雑誌の未来(の無さ)について考える。

いずれも昨年末に刊行されたました。お薦めです。

昨年末、雑誌をメディア史的に考える上での好著が三冊、たて続けに出版されました。発行からちょっと間が空いてしまいましたが、その三冊を肴に雑誌の来し方行く末について考えてみたいと思います。

佐藤卓己編『青年と雑誌の黄金時代:若者はなぜそれを読んでいたのか』岩波書店

最近、日本マスコミュニケーション学会の研究会として、この本の合評セッションがあり、のぞいてきました。

同書で取り上げられている雑誌は、『蛍雪時代』『葦』『人生手帖』『現代思想』『non-no』『ぴあ』『ロードショー』『ロッキング・オン』『CQ ham radio』『百万人の英語』『ファミマガ』『ファミ通』『電撃PlayStation』。時代的には20世紀の後ろ半分といった感じでしょうか。

合評会の会場に集まった、この本の書き手も、評し手も、両者の応答の聞き手も、皆、研究者です。大御所の先生もお見えでしたが、年齢的には30~40代中心の会でした(学問の世界では、30~40代はじゅうぶん若手です)。

とりあげられた雑誌の性格もあるのでしょうが、こちらの心に浮かんだキーワードは、「前衛」「教養」「向上心」「啓蒙・啓発」「先達・先進」「未来」「都会(上京)志向」「センス(の良さ)」などなど。要するに、雑誌の送り手(編集者や著者・作者など)側が、読み手をリードする存在だった時代もあったよなぁ、ということです。正統な教養や規範、新たな情報や知識が、下々(しもじも)へと滴り落ちていく蛇口としての雑誌(編集部)。

もちろん、情報カタログ誌などの誌面は、教え諭すというよりは、はば広く選択肢を提示するということなのでしょう。しかし、情報の早さや多さ、趣味の良し悪しの判断において、編集側の優位はゆるぎないものでした。

ホビー誌にしても、仲間同士の横のつながりという色合いもあるものの、基本的には、その世界での規律・規則の伝授、上級者を目ざしての自己の陶冶・改善などなど。要するに雑誌の読者共同体において先輩・後輩関係はゆるぎなく、もちろん送り手は確固として先輩側でした(最近の「パイセン」的な軽さではなく)。

本橋信宏・東良美季『エロ本黄金時代』河出書房新社

ところが、そうした権威や上下関係(ヒエラルキー)が壊れ始めたのが1980年代です。パンクムーブメントからニューウェイブへの流れ。ノーフューチャーですから、未来や進歩、理想を信じません。目ざすべき大人像、身につけるべきルール、憧れるべき外国などはすでになく、メインストリームの価値観への反発、アンダーグラウンドやオルターナティブな世界の称揚、そしてそこへの耽溺etc.

そうした自由と解放感が、自販機本からAV勃興期のエロ雑誌業界には渦巻いていました。

しかし、そうした非日常も、いつしか日常となっていきます。未知の世界、新たな地平を垣間見せてくれる雑誌…は、この領域でも消えていきました。

長谷川晶一『ギャルと「僕ら」の20年史:女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉』亜紀書房

1990年代からのギャル(男)誌の時代となると、編集側はもはや先輩でもありません。読者たちの遊び相手、くらいの位置づけです。おもしろいもの、新しいものは、私たちが見つける、つくる。だから、雑誌はそれを拾ってよ、追いかけてよ…。求められたのは、仰ぎ見るカリスマやプロフェッショナルよりも、身近なひな形(モデル)。要は、読者モデルです。

仲間内の情報や流行が、循環するための装置としての雑誌。上から滴り落ちてくるというより、路上付近で対流している感じです。しかし、1990年代はインターネット前夜。都鄙(都会と地方)の情報格差、趣味の落差は歴然としていました。それゆえ、まだしも雑誌へのニーズはありました。

しかし、ロードサイドにショッピングモールがいきわたり、昔は○○銀座だった地方都市の駅前が、小渋谷と化していった2000年代。またメディア環境の激変により、仲間内の情報環流は、スマホとSNSで事足りるようになっていきます。

クラスマガジンからマガジンクラスへ

そうは言いつつも、まだまだ今でも雑誌は発行され続けています。

雑誌黄金期を経験した世代にとって、三つ子の魂ではないのでしょうが、雑誌に教えを請う習性は残り続けます。紙や印刷物に対するフェティシズムも、そう簡単には無くならないでしょう。また、かつての熱狂はないにせよ、若者たちが雑誌を見ないわけではないようです。

ただし、それは向上心や知識欲などが、まだしもある層に限られた行為のようにも思えます。雑誌に興味を持ち、時に買い求められるのは、それなりの文化的・経済的なバックグラウンドをもつ人々(フリーペーパーは除外して、若者たちの有料コンテンツ(=雑誌・新聞)を忌避する傾向は、近年加速の度合いを増しています)。

かつて、ハイブロウな人々にむけての雑誌をクラスマガジンと言いましたが、もう雑誌を読み続けること自体が、一定以上のクラスにあることの証左のようにも思います。いわば、マガジンクラスの誕生。いつの間にかネットがマスメディアとなり、紙の雑誌はセグメント型のメディアとなったようです。

そう言えば、エロ雑誌やギャル誌が、簡単にネットやモバイルに代替されていった一方で、『青年と雑誌の黄金時代』的なものの方が、しぶとく生き残っています(少なくとも研究者界隈では)。勉強すること、知識を蓄えること、技能が向上することの喜びが、完全に消滅するとは思えません。ストイシズムという名の快楽です。

誰もアマチュア無線をやらなくなったら、『CQ ham radio』は消えるでしょうが。