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内山高志とロッキー。

二宮寿朗スポーツライター
現役続行を表明した内山高志。12月31日、王者コラレスとのリマッチが決定した(写真:中西祐介/アフロスポーツ)

現役続行か、引退か。

WBA世界スーパーフェザー級王座を11度防衛し、強者の称号と言えるスーパー王者に認定された内山高志が暫定王者ジェスレル・コラレスに2回TKOで敗れてから半年が過ぎた。そして「続行」を表明してから9日後、コラレスとのダイレクトリマッチが発表された。12月31日、場所は同じく東京・大田区体育館で開催される。

選んだ道は、現役続行。

表明した席で彼はこのように語った。

「(コラレスとの試合が)終わってから1カ月半ぐらい休んで、6月にはジムに通い出していました。段々やりたい気持ちが強くなって、本格的にやり出したのが7月。マスボクシングをやったり、スパーをやったりして、また試合したいという気持ちになりました」

休んだのちに練習を段々とやっていき、まだやれると確信を持てたことで現役を続ける決断に至ったというのが本人による説明である。「気持ちはだいぶ前から固まっていた」が、所属するワタナベジムの世界戦興行が続いていたために渡辺均会長に、復帰を伝えるタイミングが少々遅くなったようだ。

負けてからここまで第2の人生を考えたことはなかったのか?

その質問に、彼はキッパリとこう答えた。

「ボクシングをやめたいと思ったら考えますけど、第2の人生を考えたことはなかったですね」

36歳のベテランボクサーに引退の2文字などハナからなかった。あくまで現役を続ける前提で負けてからの日々を過ごしてきたというわけだ。体と心の状態を確認したうえで<よし、やれる>と続行を宣言するに至った。

筆者としては、ひとつ確かめておきたかったことがあった。

それはボクシングを続ける一番大きな理由。

もう一度世界王座に就きたい、敗北に納得できない、ファンを喜ばせたい、ボクシングを追求したいなどいろいろとあるだろう。心の中で最もウエイトを占めたのは、何か。

彼は言った。

「一番はボクシングをやりたいという気持ちで決めたんですけど、そうさせたのも何かこう、一方的にやられたままやめるというのが……何もしないで終わった感じなので、悔いが残ったというのは相当大きかった。ただ単純に悔しい、と。リベンジしたい気持ちが強かったですね」

リベンジしたい。

それが最大のモチベーションだった。

彼はコラレス戦に負けた3日後から走り始めていた。

11回の防衛のうち、KO勝利は実に9。いくら暫定王者が相手とはいえ世界では無名に近いだけに、内山のKO勝利は固いと思われていた。

しかし蓋を開けてみれば、構えを変えながら奇襲に出てきたコラレスに対応できず、2ラウンドに3度のダウンを奪われてプロ初黒星を喫した。王者のプライドに懸けて、反撃を試みようとしたことが結果的には裏目に出てしまった。何もできないまま、終了のゴングを聞いた。

屈辱というよりもある種、虚無感に近い感情が心を支配したのではないだろうか。

現役続行の意思を明確に固めた折、初めてコラレス戦を映像で振り返ったという。

「気持ちが固まらないで見てしまうと気持ちが落ち込んじゃうかもと思って。よしやるかと思ってから(映像を)見ると、ああここが悪かったと。

試合前にコラレスの映像は確認したけど、自分から出ていくパターンはなかった。だからちょっと意外ではありました。でも一流なら対処しなくちゃいけない。そのままやられてしまったので自分がまだまだ二流だなと感じました」

「自分は二流」との表現で、妥協なく突き詰めてきたはずのボクシングにまだまだ改善の余地があることを思い知ることとなった。コラレスに敗れてからの1カ月半はのんびり過ごして「会えていなかった人たちとも会えた」、「プレッシャーのない日々はいいなとも思った」。だが、すぐに別の感情がこみあげてきた。

「ボクシングには一戦、一戦の緊張感があって、周りのみんなが応援してくれる。みんなの思いが強いんで、心の支えになっていた部分があります。(試合に勝って)喜んで帰ってもらいたい。そのプレッシャーが楽しい。でもそれがなくなると寂しいですね」

まだまだやれることはある。まだまだプレッシャーを楽しめる自分がいる。

だからこそ、どことなくちょっと嬉しそうに見えたのかもしれない。

年齢ではなく、気持ち。

世界王座の日本人最多防衛記録(13度)を誇る具志堅用高が引退したのが25歳。その年齢で内山はサラリーマンを辞めてプロボクサーに転向した。いくら全日本3連覇の実績があるとはいえ「遅すぎる」と、父からも勤務先の社長からも反対された。しかし一度決めたら曲げない性格。折れた社長から「ずっと応援していくから」と最後は快く送り出された。

オールドルーキーのころ。

サラリーマンの安定生活を捨て、春日部にある実家を出て家賃4万5000円の古いアパートに移り住んだ。時計の配送事務のアルバイトをこなしながら、ボクシングに打ち込んだ。生活は困窮し、夜10時過ぎになってから近くのスーパーマーケットに出掛け、半額になった惣菜を買って食べた。

1試合でも負けたら、終わり。そんなプレッシャーにさらされながらも、一方で充実を生み出していた。

いつしか彼は言っていた。

「居心地は良かったですよ。ちゃんと仕事して、結婚もしている友達には遅れを取ったかなって思いましたけど、でも、ここから這い上がってやるぞって。映画の『ロッキー』が好きでしたし、自分でストーリーをつくっちゃっている感じがあったんで」

あれから10年以上が経った。

30歳を過ぎた主人公ロッキー・バルボアは、アポロ・グリードにもクラバー・ラングにもリベンジを果たしてきた。今まさに大好きな『ロッキー』のストーリーをなぞることになる。

リベンジを果たして、雄叫びを上げる。「自分でストーリーをつくっちゃっている」に違いない。

アメリカで初公開されて、今年でちょうど40年だという。

大晦日の夜、内山高志がロッキーになる。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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