強制力のある対策を打ち出せない日本組織/企業の弱点ー新型コロナウイルス対策ー

写真:ロイター/アフロ

新型コロナウイルスの感染拡大に対し、国や自治体、あるいは組織でもさまざまな対策を打ち出し、その対策一つ一つに疑問や不安の声があがっている。

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」への対応については、クルーズ船に乗員乗客を14日間以上船内待機させたことや、ウイルス検査の結果が陰性の方を下船後そのまま帰宅させたことについて国内外から批判や対策の甘さが指摘された。

大規模イベントの開催については、主催者判断に委ねるとのあいまいな政府の発表により、同じ地域内でもイベントを開催したり、しなかったり対応が異なり、主催者や参加者からは戸惑いの声も聞こえる。

今が感染拡大の初期段階であることには大方の共通理解が得られているのだろうが、個人の自由や経済活動が規制されるため慎重な意見も強く、政府も強制力を持った施策(例えば後に説明する新型インフルエンザ等特別措置法)を打ち出せずにいるのだろう(もちろん東京2020大会への影響が大きな理由ではあるだろうが)。

各企業レベルでも、マスク着用を促したり、イベント参加の自粛、在宅勤務の推奨などの措置を講じる動きが増えているが、義務付けてまで徹底している企業は多くはない。

危機管理の専門メディアであるリスク対策.comが企業を対象に実施したアンケートによると、「マスクの着用や咳エチケットの呼びかけ」は90%を超える企業で実施されているが、このうち徹底して実施しているとの回答は42.5%。イベント参加の自粛や禁止については、何らかの基準を設けて実施しているのが32.2%で、そのうち徹底して実施しているのは13.8%だった。しかし、これらの「徹底」も、強制力があるものなのか、努力義務なのか、あいまいさは否めない。今流行りの「在宅勤務」(実施しているは19.1%で徹底しているは5.8%)についても、推奨がほとんどで義務付けという規則を設けている企業は少ないはずだ。おそらく、自宅で仕事をしても労働時間としてカウントするので、会社に来る必要がない、というのが大半な企業のいうところの「在宅勤務」だろう。しかし、会社で仮に感染者が発生した際に「会社に来るな」と強制力を持った在宅勤務が命ぜられるだろうか? そもそも最も在宅勤務すべきなのは、感染した際に重篤化するリスクが高い高齢者や持病を持っている人であるはずなのに、そうした人がブルーカラー的な仕事を任せられているがゆえに、在宅では仕事ができず、結果的に感染リスクが高い状態に晒されたままになっているというおかしな現象も起きている。

リスクマネジメントとクライシスマネジメント

ところで、日本語の「危機管理」という言葉は、事故や災害が起きる前に、なるべくそのリスクを洗い出し、そうした事故が起きないように、あるいは起きても被害を減らすように事前対策を講じる「リスクマネジメント」と、実際に事故や災害が起きた後にその被害をなるべく小さくする「クライシスマネジメント」の2つの言葉が組み合わさった概念として使われることが多いが、前者においては、ガバナンスが求められ、後者においてはガバメントが求められる。

ガバナンス(governance)とは古代ギリシャ語の「舵取り」に由来する言葉で「組織などをまとめあげるために方針やルールなどを決めて、それらを組織内にあまねく行き渡らせて実行させること」である。その主体は権力者とは限らず、むしろ一般市民も含め、対象となる人々の合意形成の実質的なプロセスにあたる。一人一人の意見を聞くなどして、それぞれが納得いくルールを作っていく過程がガバナンスだ。

一方、ガバメント(government)は、政府が上の立場から行う法的拘束力のある統治システムとして使われるケースが多いが、要は、政府でなくても、特定の立場の人たちが、権力を行使して、集団に対して一定の秩序を付与しようとすることと考えることができる。もちろんガバメントには、独裁的な、あるいは間違った判断が行われないようにする仕組みが必要になる。

ではなぜ、リスクマネジメントにガバナンスが求められるのか。それは、一人一人がリスクをどう定義し、受けとめるかは一律・同一なものではなく、それぞれの立場によって受け止め方が異なるからだ。

例えば家の中にちょっとした段差があったとする。子供や高齢者にとってその段差は大きなリスクに映るが、大人からすると気付きもしないためリスクとは考えられていないことが起き得る。逆に、大人がぶつかりそうな梁があったとすると、子供にしてみたら届くわけもないためリスクとしては受け止められていない。それでも家庭の中には同じリスクとして存在していて、どちらかがケガをすることで家族は大変なことになる。新型コロナウイルスにあてはめて考えれば、そのリスクを重大と見る人もいるし、大したことがないと考える人もいる。このようなことを主観的リスクと客観的リスクというような言い方をするが、そもそも、ある事象をいかにとらえるか、その枠組み(フレーム)によって一人一人の主観的リスクは変動するということだ。だからこそ、組織がリスクマネジメントを行うには、誰に対してどのようなリスクがあるのかを把握し、そのリスクを回避、軽減するための一定のルールを作る必要がある。ここで求められるのがガバナンスとなる。つまり、なるべくそれぞれの意見を聞いて、合意形成を得ながらルールをつくっていく過程となる。

ガバメントが機能しない国

一方、いざ危機が顕在化して発生した際には、それぞれの意見を聞いて合意形成を図っているような時間はなく、権力を持ってでも人々の行動を統制するガバメントが求められる。なぜなら、一人一人がそれぞれの考えに基づき勝手に行動を続ければ、その人が危険にさらされるばかりか、その人を助けようとする人、さらにその人の家族、周辺の人にも影響を与えてしまう。感染症はなおさらで、こうした人がウイルスをばら撒くことにもなる。

さらに、災害でも言われていることだが、危険が発生しているにもかかわらず安全行動をとらずに周りの人と同じように行動しようとする集団性バイアス、自分だけは大丈夫だと思ってしまう楽観性バイアス、自分は対策がしっかりしているから大丈夫だと思ってしまうベテランバイアスが加わり、さらには、自分は感染しても問題ないから普段通りの行動を取り続ける、というリスクテイカーまでもが現れ、人々の行動はバラバラになる。したがって、こうした行動を規制するために、一定の強制力を持ったガバメントが求められるようになる。その際、トップが適切な指示を出せるようにするためには、専門的知見からの分析に加え、必要となる資源や資金の把握、それをわかりやすく伝える広報担当など、トップを支援する機能が必要になる。アメリカのCDC(米国疾病対策予防センター)はその最強チームとも言えるが、感染症に限らず自然災害についても、こうした専門的な知見を持った組織が国内には十分整備されていない。

そもそも日本は、ガバメントや権力に対して極めて慎重になる傾向がある。その際たるものが、安倍首相が目論む憲法への「緊急事態条項」の追加。すなわち、「大災害や武力攻撃などによって国家の秩序などが脅かされる状況に陥った場合、政府などの一部機関に大幅な権限を与えたり、人権保障を停止したりする、非常措置をとる」ことを定めた規定なのだが、過去の戦争の苦い経験から反対の声も依然として強い。

クライシスのトリガー

この問題を論じることはさておき、感染症では、新型インフルエンザ等特別措置法という法律がある。全国的かつ急速なまん延により、国民の生活および経済に甚大な影響を及ぼし、またはそのおそれがあるものとして政令で定める要件に該当する事態となった場合、内閣総理大臣は「新型インフルエンザ等緊急事態宣言」を行う。緊急事態宣言がなされると、都道府県知事は住民に対し外出の自粛を要請できる。さらに、罰則はないものの、原則1000平方メートルを超える体育館や映画館、劇場などの使用制限を要請することができる。もちろん、新型コロナウイルスも対象とすることが可能だが、個人の自由や権利、経済活動の制限につながるおそれもあることから、慎重な運用を求める声もある。

さらに難しいのは、感染症対策のような進行型の災害の場合、危機の発生の定義(あるいは時点)が、それぞれによって違ってくる点である。国全体としての危機、都道府県単位としての危機、さらにいえば、企業の事業所単位と、感染の流行具合によって、何をトリガー(引き金)とするのか、どのような事態と定義するのかは変わってくるはずだ。例えば、特定の県だけで突発的な感染拡大が起きれば、おそらくその自治体は、強制力によって人々の行動を制限する必要が出てくる(それを可能とするのが新型インフルエンザ等対別措置法だが)。

企業でも、事業所の中で複数の感染者が出てきたら、何らかの強制的な手段によって感染拡大を食い止める必要が出てくる。わかりやすい例が「在宅勤務」だ。在宅勤務は、ガバナンスとしては、働きやすい環境を整備する1つの行動手段として合意されやすいものだが、強制的な在宅勤務に切り替える点についてはどうだろう。財務を担当する社員、商品管理をする社員、あるいは書類整理をする社員についても在宅勤務を命じる必要が出てくるかもしれない。もちろん在宅勤務だけでなく、建物への入館規制、会議や打ち合わせの禁止などもそうだ。こうした強制力のある対策を、いつの時点で打ち出すのか(社内で1人の感染者が発生した際か、複数人か、あるいは社員の家族が発生した際なのか)を決めておく必要がある。そして、そうなった際には、トップの指示に基づいて従業員が速やかに動けるようにしておかなくてはいけない。企業としては、国や自治体の指示に従いたいところだろうが、そもそもガバメント力に欠ける国や自治体の指示を待って行動をしていたら後手後手になる危険性は高い。

クライシスマネジメントにおいて最も重要なのは言うまでもなくリーダーの存在である。国や自治体の優秀なリーダーについてここで指摘をするつもりはないが、企業においては、特に高齢の経営者に対して、まずは自分がリスク保持者であることを認識し、早く若手経営者にその舵取りを委ね(事業承継)、夜はできるだけ飲み会を自粛し、家でしっかり休んでいただくことを期待したい。

感染症におけるリスク・ホメオスタシス

さて、ガバナンスとガバメントは、理想的にはその両方が機能するようにしておくことが危機管理に強い組織の要件となる。その鍵となるのは、やはりリーダーで、ガバナンスにおいても、当然、人々の合意形成を図るためのリーダーが必要となり、多くの場合そのリーダーがガバメントにおけるトップにもなることから、リーダーは平時と有事の切り替えをしっかりと心得て組織の舵取りに当たらなくてはいけない。

その意味でも、緊急時に一定の効力を持たせる法規制やルールの整備は、リーダーシップを補完する大切なものとなるのだが、当然、危機が発生してからではガバナンスの過程を踏まずに付け焼刃的に整備せざるを得なくなるため、多くの不満が沸き起こり、場合によっては必要以上に人々の行動や経済活動を制限することも起こり得る。

新型コロナウイルスに対しても、今後、国や自治体、あるいは各企業でさまざまな法制度やルールが施行されることになるだろうが、その1つ1つについて全員の合意形成を図ることは難しく、時間も限られていることから、その分野に精通した専門家や、現場の状況を把握している現場責任者(企業でいえば、産業医と各部門の責任者ら)を巻き込んだトップの支援部隊が不可欠になる。同時に、市民一人一人、あるいは従業員一人一人も、自分の都合だけで物事を考えるのではなく、会社など組織への影響、地域への影響、そして日本全体への影響と、「木と森」を両方見ながら、発言や行動をしていくことが大切になると考えている。

2009年の新型インフルエンザでは、5月に国内初の感染者が発生したが、本当に感染が拡大したのは8月以降になってからだ(もちろんH1N1と同じようにCOVID-19が感染拡大していくわけではないだろうが)。少なくとも、今はある程度、感染拡大は食い止められているようにも見えるが、個人的に最も懸念するのは数カ月後である。その頃には、メディアでもこの問題を今ほど大きく取り上げなくなり、それまでの危機感は薄れ、対策のネジが緩み、そこから一気に感染爆発を起こしてしまう事態である。地震など別の災害が起きれば、さらにこうした最悪の事態は早まって訪れるだろう。その時、マスクも消毒液も使い果たした状態で戦うことができるだろうか。

国立感染症研究所感染症情報センター資料もとに加工
国立感染症研究所感染症情報センター資料もとに加工

1982年にカナダの交通心理学者ジェラルド・ワイルドが提唱した「リスク・ホメオスタシス理論」がある。これは、自動車の安全性を高めても、ドライバーは安全になった分だけ利益を求めて危険性の高い運転をするため、結果として事故が発生する確率は一定の範囲内に保たれるとする理論である。自然災害で例えるなら、河川に堤防ができても、人々は安全になっただけ雨が降っても避難しなくなり、結果として浸水被害に遭う可能性は一定の範囲内にとどまる、というようなことだ。が、感染症にも当てはめて考えることができるのではないか。すなわち、マスクや消毒液の設置により、あたかも感染症対策ができているような気になり、そのうち、気の緩みから、基本となる手洗いなどは徹底されなくなり、結局、感染リスクは以前と変わらない状態に戻ってしまう。

おそらく、この感染症への戦いはかなりの長期戦になる。医療機関が重篤患者を受け入れられなくなるレッドラインを見極め、地域全体、国全体としてそのラインを超えないように状況を注視しながら一致団結していかなくてはならない。そのことを肝に銘じて、各組織がガバナンスとガバメントを両輪に危機管理を高めていく必要があるのではないか。