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ニューレディー・ラボ開設にかける思い

肉乃小路ニクヨニューレディー/コラムニスト/動画クリエイター/ショウガール

ニューレディーの肉乃小路ニクヨです。私の有料記事コンテンツへようこそ。

 私は1996年の6月15日に初めて女装をしました。女装をして満24年。今、25年目を歩き始めています。私はDRAG QUEENとして女装デビューしました。当時プリシラという映画が流行っていて、そのブームに乗ってデビューした世代です。

 DRAG QUEENを始めたのは、私が慶應義塾大学の総合政策学部の学生で1年の休学から明けて中央林間で再び一人暮らしを始めたタイミングでした。休学の間にしていた塾講師のバイトで貯めたお金で、初めてMacintoshのパソコンを買い、インターネットではない電話回線でゲイのパソコン通信にアクセスして、初めてゲイの世界にデビューしたばかりでした。たしかデビューからたった2か月で女装をしたと思います。

 ゲイのパソコン通信でも当時プリシラは大きなブームになっていました。プリシラに出てくるDRAG QUEENはゲイならではのセンスを活かし、カリカチュア(誇張)された異性装をすることで、性別の境界をバカバカしいものにするという存在でした。私はそこに当時のゲイカルチャーの総合芸術を感じました。そこにはファッション、音楽、フィロソフィー(哲学)があり、コメディ(喜劇)とトラジェディ(悲劇)を攪拌する痛快さがあり、面白いなと思ったのです。

 というもっともらしいDRAG QUEENへの挑戦の理由をまず語りましたが、本当はもう一つ別の理由がありました。それは自己承認欲求を満たしたいという理由でした。私は千葉の田舎の子供で、田舎では勉強ができて、家は中の上くらいの生活をしていたので謎の選民意識を持って暮らしていました。でも慶應に入るとそんな田舎っぺで世間知らずの若者の選民意識は軽く吹っ飛び、スクールカースト(階級社会)を目の当たりにして、萎縮したり、卑屈になったりして、鬱屈した学生生活を送っていました。

 その上にゲイであるという事実を受け入れることはとても苦痛な作業で、私は学校に行けなくなってしまったのです。生まれて初めての登校拒否でした。でもDRAG QUEENという仮面をつけることで非日常の存在になり、日常のスクールカーストを超えて、色々な世代や人々とコミュニケーションを取るチャンスをもらえると思ったのです。

 今考えるとそれは自分のアイデンティティーを守るための手段だったのかもしれません。DRAG QUEENをやることで、自分にはこの階級社会と別の世界を知っているという自信が出て、ちゃんと学校にも通えるようになり、無事に卒業をすることができました。女装をやっていなかったら、もしかしたら挫折をして、学校をちゃんと卒業できなかったかもしれません。そういった意味でも当時から女装は私を助けてくれる存在でした。

 さて、DRAG QUEENを始めた私ですが、当時は学業も忙しくバイトをしないタイプの学生だったので、お金がありませんでした。口さがないゲイの先輩からは貧乏女装と陰口を叩かれていました。でも逆境を逆手に取るというゲイのカウンターカルチャーの精神で、ネタに変えて、チープを逆手にとった女装をしました。チープでもせめて中身はゴージャスにと思い、色々と文化的な勉強をしました。映画や音楽を沢山鑑賞しました、その背景や歴史を勉強して話ができるようになりました。その時に吸収したモノの見方や知識が今も私を支えてくれています。

 そうやって女装を続けていくと徐々にイベントで一緒になる仲間が増えてきました。私がデビューの時からお世話になっているブルボンヌさんをはじめ、マツコさんやミッツさんと仲間になれたのも、当時あれこれ考えて、貧乏女装と言われながらも工夫をしながら女装を続けたからだと思います。

 DRAG QUEENとして女装を続けてきた私ですが、社会人としての経験も同時にしていました。

一般の企業で主に営業や営業支援の部署にいました。これもDRAG QUEENという別の顔があったからこそ、下積みや勉強期間を腐らずに続けて来れたのだと思います。会社という組織もヒエラルキーというのは当然ありますが、DRAG QUEENという別の顔があることでどこか冷めた目で組織を客観視できたのだと思います。

 かっこよさげなことばかり書いてしまいましたが、知っている人はよくわかると思うのですが、私は非常に鈍臭く、不器用なタイプの人間で沢山失敗をしてしまいます。その度に周りの人、特になぜか不思議と私の周りには小さい頃から女性が沢山いて、女性に助けられて、粘り強く取り組むことでなんとか人並みに生きていくことができてきました。今も動画配信やショウビジネスの隅っこで活動できているのは女性たちの応援があってこそだと私は思っています。恩返ししたいとかそんな綺麗ごと私には言えません。なぜならこれからも世話になり続けるからです。でもただ世話になるだけではありません。鬱屈したゲイの少年が自分を受け入れたり、新しい価値観や世界観と出会ったり、そこから現代社会を見つめ返して、泣いたり、笑ったり、恥をかいたりして手に入れた知見を皆さんに共有することはできます。

 ニューレディー・ラボはそんな私の知見を惜しみなく皆さんに共有しようと思って作った有料記事配信コミュニティです。今後コロナ禍が落ち着いたら隔月でオフ会も開きたいと思っていますので、登録していただければ優先的にオフ会に申し込みをすることができます。映画感想交換会ではショウガール、ゲイならではの視点を共有します。読書感想交換会では1年と3か月くらいの時間をかけてローマ人の物語を読み進め、歴史的観点から現代社会への振り返りや今に活きる考察を共有し合います。

 有料ですが、私と一緒に研究をし続けることができるということで、感想のアウトプットの仕方を学べます。私の見方や考え方を参考に、良いところは真似して、駄目なところはスルーして、自分の人生のよりよい進め方がきっと見えてきます。

 私は先生ではありません。

あなたと一緒により良く楽しい暮らし方、生き方、考え方を研究し続ける研究パートナーです。私が映画や読書をどのように活かしているのかを皆さんは私の動画などを通じてチェックすることもできます。

またその時々の私の雑感やお勧め情報などを書いた記事を月5本以上見られます。つまらないないなと感じたら、いつでもやめられるのです。

 あなたもぜひ私の研究パートナーになってください。ニューレディー・ラボを育ててください。ニューレディー・ラボとありますが女装する男性に偏見が無い方や面白いと思ってくださる男性の方ももちろん歓迎します。

あなたのご参加を心からお待ちしております。

2020.7.1

肉乃小路ニクヨ

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ニューレディー/コラムニスト/動画クリエイター/ショウガール

慶應義塾大学在学中の1996年より女装を開始する。1999年ドラァグクイーンの全国大会DIVA JAPANにて初代Miss.DIVA JAPANの座に輝きショウガールとして活動。並行して会社員としても勤務。主に銀行と保険会社でキャリアを積む。2015年よりコラムニストとしてWEB MAGAZINEのAMにて連載を開始。2019年よりYahoo!JAPANクリエイターズプログラムとYouTubeにて動画配信を開始。セクシャルマイノリティーとしての葛藤で苦しんだ青少年期のルサンチマンとショウガール・ゲイバーのママ・一般企業の会社員の社会人期に鍛えた人間観察力を活かして、恋愛・ライフハック等を語る。

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