『監獄のお姫さま』で宮藤官九郎が描く、チーム女子の結束と、顔の見えない男たち。

 『監獄のお姫さま』の第一話を見た時の印象は「正直、よくわからないなぁ」という感じだった。

 本作は「自立と再生の女子刑務所」で知り合った女たちが、ある女性の汚名を晴らすために、イケメン若社長・板橋吾郎(伊勢谷友介)をクリスマスに監禁して、真実を明らかにしようとする物語だ。

 脚本は連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)などで知られる宮藤官九郎。

 チーフ演出・プロデューサーに金子文紀、企画・編成は磯山晶という『木更津キャッツアイ』を筆頭とするTBSのクドカンドラマ・ブランドを積み上げてきたチームが再結集した。しかも、火10(TBS系の火曜夜10時枠)という『逃げるは恥だが役に立つ』や『カルテット』といった話題作を次々と生み出している、今最も勢いのあるドラマ枠での放送ということもあって、見る前から名作決定と勝手に思い込んでいた。

 もちろん、突然ニュースバラエティの「サンデー・ジャポン」(TBS系)が始まったり、子どもを誘拐する手口の杜撰さや、同じシーンを何度も繰り返したりといったやりとりは面白く、丁寧に作り込まれているなぁと、感心した。しかし、肝心の馬場カヨ(小泉今日子)たち誘拐を決行した女性キャラクターのバックボーンが明らかにならないまま、誘拐脅迫という事件の状況だけが進んでいくので、どうにも気持ちがついていかなかったのだ。

 おそらくこれはドラマ全体がパズル的な構成となっていて、最終話まで見ないとわからない作品だなぁ。と思い、評価は保留にした。

もしも、宮藤官九郎の脚本じゃなかったら継続視聴自体をやめていたかもしれない。

逆にいうと、ちゃんとクドカンドラマの視聴者は全話見てくれるだろうという作り手の絶大な自信を感じた。

 そして、先週、第二話を見たのだが、今回は手応えを感じた。

 

 物語は小泉今日子が演じる馬場カヨが女子刑務所に入所してくるところから始まり、彼女を中心とした誘拐事件を決行する女囚たちと、満島ひかりが演じる看守・若井ふたばの出会いが、コミカルかつ感動的に描かれていた。 

 時系列こそ、イケメン社長を監禁している現在のパートと過去パートの往復となっているものの、彼女達がどういう人物かがわかるだけでも、見え方が全然変わってくる。

 

 その一方で、第一話ではそこまで悪いやつじゃないんじゃないか、むしろ被害者なんじゃないかと見えたイケメン社長の内実が少しずつ明らかになっていく。

 第二話放送日にゲスト出演したラジオ番組「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)の中で、宮藤は本作を第二話から書いたと語っていた。

 だったら「先にこっちを放送してくれ」と思わないでもなかったが、第一話で提示された隙間が埋まっていくことで、これから全貌が明らかになっていくのだろう。

 テンポの良い笑える会話劇に目がいきがちだが、宮藤が脚本家として突出しているのは、時間軸をパズル的に見せることでドラマの世界像を提示する構成力にある。

『木更津キャッツアイ』ではドラマの時間進行を野球のように表と裏の二部構成で見せており、「表」で謎だらけだったシーンが「裏」で明らかになるという見せ方をしていたが、どうやら『監獄のお姫さま』は全話使って、それをやろうとしているようだ。

チーム男子からチーム女子へ

 2002年に放送された『木更津キャッツアイ』は宮藤官九郎の代表作であると同時に2000年代を代表するドラマだったが、『木更津キャッツアイ』で男同士の結束を描いたのに対し、『監獄のお姫さま』では、女同士の結束を描こうとしているように見える。

 さながら、チーム男子の00年代に対する、チーム女子の10年代とでもいう対比だが、これは宮藤だけでなく月9の『民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~』(フジテレビ系)や、金城一紀が脚本を手がけている『奥様は、取り扱い注意』(日本テレビ系)といった作品でも見られる傾向だ。

 2000年代のテレビドラマは『木更津キャッツアイ』のようなジャニーズアイドルやイケメン俳優を中心にキャスティングしたチーム男子モノが席巻した。

 90年代後半はマスコミがこぞって女子高生やギャルを持ち上げており、男の子はロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に出てくる主人公の碇シンジや、神戸で起きた連続殺傷事件に端を発したキレる14歳のような、内向的で鬱屈した形でしか注目されない時代だった。

 対して、『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や『木更津キャッツアイ』のようなクドカンドラマはジャニーズアイドル主演で、当時、日陰の存在だった男の子たちの男子校のつながりを、大友克洋の漫画『AKIRA』(講談社)で言う所の健康優良不良少年たちの共同体として打ち出すことで、少女が必要以上にもてはやされた90年代に対する揺り戻しとして機能していた。

 その流れは後にマイルドヤンキーとして語られるようになり、現在はEXILE TRIBEの『HiGH&LOW』シリーズに繋がっている。

 一方、2010年代のテレビドラマでは、チーム女子モノが多数作られているのだが、そこで同時に描かれているのは彼女たちを抑圧する敵としての男たちが牛耳る保守的な日本社会である。

 おそらく、この流れは2015年に坂元裕二・脚本の『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)で火がついたのだと思う。

 それにしても、チーム女子モノのドラマで描かれる困難を見ていると、結局、日本は男尊女卑の男社会で、メディアでどれだけ女子高生や女子大生やアイドルがチヤホヤされても、社会の中枢にいて、彼女らを選んでいるのは、偉い立場のおっさんたちでしかなかったという身も蓋もない社会を嫌でも実感させられる。

 日々、ニュースで流れるセクハラ、パワハラの報道を見ていると、女の時代と言われた80年代に作られたトレンディドラマは景気がいい時代の余裕の産物だったのだなぁと悲しくなる。

 ハリウッドに目をやると映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ報道が加熱している。そういった男の側の鈍感な暴力に対して、もういい加減にしてほしいという反動が起きていて、おそらくこれは世界的な現象なのだろう。

掴みどころのない男たち

 その意味でチーム女子が保守的な男社会と戦うという構造のドラマが同時多発的に盛り上がるのはある種、時代の必然だと思うのだが、その時に気になるのが、女達の敵として描かれる男や男社会の、何とも言えない所在の無さだろう。

 実は『監獄のお姫さま』における伊勢谷友介が演じるイケメン社長の扱いは、好意的に書きすぎなんじゃないかと心配していた。

 しかし、第二話での馬場カヨとのやりとりを見ていると、このイケメン社長のメッキが剥がれていく過程で露呈していく男のズルさこそが、本作の描きたいことではないかと思った。

 第二話で見応えがあったのは。馬場カヨがイケメン社長に自分が刺した夫と重ねていつの間にか話をし出すシーンだ。この場面、馬場カヨの夫の顔が隠されていてわからないことが恐い。

 見方によっては、自分の夫に対する八つ当たりをイケメン社長にぶつけているようにも見えるが、この顔が見えない男たちの個別性な群体性こそ、実は彼女たちが直面している困難ではないかと思う。

 このシーンを、女を排除した男子校的な共同体を肯定的に描いてきた宮藤官九郎が書いていることについてはもっと考えてもいいのではないかと思う。

 見ていてうしろめたい気持ちになるのは、浮気した馬場カヨの夫が言った「俺だって辛い」とか、イケメン社長が「奥さんだって悪いところがあったんじゃないか」と言ったり、上から目線で「要点まとめてから話しません?」「これだから女は」と言う場面には、そういうことを思ったことが何度かあるよなぁと、思い出したからだ。

 直接口にしなくても、そういうことを一度でも思った瞬間に、群体としての男たちと自分を同一化してしまい、どんどん逃げ場がなくなっていくのである。

 構造の反復によってドラマの厚みを作っていくクドカンのことだ。このシーンは今後、別の登場人物で反復され、その度に男のズルさが玉ねぎの皮を向くように明らかになっていくのだろう。

 今日放送される第三話が楽しみである。