日本の未来に対する責任は誰がどう担っているのだろうか。国全体のグランドデザインを考えてリードする役割の重要な部分が政府によって担われることは否定しない。しかし、誰が責任を持つべきものなのであろうか。

未来を考える際に、様々な視点でみていくことが必要であるが、ここでは「経済」をどうしていくのかということを主題としたい。経済の在り方を抜きに未来を考えることはできない。日本という国は経済成長を通じて人々の生活基盤をつくり、様々な世の中の仕組を作ってきたからである。そして、国民の消費を支える家計収入も経済活動に依存しているからである。

今の日本の政策は所謂アベノミクスを柱として経済成長を目指しており、そこは高く評価できる。しかし、国ができることは限られている。大きく言えば、徴税、予算の執行、法律の制定、金融政策の4つが国の機能である。アベノミクスは、金融政策を成功裏に使い、予算の執行についても積極的な財政支出により一定の効果を出している。しかし、持続した経済成長のためには、それらが実経済の成長に繋がって行かなければならない。既にその点を指摘する声も多く聞かれる。そして、経済活動の自由を保障し、経済成長を促すためには規制改革に期待するところが大きい。少なくともグローバル化した競争の中で国内企業が海外企業と競って行くためにはグローバル市場の一部として日本に参入してきている海外企業と同じ規制水準となることが不可欠である。規制の観点から、日本の規制が日本市場に参入している海外企業に対して執行されずあたかも一国二制度となるような状況は速やかに解消する必要がある。

一方で経済成長のために国ができることには限界がある。未来のためには、予測されている生産人口の減少を補う以上の生産性の向上を目指さなければならない。イノベーションを創出し、産業力を強化し、生産性を上げて行くことができる主体は、事業主体(企業に限らず個人商店なども含む)であり国ではない。環境整備を国の役割として期待しつつ、事業主体がその責任を果たさなければならない。国民の生活を支えている経済活動は事業主体の実業が産み出しているからである。

今日、懸念していることは、事業主体にチャレンジ精神の希薄さが感じられる点である。これまでの経済成長は、例えば製造メーカーの品質や安全性向上への取り組みなどが支えてきた一方で、様々なチャレンジが行われてきた。ダイエーは薬局で販売する医薬品を安く売るために様々な工夫をし、公正取引委員会などにも働きかけを行った歴史がある。ヤマト運輸が宅急便を開拓してきたのもチャレンジの歴史である。銀行が裁判所での紛争を経ながら積み重ねて法制化にたどりついたものが譲渡担保の制度である。古くは薬局開設時の距離制限に異を唱えて、薬事法の違憲判決を勝ち取った例もある。私たちは先人達が積み重ねてきたチャレンジのうえに立ってビジネスを行っている。私たちの世代も、チャレンジを続け、その成果を次の世代のためにつなげて行かなければならない。

このところ、事業主体の側から「今のルールでは、どこまでが良くて、どこからが悪いが分かりにくいからルールを明確にしてほしい」という声を聞く。もちろん、ルールは明確な方が判断に迷う必要がなく効率的に事業を実施できる。しかし境界線を明確にすることを国にお任せするという姿勢で良いのだろうか。規制改革会議が流通分野についての公正取引委員会のガイドラインを取り上げている。委員の一人は、ソフトローであるガイドラインは法規制ではなくガイドラインに過ぎず、それが良くないと思ったのであれば行動して裁判所で争って行くということが法治国家の仕組みであるのに事業主体がそういった取り組みを行わずに、何でもかんでも規制改革会議に持ち込むということで自立した産業構造、成長戦略、国民の選択肢の拡大などはあり得ない、と述べている。消費を支える事業主体自身が、良い商品やサービスを適正に提供することができるように裁判なども通じたルールメイキングについて努力しなければならないのではないか。一部の悪質な事業者のためにその他多くの善良な事業者が自由度を奪われてやりたいことに足かせがかかれば、まわりまわって消費者にも良いサービスを届けることはできないことにつながる。プライバシー保護を巡る議論でも、事業主体からは意見が出しにくいという声も耳にしている状態は果たして社会にとって良いことなのであろうか。

様々な試みや主張をすることは、反対の意見にも直面することになろう。しかし、事業主体が収益を上げることができる理由は、事業を通じて社会に有益な価値をもたらすからであって、その社会的有用性が優っているのであれば反対する意見に耳を傾けつつも、チャレンジはし続けなければならない。未来の経済成長に責任を持つことができるのは、事業主体に他ならない。今、事業主体に求められていることは、基本的な社会的使命を自覚して、自信を持ってチャレンジをすることである。