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ベーシックインカムは人類を救わない

成田悠輔イェール大助教授、半熟仮想株式会社代表
(写真:中尾由里子/アフロ)

万人に無条件で一定の所得を政府が保証するベーシックインカム(BI)に熱い視線が注がれている。

生活保護、失業保険など無数の保障がスパゲッティー状に絡み合った現在の制度を一元化するBIは、社会保障の究極的な簡略化・効率化・全面化だ。

BIにもっとどでかい夢を託す人も多い。「稼ぐためだけに生活を切り売りする労働」から人類が解放されるという夢だ。

奴隷解放後も現在までつづく「自発的な強制労働」から解放された人類は、したいこと・すべきことに全生活を捧げられるようになる。そんな筋書を、BIを後押しする資産家はしばしば語る。

「やかましい弱者どもに恨まれると面倒だ、口に札束を突っ込んで黙らせておけ」

とでも言いたげに。

しかし、その夢は夢でしかないと私は考える。なぜか?

労働の経済的重要性はすでに落ちている

BIを待たずとも、すでに人類は労働を必要としなくなりつつあるからだ。

1970年から2018年の半世紀の間、先進国の労働者1人あたりの時間あたりGDPは約3倍になった(OECD統計による、2010年基準実質購買力平価ベースUSドル)。同じ価値を生産するのに1/3の時間しか要しなくなっていることになる。

生産性の劇的向上に伴い、人類は暇を持て余し、大して働かなくても食べていけるようになっている。

実際、1995年から2018年にかけて、日本の常用労働者1人あたりの労働時間は約12%減っている(総務省「労働力調査」と厚生労働省「毎日勤労統計」による)。

生存するために寝ても覚めても働きつづけるしかなかった、前世紀前半までの世界からは想像するのが難しいほど、労働の客観的重要性は落ちているのだ。

「働かなければならない」という強迫観念

にもかかわらず、労働の「主観的」重要性は衰えを知らない。約100の国・地域で実施されている世界価値観調査(World Value Survey)には「働かない人間は怠惰か」「労働は社会に対する責務か」といった質問がある。これらの問いに対する「そう思う」の率は過去30年でほとんど変化していない。

すでに物質的には働かなくてもよくなっているにもかかわらず、「働かなければならない」という強迫観念が消える気配がない。

だとすると、BIで路上から失業者が消えたとしても、失業者の心から「働けず稼げないダメ人間」という負い目が消えることはないのではないだろうか?

BIのある社会では、失業者の心境が悪化する可能性さえある。ドラゴンボールに「精神と時の部屋」があるように、可処分時間は自己精神を、自己反省を、自己嫌悪を増殖させる。

人は暇だと鬱になる。

劣等感が消えず小金と時間だけを与えられて人類が手に入れるのは、働けず稼げない自分へのより純化した自己嫌悪の世界かもしれない。働けず稼げない障がい者を家族に持つ者には既視感のある世界だろう。

お金から解放されるにはお金が必要だという世界観に住むかぎり、私たちがお金から解放されることはない。薬物から解放されるためには薬物で落ち着く必要があるという中毒者の泥沼そのものだからだ。

真に必要なのはBIやお金ではない。稼げない人間、働けない人間でも何の引け目も感じずに生きられるような世界観と人生観の転換なのだ。

謝辞→武市優莉奈さん、藤原ゆかさん

イェール大助教授、半熟仮想株式会社代表

経済学者・データ科学者・教育学者・事業者・執筆者。専門は、データ・アルゴリズム・数学を使ったビジネスと政策(特に教育)のデザイン。東京大学卒業後、MITでPh.D.を取得。事業者として、サイバーエージェント、ZOZOなど多数の企業との共同研究・事業に携わる。研究者として、多分野の国際学術誌に査読付論文を出版。学生時代の共訳著に『ゲーム理論による社会科学の統合』『学校選択制のデザイン』など。Forbes Japan、共同通信のコラムニストも気が向くと務める。ギャンブル魔でアル中の親の下に生まれ、10代の頃父親の失踪や自己破産を経験する。色々あって現在にいたる。

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