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完全無欠の22歳はすでにロナウド&メッシ超え! 市場価値世界一の怪物はなぜ進化を続けられるのか?

中山淳サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人
(写真:ロイター/アフロ)

ロナウドとメッシを上回るハイペース

 1ゴール1アシストの活躍で、パリ・サンジェルマン(PSG)の通算14度目となるフランスカップ優勝に貢献したキリアン・エムバペ。

 今シーズンは、残り1試合となったリーグアンで26ゴールをマークして得点ランキングのトップを独走するほか、準決勝で敗退したチャンピオンズリーグ(CL)でも10ゴールのアーリング・ホーランド(ドルトムント)に次ぐ8ゴールを量産。フランスカップの7ゴールも含めると、実に計41ゴールを叩き出している。

 これは、シーズン39ゴールを記録した2018-19シーズンを上回る、エムバペ自身にとってのキャリアハイ。22歳のストライカーとしては、驚異的なゴール数と言っていい。デビュー6シーズンの数字としては、ここ10年にわたって世界のサッカー界をリードしてきたクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)やリオネル・メッシ(バルセロナ)を大きく上回る。

 そのセンセーショナルな活躍ぶりから、今では「ロナウド&メッシ時代にピリオドを打った新世代のスーパースター」との呼び声がすっかり定着した。

 最近の現地報道を見ても、エムバペを形容する際によく使われた「将来を担う」、「若い」といったお馴染みの単語は、ほとんど見当たらない。メディアは彼を、大金を稼ぐひとりのスーパースターとして扱い、パフォーマンスが悪ければ容赦ない批判を浴びせるように変化した。

驚異の成長速度で世界王者に輝く

 振り返れば、18歳で彗星のごとくCLの舞台に登場したエムバペが、22歳の現在に至るまでに成し遂げてきた数々の偉業は、長いサッカー史を紐解いてもなかなか類を見ない。

 2016−17シーズンのCLラウンド16、対マンチェスター・シティ戦で初めてヨーロッパの舞台に立った当時モナコ所属のエムバペは、そのデビュー戦でCL初ゴールをマークすると、第2戦でもゴールを決めて逆転勝利に貢献。

 以降、準々決勝のドルトムント戦で3ゴール、そして敗れはしたが準決勝のユベントス戦でも1ゴールと、6試合で6ゴールを量産し、18歳のヤングスターとして一躍スポットライトを浴びた。

 そのシーズン、エムバペはモナコの通算8度目のリーグ優勝に貢献するとともに、リーグアン年間最優秀若手選手賞を受賞し、年間ベストイレブンにも選出された。さらにその夏には、買い取り条件付きでPSGにレンタル移籍。1年後の買い取り金額は、推定1億8000万ユーロ(約235億円)だった。

 ネイマールとのコンビで躍動した2017−18シーズンも、エムバペの勢いは止まらない。リーグアンでは年間13ゴール8アシストの活躍を見せて国内三冠の原動力となると、2年連続でリーグアン年間最優秀若手選手賞とベストイレブンを受賞。ラウンド16で敗退したCLでも4ゴール3アシストをマークした。

 圧巻は、その夏にロシアで行なわれたW杯で4ゴールを記録し、19歳にしてフランス代表の10番を背負って通算2度目の優勝トロフィーを母国に持ち帰ったことだ。

 10代でW杯決勝の舞台で得点を決めたのは、1958年大会のペレ(ブラジル)以来の偉業である。しかも同大会では、ベストヤングプレーヤー賞を受賞し、ベストイレブン(W杯ドリームチーム)にも選出されている。

覚醒を繰り返す怪物エムバペの快進撃

 世界チャンピオンとなって自信をつけたエムバペはさらに進化を遂げ、2018−19シーズンには33ゴール7アシストをマークし、リーグアン2連覇に貢献したほか、個人としては初のリーグアン得点王と年間最優秀選手賞をダブル受賞。

 3年連続で年間最優秀若手選手賞とベストイレブンも手にし、ラウンド16でマンチェスター・ユナイテッドに敗れたCLでは、4ゴール5アシストを記録した。

 そしてコロナ禍に揺れた2019−20シーズンも18ゴール5アシストの活躍で、リーグ3連覇を含む2度目の国内三冠を達成。2年連続でリーグアン得点王に輝いたほか、CLではクラブ史上初となる決勝戦に進出して5ゴール5アシスト。申し分のない結果を残している。

 要するに、プロデビュー2年目の18歳から21歳までの4シーズン、エムバペは国内リーグで負け知らず。スランプらしきものを一度も経験することなく、ほとんどすべての栄光を手にし続けてきた。

 22歳となった今シーズンは、最終節を残して首位リールを勝ち点1ポイント差で追う立場となっているが、個人の成長という点では、また新境地に足を踏み入れたと言っていいだろう。

 モナコ時代が第1覚醒期とすれば、W杯優勝後の2018−19シーズンが第2覚醒期。そして自身のゴールでバルセロナとバイエルンを撃破した今シーズンは、エムバペの第3覚醒期にあたる。フィジカル、テクニック、メンタルと、すべてにおいてスケールアップを果たしているのだ。

エムバペはピッチを離れても優等生

 それにしても、なぜエムバペはここまで立ち止まることなく、進化を続けることができたのか。おそらくその答えのヒントは、幼少期から育まれた特有のキャラクターにある。

 フランス代表が初めてW杯を制した1998年、エムバペは決勝の地スタッド・ド・フランスのあるサン=ドニ地区ボンディで生まれた。地元でサッカーコーチを務めるカメルーン人の父親と、アルジェリア人の血を引く元ハンドボール選手だった母親に厳しく育てられ、脇目を振ることなく、ただひたすら大好きなサッカーにすべてを捧げてきた。

 少年時代から突出していたその才能は、早くから各クラブのスカウトの注目の的となった。だが、それらに対しても決して浮かれることなく、地に足をつけて自分の成長だけに集中。自身の進路も、そこで成長できるか否かを基準に、家族と話し合って決めてきたという。

 14歳の誕生日を前に、レアル・マドリードに家族ごと招待された時もそうだった。ジヌディーン・ジダン監督の熱心な誘いを受け、憧れのクリスティアーノ・ロナウドと記念撮影をした時でさえも、その姿勢がブレることはなかった。現在エムバペの代理人を務める父ウィルフリードのアドバイスも、エムバペの成長に一役買っているのだろう。

 そんなエムバペは、明るく親しみやすい性格で、どこにでもいる普通の青年として知られている。推定年棒20億円以上と言われる大金を手にする現在も、高級車や高級ブランドにまったく興味を示さず、ライフスタイルは変わらない。ネイマールの誕生パーティーには顔を出すが、それ以外、友人とナイトクラブに行くようなこともない。

 モナコ時代に初めてリーグ優勝を経験した時には、経済的に貧しい人々が暮らす地元ボンディに優勝トロフィーを持って凱旋するなど、故郷への想いも大切にする。慈善活動にも積極的で、W杯優勝で手にしたボーナスの全額(約5700万円)を慈善団体に寄付。

 2019年1月には、飛行機事故で他界したエミリアーノ・サラ(アルゼンチン)をサポートするためのクラウドファンディングに約350万円を寄付したこともあった。

 また、CL準々決勝のバイエルン戦後のフラッシュインタビューでも証明されたように、英語もかなり流ちょうに話す。現在は英語のほかにスペイン語の勉強にも熱心で、将来フランス以外の国でプレーするための準備も怠っていない。

 つまりエムバペは、私生活でもまったく隙のない優等生なのだ。

野心的かつ純粋にサッカーと向き合う

 世界で一番の選手になるために、すべてのエネルギーを注ぐ――。

 エムバペがどんな時も地位や名声に溺れることなく、日々ストイックに自分を鍛え上げていることは、PSG加入時の体格と現在のそれを比較すればよくわかる。コロナ禍による中断後は、またひと回り身体が大きくなった印象だ。

 そのエムバペがCL準々決勝のバイエルン戦を前にフランス『RMC Sport』のインタビューに応え、次のようなコメントを残している。

「これまでロナウドやメッシと同じピッチで戦ったこともあるし、彼らが自分より優れていて、何億倍もすごいことをしてきたことも理解している。でも、自分の頭の中では、いつも自分が一番だと言い聞かせてプレーしているんだ。そうやって常にベストを尽くさないと、自分の限界は超えられないからね」

 どこまでも野心的かつ純粋な気持ちでサッカーと向き合うエムバペの限界は、自身でさえも想像できない未知なる世界の領域にある。

 果たして、19歳でW杯優勝トロフィーを手にした男は、目の前に迫るユーロ2020でも大暴れして、フランスを2000年以来のヨーロッパチャンピオンに導くのか。「心技体」が揃った現在の状態のまま大会に臨めば、世界中のサッカーファンを驚かせ、そして魅了するパフォーマンスを見せることは確実だ。

 まずはその前に、5月23日に最終節を迎えるリーグアンで、PSGが奇跡の逆転優勝を成し遂げられるかどうか。最も注目されるPSGとの契約延長の内容も含め、この怪物から目が離せない。

(集英社 Web Sportiva 5月4日掲載・加筆訂正)

サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

1970年生まれ、山梨県甲府市出身。明治学院大学国際学部卒業後、「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部に入り、編集長を経て2005年に独立。紙・WEB媒体に寄稿する他、CS放送のサッカー番組に出演する。雑誌、書籍、WEBなどを制作する有限会社アルマンド代表。同社が発行する「フットボールライフ・ゼロ」の編集発行人でもある。

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