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医者の「大丈夫です!」はどこまであてになる? 医者の本音

中山祐次郎外科医師・医学博士・作家
「大丈夫ですよ」医者は自信たっぷりに言っていても、内心は…(写真:アフロ)

病院でよくある風景

 大腸がんの手術、一ヶ月後の患者さんと医者のやりとりです。

患者さん「先生、傷がまだ少し痛むのですが、問題ないのでしょうか?」

医者「ちょっと見せてくださいね」

患者さんは横になり、お腹を出す。医者は手袋をつけ診察する。

医者「あー、傷も感染していませんし、きれいになっていますよ。まだ傷が完全には治っていないので痛みはありますが、良くなっていくでしょう」

患者さん「そうでしょうか。不安なのですが、本当に大丈夫でしょうか?」

医者「はい、大丈夫ですよ!」

 こういったやりとりは、私が患者さんとしょっちゅう交わしている会話の一つです。医者をやっていると、患者さんに「大丈夫ですよ!」と言うことは時々あります。

 しかしこの医者が放つ「大丈夫」と言う言葉、どこまで信憑性があるのでしょうか。本当に、「大丈夫」なのでしょうか。

 このテーマはとても話しづらいお話です。はじめに断っておきますが、ここからはあくまで私の本音です。ですから、他のドクターは別の意味で「大丈夫」という言葉をつかっている可能性はあります。なお、私は大腸がんなどの手術を専門とする、38歳の外科の医者です。

医者が言うと威力があるが…

 私を含む医者の多くは、医者の放つ「大丈夫!」という言葉に、どれほどの威力があるかを知っていると思います。私の経験では、この言葉だけで、患者さんの痛みが半分以上減り、夜眠れるようになり、食事量が三割アップしたことがあるほどです。それだけに、「大丈夫!」のようなマジックワードは、使い方が非常に難しいと私は考えています。

 そもそも、医学の領域で「大丈夫=ほぼ間違いなく完治する」と科学的に断言できるシーンなどほとんどありません。冒頭のやりとりで、医者は大丈夫と言いました。しかし、それでもまれな可能性を考えると、手術から一ヶ月以上経った後などに傷が感染してくることはあります。さらにはごく稀ですが、手術後たった一ヶ月で傷にがんが転移してそのせいで痛むことだってあるのです。医者がいった「大丈夫です!!」は、100%ではないのです。

 

「先生、大丈夫なんですか?」

ほかにもこんな例があります。

 患者さんが軽症の風邪であったとしても、風邪から心筋炎や髄膜炎という重症な病気になって死亡する可能性。あるいは風邪の症状は、実は進行がんがあってその症状の一つのかたちである可能性、などです。もちろんこれらはまれですが、それでも可能性はゼロではありません。ですから、医者として「大丈夫!」と言い切るには、いつもためらいと後ろめたさがつきまといます。

 私は、大腸がんを専門とする外科の医者です。がんを専門としていますから、患者さんの進行度によっては「大丈夫」ではないことも少なくありません。

 がんがかなり進行していて、「大丈夫」とは言い難い患者さん本人やご家族から「先生、大丈夫なんですか?」と聞かれることは、たまにあるのです。そんな時、私は瞬時に頭をフル回転して考えます。医学的事実をそのまま述べるべきか、それともこの場は表現に配慮して安心していただき、後で段階的にお話をしていくべきか。

この問いには、毎回非常に悩まされます。目の前には、不安で胸をいっぱいにした患者さんの顔があります。そして私をじっと見ています。少しでも不審な態度をとれば、何かしら伝わってしまうのです。

 そこで、私はどうしているか。

 正直なところ、あまりに厳しい場合、患者さん本人には「大丈夫です」とも「大丈夫ではありません」とも言いません。そのかわり、

「経過を見ていかないとわかりません。何とも言えません」

とお伝えします。そしてその後、ご本人のいないところでご家族と一緒に、ご本人にどう伝えていくかという困難な作戦を練っていくことにしています。

患者さんにショックを与えてしまった一言

 では、身寄りのない患者さんの場合はどうでしょうか。

厳しい予後(よご。これからあとどれくらい生きられるか)の患者さんには、まず

「厳しいお話も含めて、病状の話を聞きたいですか。それとも聞きたくないですか」

と先に尋ねることにしています。この答えは患者さんによって違っていることが多く、「絶対に詳しく正確に教えてほしい」という方から、「そんなの怖いから知りたくない。先生にお任せしたい」という患者さんまで実にさまざまです。

 私が先に患者さんに尋ねるのには、理由があります。

 

 それは、私が二十歳代で、医師として駆け出しだった頃のことです。あるがん患者さんに「先生、俺はあと何ヶ月もつんだ」と聞かれたことがありました。私は責任を取れる立場になかったため、「ええと、上司の医師に確認しておきます」といって部屋を去ろうとしました。

しかし患者さんは食い下がります。

「いいじゃないか、先生はどう思ってるんだ」

そう言われて、あまりの気迫に思わず私は上司から聞いていた正確な予後をお伝えしてしまいました。

「一ヶ月は難しい、と思います」

 それを聞いた途端、その人は激しいショックを受けられました。そしてその後、立ち直られることはないままのご様子でした。私は激しく後悔をしました。そして、知っても幸せにならないことがあると思い知ったのです。そのときの私は、患者さんの「知らないでいる権利」を侵害してしまったのです。

すべてを知ることは、ご本人の幸せか?

 それからというもの、私は患者さんにとって「何が幸せか」「何が必要なのか」を熟考するようになりました。私は医者ですから、患者さんの医療情報を患者さんご本人よりもはるかに詳しく知っているシーンが多々あります。しかし、患者さんの情報はすべて患者さんに帰属しますので、私は何でも伝えなければなりません。

だからこそ、「すべての情報をお伝えすることが、本当にその方にとっての幸せなのか」という疑問は常に持ち続けたいと考えています。おそらく多くの医者にとって答えが出しづらい、難しいテーマでしょう。

最適な答えは患者さん一人一人によって、大きく違います。

こんなことを考えながら、私は治療しています。

外科医師・医学博士・作家

外科医・作家。湘南医療大学保健医療学部臨床教授。公衆衛生学修士、医学博士。1980年生。聖光学院中・高卒後2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、大腸外科医師として計10年勤務。2017年2月から福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長、2021年10月から神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「医者の本音」、小説「泣くな研修医」シリーズなど。Yahoo!ニュース個人では計4回のMost Valuable Article賞を受賞。

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