コンプライアンス(遵法)と法執行の関係 -グローバルなルール比較のために考えるべきこと-

私は常々以下のような課題意識を持っており、同じような見解を見かけることも多い。

・ルールが厳しくても往々にして執行が緩やかなのでそこでバランスを取りながら現実に守れるレベルを調整している国がたくさんある。

・日本の場合は人々のコンプライアンス(遵法)意識が高いため、皆がルールに書かれたとおりに、ときにはそれを超えても厳格に守ろうとするため、諸外国のように厳しいルールにしてしまうとバランスを図る余地を確保するところがなくなってしまうために皆が動けなくなってしまうことがある。

もちろん国民一人ひとりがコンプライアンス(遵法)の精神を持ち、その意識を高めていくことは安全な社会を支えている基盤であり大切なことである。そして、そういった社会基盤を前提としてルール作りをどう考えて行くべきかが課題である。

先日、シンガポールの法律事務所で勤務されていて帰国されたばかりの弁護士の方からも次のような話を聞いた。シンガポールで施行された新しい法律について、現地に進出している日本の企業は真面目に遵守しようとして法律事務所に相談をしに来るのに対して、現地の企業は全く相談に来ない。不思議に思って、現地の弁護士に理由を尋ねたところ、現地のほとんどの企業は新しくできた法律には関心がなく、事件や事故が起こって対応を迫られるまでは積極的に動くことはないという答えであったということである。それを聞いた弁護士の方は日本企業の対応との相違に驚いた、ということを話していた。一人の現地の弁護士の意見をシンガポールの状況の一般論だと言いたいわけではないが、上記の課題意識を再認識させられた。

我が国では、新たな法律ができるときや、既存の法律が改正されるときには、事前に様々な説明会やセミナーが開催されるのが通例であり、施行と同時に対応ができるように十分に準備をしていくというのが一般的な日本の企業の姿である。また、そういった法律の改正などのタイミングだけではなく、法律を守るために自主的な取り組みが積極的になされていることもある。例えば、広告の分野においては日本広告審査機構という団体が1974年に設立されており、法律上は何ら権限をもっていない団体でありながら、不適切な広告活動が行われないように法律などに抵触している会社に勧告などを行ってきている。そして、勧告を行う対象は団体の会員社に限っておらず、自主的な活動と言いながら団体の枠を超えてコンプライアンスを徹底しようというものの例である。

国によってコンプライアンス意識が相違している場合において、法律の国際比較をしていくことは難しい。特に、法律の実効性という観点から実態に基づく国際比較をしていくことは容易ではない。7月9日に開かれた慶應義塾大学国際インターネット政策研究会主催の第三回マルチステイクホルダーフォーラムでは、ニューサウスウェールズ大学法学部のグリーンリーフ教授が、冒頭に述べたような課題意識を発言したある参加者に対して「認識は間違っていないが、コンプライアンスと法執行の問題は別な問題である。コンプライアンス意識が高いからといって、法規制の水準を厳しくしないとすれば海外からみればインターオペラビリテリィに欠ける制度にしかみえない。」という趣旨の発言をされていた。確かに、コンプライアンスと法執行とは並べて議論できるものではない。一方で、表面的なルールだけの比較をすることでは実体面での差を縮めることはできず、場合によっては単純な比較をすることでは課題意識にあるような不合理な結果がもたらされる可能性もある。インターオペラビリティも運用ベースでの実現性が等しくなることが前提でなければならない。ビジネスがグローバルに展開されている現在、ルール共通化が求めることは不可避になっているものの、どこを見て共通化を図って行けば良いのであろうか。

国民のルールに対する感受性の高さを(これを国民性と言ってしまえるかどうかは、きちんと研究しなければ分からないが)容易に変えることは難しいし、高いコンプライアンス意識があることはむしろ望ましいというべき状態である。それを前提にして、ルールが厳しくて強い執行権限まで定められていながら事実上はルール違反が許容されてしまっていて権利保護に欠けている状態と、ルールはそれほど厳しくはないがコンプライアンス意識に支えられて一定水準の権利保護が図られている状態とがあったとした場合に、果たしてこれを比較することは可能なのであろうか。

探してみると例はありそうだ。例えば刑事法の分野では犯罪に対する罰則がどれだけ厳しいかだけが単純に国際比較されることはない。刑事法のもとで担保することによって達成したい「国民の安全」は、量刑の比較や刑事訴訟法の手続の比較によって行われているのではなく犯罪の発生率や検挙率などによって比較されている。他の権利の保護についても、このようなものを参考に、法律の比較ではなく実態上の保護のレベルや水準を評価する指標をKPI(Key Performance Index)とし設定して比較をしていってはどうだろうか。例えば、TPP交渉の中の著作権分野における交渉の中に、著作権侵害罪を親告罪から非親告罪にという議論が含まれていると聞いているが、我が国における著作権保護の水準は決して低いものではなく、その水準を数値として明示するとともに、何がその水準を維持させているのかという分析も行い逆提案するような努力も必要なのではないか。(指標を考えて行くわかりやすい一例として考えてみたものにすぎず、我が国がTPP交渉においてどのようなスタンスをとるべきかという意見を記述したものではない。)

また、評価指標を設定することは、以前に述べた、科学的に立法事実を考えて行くことにもつながって行くという観点からも重要であることは付言しておきたい。

実効性指標を欠いたまま海外から規制が緩いように見えると批判され続けていることは合理的ではない。規制がいくら厳しくても守られないルールを作っている国に対して「フェアにあるべきだ」と働きかけて行き、法律遵守という観点での日本の優位性をアピールする工夫が求められているのではないか。