掛けようかなって思っていたら、サンチョルさんのほうから『波戸、お前痩せたな。体調は大丈夫か?』と。太らないように気をつけているだけなんですけど、逆に心配されてしまって。何だかサンチョルさんらしいなって思いましたね。でも、病気には負けないからと言ってくれて、これも弱みを見せないサンチョルさんらしいなって」

 この日、現役引退をサポーターに報告した榎本哲也も「治療は大変だと言っていましたけど、サンチョルさんは凄く前向きで。やっぱこの人、すげえなって思いました」と語っている。

 兄貴分で、仲間意識の強い人。誰かがやられたら、やり返してやるぞという雰囲気を漂わせながらプレーする人。昔話に花を咲かせると、彼はこう語ったそうだ。

「(自分に)近い雰囲気をもっていたのが(栗原)勇蔵だったよな」

 その場には『ハマのケンカ番長』と呼ばれた栗原もいた。一緒に戦ってきた仲間たちの笑いを引き出し、場が和んだそうだ。

 高橋は翌日も彼と一緒にいた。

「昔、住んでいたところに行きたい」と慣れ親しんだ横浜・本牧にも向かった。現役時代にお気に入りだったハンバーグ、ステーキのレストラン「ハングリータイガー」で食事もした。そして、あらためて知人を介してサポーターに感謝を伝える場が設けられ、がんを克服した人とも会って話を聞くことができたという。

 高橋は日本滞在中ずっと彼と一緒にいるなかで、複雑な思いもあった。

 昔住んでいた場所、昔よく行っていたレストラン……それって何だか思い出づくりのように思えなくもなかった。ひょっとしたら日本に来るのが最後だと思っているんじゃないか、と。

 周りには弱みを見せない人。

 気丈な振る舞いはあくまで自分たちに気を遣ってくれているんじゃないか、と。「サンチョルは病気を克服する」と心に強く思っていても、どうしても不安が押し寄せてしまう。

 だが韓国に帰国する際、ユ・サンチョルの表情からはこれから病気としっかりと戦ってみせるという決意を感じ取ることができた。不安よりも希望が膨らんでいった。

 高橋は言う。

「日本に来るのが最後のチャンスなんじゃないかって彼が思っているんじゃないかと、僕の心にはありました。でも日産スタジアムに行って、昔のチームメイトと会って、サポーターに挨拶して、がんを克服された方の話を聞いて、たくさんの力をもらったんじゃないかと思うんです。病気に負けないっていう思いを強くしたんじゃないですかね。そういう頼もしいというか、力強い表情で韓国に帰っていきました」

 ピッチでユ・サンチョルの闘う姿を見てきた人だからこそ、分かる感覚なのかもしれない。

 病気を克服して彼が日本にやってくることを高橋は信じている。

 大勢のサポーターに約束した「絶対あきらめない」という言葉を信じている。

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(上記写真は高橋建登氏提供)