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内山高志はそれでもプライドを貫いた。

二宮寿朗スポーツライター
12度目の防衛に失敗した内山高志。2ラウンドに3度のダウンを奪われた(写真:中西祐介/アフロスポーツ)

勝てば100、負ければゼロ。それがボクシングというスポーツである。

25歳でプロデビューして以来ずっと無敗を続け、世界王座に6年以上君臨してきた内山高志に『そのとき』は訪れた。

誰もが王者の勝利を疑わなかった満員の東京・大田区総合体育館は、悲鳴というより困惑の声に包まれていた。

2ラウンド。

暫定王者ジェスレル・コラレスの左カウンターをまともに食らってダウンを奪われ、立ち上がっても足もとがおぼつかない。ダメージが残っていることは明らかだった。

回復を優先するよりも「やり返そう」とした。前に出たところで2度目のダウンを奪われると、ラウンドの終盤には左ストレートで崩れ落ちる。3ノックダウン制のWBAルールにより、この時点で内山のKO負けが確定した。

タイムは2分59秒。

あと1秒しのぎ切っていれば次のラウンドまで1分間の回復時間があり、その後違った展開に持ち込むことも可能ではあった。しかし内山はしのぎ切ることを選択しなかった。 

100は、ゼロになった。

彼は失意を胸に抑え込み、コラレスのほうに歩み寄って勝利を称え、そして四方に礼をしてから静かにリングを降りた。客席に向かって「ごめん」とばかりに両手を合わせて、花道を戻っていった。王者が敗れた場合、気持ちを落ち着かせるまで会見に時間を要するケースも少なくないのだが、内山はすぐに応じている。

「1ラウンドでポイントを取られたと思ったんで、次から行こうという感覚になったんですけど、少しやりづらかった」

「(クリンチの指示は)もちろん聞こえていたんですけど、やっぱりやり返したいという思いがあったので」

「次のラウンド(3ラウンド)に行けばっていう感覚はありましたけど……まあ倒されたのは実力ですね」

言い訳の類は一切なし。そのしっかりとした声は内山を囲む報道陣のうしろ側に立っていた筆者にも届いていた。会見が終わると席を立ち、「ありがとうございました」と報道陣に礼を言った。ベルトを失っても、それは気高い王者の所作だった。

「完全なKO負け」ではあったものの、実力差で負けたと思わない。

パンチ力そのもの、技術、フィジカルでは内山のほうが断然上だという評価は筆者のなかで今でも変わっていない。ただ、コラレスのスピードとトリッキーな動きに対する適応には、もう少し時間が必要だと思えた。前日計量でリミットを400グラムオーバーして2時間以内の再計量でクリアしたコラレスのコンディションを考えれば序盤に相手が勝負に出てくることもある程度は想定できていたはずである。ラウンドは、12もある。2ラウンドを乗り切れば、まだまだ十分に巻き返せる。最初にダウンをしたとき「このラウンドは捨てよう」と何故、割り切らなかったのか。

いや彼からすれば、迷うこともなかった。必然の答えだった。

4月19日、公開練習の際にこう語っていた。

「判定でもKOでもまったく寄せ付けずに、勝ちたいと思います。どこも隙がないと思わせるような試合がしたい。この勝ち方によって(世界の)評価がわかれると思うんで、これだったらどこに行っても負けないという強さを見せなくちゃいけない」

目標であった米国進出は目の前まで来ていた。5階級制覇のノニト・ドネアを破った元WBA世界フェザー級スーパー王者ニコラス・ウォータースとのビッグマッチが急浮上。だが交渉はまとまらず、WBAからは正規王者ハビエル・フォルツナ(ドミニカ)との統一戦を指令され、最終的にコラレスとの対戦に落ち着くという経緯があった。米国進出も消えてしまった。

一時的に士気は下がったかもしれない。だが内山という男は、何より己に厳しい人である。士気が下がったと感じたなら、それを戒めとしたに違いない。「圧倒的に」「まったく寄せ付けず」という言葉の反芻が象徴している。米国でのビッグマッチという目標をかなえるために、厳しいミッションを己に課してきた自負が感じられた。慢心から来る圧勝宣言などでは、まったくなかった。

だからこそ彼は1ラウンドの劣勢を許せなかったのではないか。2ラウンド、最初のダウンを取られた自分を許せなかったのではないか。ガードを上げることよりも、「やり返す」ことに重心を置いたのではないか。王者のプライドと、目標実現の断固たる決意が結局は3度のダウンを許すことになってしまった。

彼は妥協しない毎日を、ずっとずっと繰り返してきた。以前、彼に聞いた言葉がある。

「さぼったら弱くなる。そういう気持ちは小さいころから持っていました。(小学校のとき)朝礼の後に10分間走があって、みんなは話をしながらやっているのに僕はガチでやっちゃうんです。やんないと、足が遅くなると思ってしまう。それはボクシングでも同じ。ボクシングの神様が上から見ていて、『コイツさぼっているから勝たしちゃいけない』と思われたくはないじゃないですか」

独身生活を送る彼は、試合で自宅を離れる際、部屋をきれいに掃除しておくという。その理由を尋ねると「万が一、ダメージが大きくて家に帰れない場合もあるかもしれない。そのまま入院になってしまったら、誰かに部屋にあるものを持ってきてもらうこともありますからね」と答えている。

身も心もきれいにして覚悟を決めて部屋を出て、決戦場へと向かう。そんな内山に、心の隙があったとは到底思えない。その名のごとく「高い志」で臨み、その結果、負けたに過ぎない。

彼は進退を明言していない。

36歳という年齢の問題がある一方で、今の時代、敗北を糧に名ボクサーとなった選手は山ほどいる。やり切ったと引退するか、目標の実現に向けてもう一度走り出すか、内山自身が下す決断は尊重されるべきだと思う。

最後に、繰り返しておきたい。

何も出来ないままKO負けした試合ではある。しかし、己のプライドに懸けて勝負に出た内山高志の価値が傷ついたとは思わない。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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