なぜ今、広告業界を舞台としたドラマは当たらないのか。

 この7月改編から始まったテレビドラマも、おおむね趨勢が見えてきたようです。

 特段、話題作とかヒット作とかないよなぁ…といった感じでしょうか。そんな中、大学で広告論などを講じている手前、個人的には「営業部長吉良奈津子」(フジテレビ、木曜22時)と「ノンママ白書」(東海テレビ(フジテレビ系列)、土曜深夜)に注目していました。以前から、広告業界がどう映画・ドラマ・マンガ・小説などの中で描かれているのか(きたのか)に、興味・関心を持っていたものので(ティファニーの広報担当者が主人公のドラマは、とりあえずおいといて)。

 ここまで両番組を観てきた感想を一言でいうと、ちょっと残念。そうとしか言いようがありません。では、なぜそうに思ってしまったのか…を、なんとか言語化してみます。

リアリティが生命線だったのだが。

 もちろん、「営業部長吉良奈津子」(以下、吉良)も「ノンママ白書」(以下、白書)も、広告業界を描くことがメインのテーマではありません。吉良の場合は「ワー(キング)ママ」のリアルを、白書の場合は「ノンママ」のリアルを描こうとするものです(白書にワーママも出てきますが、それはノンママとの比較対象として)。子育てしつつ働くのか、子どもをもうけずに働くのか。40~50才の女性たちの、日々の葛藤を描くという、けっこうシリアスな社会的テーマを扱っています。ゆえに、その仕事の現場もそれなりにリアリティをもって描かれていなければ、説得力がないということになってしまいます。

 そこがまず残念。特に吉良の方は、広告業界ないし広告代理店ってこういうところだろう、会社ってこういうものだろうという予断が強すぎるのでは。ありがちな派閥争いの描き方など、類型的な表現が目立ちます。CMプランナーだった吉良奈津子が現場から3年離れていて、復帰後もクリエイターとして以前と同様に働けると思う時点で、ちょっとおかしい。カンも鈍れば、かつてのクライアントともいったん切れてしまっている以上、すぐに仕事があるんだろうか…と思い悩んで当然でしょう。それに、そもそも3年の産休・育休って公務員くらいしかありえないのでは。吉良奈津子、まったく所帯やつれしてないし、保活(保育所確保活動)に苦しんでる様子もないし。

 広告業界を舞台ないし背景としたドラマでいえば、「木下部長とボク」(読売テレビ、2010年)や「ゴーイングマイホーム」(関西テレビ、2012年)などはファンタジーなので、リアリティはとくに要求されません(しかし木下部長は大宮エリー、ゴーイングは是枝裕和と、その世界に長く関わってきた作り手によるものなので、安心して観てられました)。ファンタジーと言えば、「奥さまは魔女」(TBS、2004年)のダーリン(原田泰造)も広告代理店勤務でした(もともとのアメリカ版がそうだったので)。魔女の夫といったコミカルな役ならはまっても、吉良奈津子(松嶋菜々子)の夫が原田泰造というのには違和感が…。ところで吉良の毎回ラストに流れるナレーションの感じは、ひょっとしたら「奥さまは魔女」のそれ(by中村正)を意識してるんでしょうか。あと関係ないですが、「ゴーイングマイホーム」でも「アットホームダッド」(関西テレビ、2004年)でも、阿部寛はCMクリエイター役でした。なぜ?

 同じフジテレビでも「サプリ」(2006年)は、原作マンガの作者が広告代理店出身なので、さすがにリアリティありました。主人公の独身女性CMプランナー(伊東美咲)が、徹夜明けのオフィスで椅子並べて仮眠するは、忙し過ぎてカレにふられるはで。同様に「恋ノチカラ」(フジテレビ、2002年)の深津絵里もさまになってました。「ラブジェネレーション」(フジテレビ、1997年)に関しては、木村拓哉がどんな役で出てきても視聴率30%超となる時期のことなので、リアリティもへったくれもないですが、この時木村拓哉は栄光エージェンシーの社員でクリエイティブ部門から営業に不本意ながら異動させられて…という設定でした。考えてみれば、吉良と同じプロット。あれから20年の歳月が…。

 白書の方は、限られた制作予算の中でなんとか広告業界の「シズル(←広告業界用語です。ここでは臨場感くらいにご理解ください)」を出そうと頑張ってはいますが、主人公土井(鈴木保奈美)と同期入社で上司、かつ元恋人役の高橋克典を見るたびに、「でも、あんたは電王堂の特命係長只野仁やん」と思ってしまいます。やはり総じて登場人物は類型的な感じ。「MADMEN」(1960年代のアメリカ広告業界を舞台としたテレビドラマ)のようにとまでは言いませんが、この先もう少し登場人物の造形が、彫りの深いものとなっていくことを期待します。これまた関係ないですが、土井の友人役の菊池桃子は、かつて「恋はハイホー!」(日本テレビ、1987年)というドラマでCM制作会社の見習社員を演じたそう。菊池桃子の初主演作だとか。それから30年の歳月が…。

リアリティがあったとしても。

 しかし、ワーママやノンママを描こうとした時、別に何でもいいはずなのに、なぜ広告代理店勤務という設定が選ばれたのでしょうか。

 もしその世界がリアリティをもって描かれていたら、それなりにヒットするドラマとなったのでしょうか。

 …

 いや、どうも違うような気がしてなりません。

 ひょっとしたら今でもテレビドラマの作り手・送り手側は、「視聴者はマスコミの世界、とりわけ広告業界の実像なり内幕なりに興味を持っている」と思っているのでは。でも、もうそれは幻想なのでは…。

 もちろん以前ほどではないにせよ、大学生の間にマスコミ就職熱、広告業界志望などは依然あります。ですが、どうしてもマスコミに!みたいな学生は減りました。放送から通信へ、マス広告からネット広告へみたいな流れは、就活動向を眺めていても感じます。

 フジテレビが「ギョーカイ君が行く!」(1987年、主演とんねるず)など、マスコミ「ギョーカイものドラマ」を連発してたのは、1980年代の話です(意外なことに、田原俊彦が広告マンを演じた1989年の「俺たちの時代」はTBS)。映画ですが、広告業界を舞台ないし背景とした「そろばんずく」(1986年、主演とんねるず、製作日枝久・亀淵昭信など)や「波の数だけ抱きしめて」(1991年、ただし時代設定は1982年、監督馬場康夫、製作フジテレビ・小学館)などもこの時期のもの。マンガでも「東京エイティーズ」や初期の「課長島耕作」など、広告ものは総じて80年代臭が漂います。その時代背景とともに、理解されるべき作品なのでしょう(「気まぐれコンセプト」はもはやサザエさん化し、時代を超越していますが)。まぁ、当時はテレビを中心としたマスメディア最盛期でした。インターネットもケータイも、ましてやスマホも、影も形もない頃の話です。

 もちろん吉良も白書も、F2(35~49才の女性)・F3(50才以上の女性)狙いだから、これでいいのだということなのかもしれません。しかし、当たり前のごとく「広告業界とかマスコミとかのこと、知りたいんでしょ?」と言われたら、この年代の人たちでも、「別に…」となってしまいます。もちろん地上波テレビは、まだまだ強力な媒体です。でも、自分たちの世界が、存在が、世間の興味を集めてるとまだ思ってんのかよぉ、注目されて当然だと思ってるんだぁ、というのがここ10年くらいの反応では。

 ちょっと話がずれるようですが、2011年夏、お台場で「フジテレビは韓流ごり押しをやめろ」デモがありました。その時は、産経新聞のフジテレビが反日って???と思いましたが、以下のようないわゆる「ネトウヨ(ネット右翼)」分析を読んで、腑に落ちるところ大でした。

「敵手として設定されたのは、朝日新聞、NHK、フジテレビなどである。その際、朝日新聞やNHKは、特に言論機関としてのマスメディアを代表する存在として攻撃対象とされていた。一方でフジテレビは、特に娯楽産業としてのマスメディアを代表する存在として攻撃対象とされていた。いわば「左翼知識人」としての言論エリートの権力性を象徴する存在である朝日新聞やNHKと、「華やか業界人」としての娯楽エリートの権力性を象徴する存在であるフジテレビとを両面から叩くことを通じて彼らは、その両者によって主導されてきた日本のマスメディア文化全体、その構造そのものを批判しようとしたわけである。さらに言えば、教条的で高慢な左翼知識人と、無節操で傲慢な華やか業界人との両者によって構築されてきた日本の文化レジームそのものに異議を申し立てようとしたわけである」

出典:伊藤昌亮(2015)「ネット右翼とは何か」山崎望編『奇妙なナショナリズムの時代:排外主義に抗して』岩波書店、49p。

 当時の2ちゃんねらーなどには「反マスメディア・フレーム(=ものの見方)」が共有されており、自分たちは「対抗的メディアの担い手である」「体制(レジーム)に抗する者である」との自意識というか、自尊感情があったわけです。こうした感覚は、けっこう一般的にシェアされていたのでは。

 ここまでの論の流れに即して言えば、テレビ局自らが「(マスコミの花形である)放送業界・広告業界は、トレンドの先端を行き、みなの関心を集め、脚光を浴びる存在なんだよね」とごり押しするのはやめろ、みたいな感情が、この社会には潜在しているのではないかということです。そこに吉良もしくは白書とこられても…、興ざめだよなぁ…となってしまうのでは。

 

ギョーカイものの行方。

 医療業界、警察業界、教育業界など、テレビドラマはさまざまな職業世界を取り上げてきました。しかし、カタカナ書きの「ギョーカイもの」となると、マスメディアないしコンテンツ産業の周辺を描いたものとなります。でも今後、もしギョーカイものに目(ないし芽)があるとするならば、マスにこだわらず、メディア産業(通信産業含む)全般に題材を求めたほうがいいのでは。天才的なCMプランナーやクリエイティブディレクターよりも、画期的なアプリの制作者(チーム)の物語の方が、人々の関心をひきそうです。facebook創業者を追った映画“The Social Network”も、google本社が舞台となった“The Internship”もけっこう楽しめました(“Steve Jobes”などアップルものは未見なので)。映画のデキ云々という以上に、今観たい世界・業界を映してくれているから、おもしろいのだと思います。

 インターネット広告費は、2004年にラジオ広告費を、2006年に雑誌広告費を、2009年には新聞広告費を追い越しました。テレビ広告費を凌駕するのも、もう時間の問題でしょう。

 しかしテレビにも、1957年に雑誌広告費を、1959年にラジオ広告費を、1975年に新聞広告費を追い抜くといった青春期(?)がありました。その頃のテレビは、おもしろいと思うものを何でも貪欲に取り入れる勢いがあったと思います。ネットビジネスの世界や通信キャリア間の競争を描いたテレビドラマがあってもいいし、それを観るディバイスがTV受像機でなくてもいい…みたいな開き直りがほしいところです(マネタイズの点がどうなるかは?ですが)。

 最後に個人的に好きな広告ものコンテンツを。ドラマなら「MADMEN」。映画なら「クレイマー、クレイマー」(原題“Kramer vs. Kramer”)。脇役ですが「再会の時」のスノッブなアドマンや、「さらば青春の光」のジミーがメールボーイをやっていた広告代理店なども、印象的でした(“Absolute Beginners”でのデヴィッド・ボウイの怪しい広告業界人というのもありました)。マンガだと、しりあがり寿「少年マーケッター五郎」。さすが元キリンビール・マーケティング部。地味だけど「Big Hearts」。林明輝さんも広告代理店出身です。