世界のKAMEGAI、ミゲール・コットに辿り着く。

2011年10月ムニョス戦で米国デビュー。以降激闘の連続で本場ファンをうならせる(写真:ロイター/アフロ)

世界のチャンピオンベルトはなくとも、ボクシングの本場アメリカで認められた男がいる。

亀海喜寛、34歳、帝拳ジム所属。

アメリカを主戦場にし、6階級制覇のオスカー・デラホーヤが立ち上げた「ゴールデンボーイ・プロモーション」と日本人で初めて契約に至った実力者である。

昨年4月、「激闘王」の異名を持つメキシカン、ヘスス・ソト・カラスとの死闘は、権威あるリング誌の年間最高試合賞にノミネートされた(1-1判定、ドロー)。そして半年後に行なわれた再戦で、8回終了TKO勝ちを収めて決着をつけた。この2戦を通じ、知名度も評価もグンと上がった。

デラホーヤから4階級制覇の超ビッグネーム、ミゲール・コットの再起戦相手に指名され、8月26日、カリフォルニア州カーソンのスタブハブセンターで戦うことが決まった。WBO世界スーパーウェルター級王座決定戦として、世界タイトルも懸かる。

世界屈指の超ビッグネームとアメリカでタイトルを懸けてメーンを張ること自体、日本ボクシング史上、過去に例がない。アメリカンドリームが、まさに目の前にある。

コットに辿りついたのは、運ではない。アメリカで一戦ごとに叩き上げてきた心身のタフネスが引き寄せたものだった。

本場のボクシングファンの目に留まったのが、アメリカで3戦目となった2014年6月のロバート・ゲレーロ戦。0-3判定で負けはしたものの、4階級制覇の強豪との打ち合いに決してひるむことなく、アグレッシブに戦い続けた敗者には拍手が注がれた。

「方向性は間違っていない。でもうまさだけじゃ勝てないとも感じました」

アメリカでの2連敗は、キャリアを傷つけたわけではなかった。とはいえ、何かまだしっくりこなかった。

暗中模索が続くなか、2015年3月には世界ランクで自分を下回るアルフォンソ・ゴメスに対して大差の判定負けを喫する。自分のペースに引き込めなかった。アメリカに出てきてはや3敗目。もはや後がなかった。

「ゲレーロに通用しても、ゴメスには通用しないところがあった。これじゃダメだなって思いました。ウエイトコントロールを含めて、ゴメス戦が一つのターニングポイントだったのかもしれません」

覚悟は固まった。

階級を下げるのではなく、スーパーウェルター級に逆に上げることにした。体づくりに手応えを感じていたからこその決断だった。

帝拳ジムと契約する中村正彦ストレングス&コンディショニングコーチは山中慎介、村田諒太らも担当する「ボディーメーク」の達人。その彼も、亀海に一目置いてきた。

「ゴメス戦の後、オフもほとんど取ることなく僕のところに来ました」と中村は当時を振り返る。

「亀海選手の高いボクシングスキルを活かすも殺すもフィジカル。昔、日本王者だったころは、フィジカルレベルが低すぎました。フックを打ったら肉離れするし、走ればひざが痛くなるし。筋量がなく、ケガばかりでした。

次第にケガをしない体ができて、筋量もついた。(体の)サイズも向上して、あのゲレーロ戦では負けましたけど、スタミナの強化に取り組んだ時期で形としてうまくかみ合い始めていました。たとえ1、2ラウンドが良くても、最後に失速したら意味がないですから。

向上心、探究心というものが非常に強い選手です。ゴメスとの試合が終わってからも、よりフィジカルレベルを上げていこうと彼は一生懸命でした」

ボクシングスキルに追いつくためのフィジカルレベルの向上。アメリカでの成功を目指すにあたってここが一つのカギだった。

亀海は言う。

「階級を上げないほうが、むしろ不安でした。フィジカルとスタミナの強化をしたからこそ、それを活かすために階級を上げる選択をしたわけです」

彼は「今はあまりボクシングを観なくなった」と言う。だが元々はボクシングマニア。それこそコットの試合は「20歳ぐらいから嫌というほど見てます」と言い切る。

デビューしてから、いや、デビューする前から海外で勝負する準備をしていた。L字に構えるガードと柔らかいボディーワークを駆使した省エネ型の攻防一体スタイルは、世界のトップ選手と戦いを見据えて磨き上げてきたものだ。

「世界の一流選手との戦いになれば当然、攻撃する時間が短くなります。疲れないボクシングをしながら、逆に相手を弱らせて失速させる戦いをしなければ、世界を獲ることはできないと思うんです」

若き亀海が真顔で熱く語ったいつかの日のことを、覚えている。

ショルダーロールの使い手は、軽量級のスーパースター、ローマン・ゴンサレスのスタイルとも共通する。方向性が合致する3階級制覇のジェームズ・トニーの動きを見て研究を重ねた。そして本場の戦いを通じて、そのスタイルはフィジカルの強化とともに省エネ型からフルラウンド激闘型のファイターへと変貌を遂げていく。確かなディフェンス技術を軸にインファイトで活路を見出し、肉弾戦で打ち負けないアメリカ仕様だ。

成功体験を得たのが、ソト・カラスとの2連戦だった。

「1試合目は、コンディショニングがうまくいかなかったんです。やっぱり海外での調整は簡単じゃない。それでも10ラウンドフルにソト・カラスと打ち合うことができたのは自信になりました。それに、自分が目指してきたボクシングが、やっとしっくりしてきたなって分かった試合でもありました。

2戦目はコンディショニングがしっかりできたので、体はよく動きました。こっちが先に手を出せたので、スピードとコンビネーションで相手を上回ることができたんです」

フィジカルがスキルに追いつき、表現したいボクシングを実現できるようになった。亀海の充実を目の当たりにしたデラホーヤが、コットの相手として不足なしと判断したのである。

6月下旬、亀海はいつものように所属する帝拳ジムで汗を流していた。力を振り絞ってサンドバッグをノンストップで打ち続けていく。気合いは十分に伝わってくる。

ボクシングキャリアをその名のごとく「亀」のようにのっしのっしと前に進み、「海」に出た。34歳にして誰も真似できないビッグチャンスを手に入れた。

もし、コットに勝ったら?

その質問を口にした途端、亀海が睨みつけるような目でこちらを見た。

「もしってなんですか。俺は勝つことしか考えてないんで」

あのときと同じ真顔をつくったあとで、ミスチル好きのイケメンはフッと笑った。

勝利しか疑っていない、いい目をしていた。