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松井大輔インタビュー【後編】「最後はフランスで終わりたい」

中山淳サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人
オドラ・オポーレに入団した松井大輔/Photo;T. Personal

 現状に葛藤しながら、サッカー選手として「毎試合に出るというサイクルを取り戻したい」という強い決意のもと、松井大輔は契約中のジュビロ磐田を離れる決断を下した。36歳のベテランが挑む新天地は、ポーランド2部リーグのオドラ・オポーレ。

 完全移籍という後戻りできない状況を自ら作った上でのチャレンジには、果たしてどのような決意が込められているのか。そして、そのチャレンジの先に、どんな未来を描いているのだろうか。

自分の居場所を見つけてまだヨーロッパでできることを証明したい

──今回の移籍は、2004年に京都からル・マンFC(当時フランス2部)に渡った時とは年齢も状況も違っています。当時はル・マンから上のクラブへステップアップしていきたいという明確な目標がありましたが、今回は?

「まずは、純粋にサッカーがしたいです。それと、これは将来的な話になりますが、現役を引退する時の引き際、辞め方みたいなものを探したいというのも、今回の目的のひとつです。でも、とにかく今はサッカーを90分やりたい。もっとうまくなりたいし、ゴールも決めたいし、これまでのキャリアでまだやれていないことがいっぱいあるので、自分の中にあるものを全部出したいんです」

──当然ジュビロでプレーするよりも環境は悪いでしょうし、年棒も下がると思いますが、そういう部分は気にしてないんですか?

「決断したからには、やるしかない。そういう気持ちです。とにかく前に進むしかないですからね。僕としては、今回の移籍が失敗したとしてもそれでいいと思っているんです。人間には何かに挑戦するという姿勢がいつも必要だと思うし、僕はこれまでもたくさん挫折をして、たくさん壁にぶち当たってきました。でも、そんなのは時間が経てば違った状況になっているものだし、それが自分らしいというか、自分の生き方だと思ってます」

──確かにこれまで何度も壁にぶち当たって、その度にその壁を乗り越えてきた。だからこそ、現在があるわけですね。

「ええ。やっぱり困難を楽しむことが大切なんだと思います。それに、苦痛なことがあっても、考え方ひとつで状況は変わると思うんです。たとえば電球がつかなかったら、ローソクを立てればいい。そういう不便さをいかに楽しめるかが大事。人生は苦い思い出ほど記憶に残るものだから、自分がおじいさんになった時に孫に話せる思い出話が増えるということ(笑)。そういう”ネタ”が増えるということは、その人の人生経験が豊富だということになる。将来的なことを考えても、僕はそのほうがいい人生だと思うんです」

──そう言えば、ル・マンに移籍した時もリーグドゥ(2部リーグ)で、ジュビロに移籍した時もJ2。で、今回のオドラもポーランド2部リーグですね。

「特に狙ってやってるわけではないですよ(笑)。でも、ル・マンの時もジュビロの時も、自分が変われる環境があるというのは共通していて、それは自分にとってもいいことだなって。そういう環境に飛び込めば、自分が変わらざるを得ないじゃないですか。もしジュビロに移籍しなければ、おそらくキャプテンを経験することもなかった。自分よりチームを優先することをそれまで考えていなかった自分に、そういった責任感を芽生えさせてくれたのはジュビロだから、そういう意味でもジュビロには感謝しています。またポーランドに行って何を学ぶのか分からないですけど、それが生きるうえでの力強い武器になってくれればいいと思っています」

──オドラ・オポーレというクラブのことは知っていたんですか?

「もちろん、知らなかったです(笑)」

──ですよね(笑)。まったく知らないクラブに移籍することに不安はないですか?

「まったくないですね。ル・マンに移籍した時も、どんなクラブでどんな街にあるのかも知らないで行きましたし、それも移籍の楽しい部分だと思うんです。今のところ、ポーランドの南部には何があって、どんな歴史的建築物があるのか、その辺の情報しか調べてないですね。でも、その調べるという作業も楽しいわけです。ヨーロッパにいると、いろんな国や街に手軽に旅行できるので、それも楽しみにしています」

──2013年にレヒア・グダニスクでプレーしているので、ポーランド自体は2度目の経験になります。そういう点でイメージしやすいのでは?

「そうですね。それにヨーロッパで10年ほどプレーしたので、むこうの友人も増えたし、サポート体制はバッチリです(笑)。ジュビロでもカミック(GKのクシシュトフ・カミンスキー)がポーランド人だから、現地のマッサージ師を紹介するよって言ってくれたり。とにかく、自分が昔フランスでプレーしていた頃と比べると、現在は日本人選手がヨーロッパのいろいろな国でプレーしているから、情報という点ではまったく問題ないです」

──ポーランドリーグはどのようなスタイル?

「レヒアではレギュラーとしてプレーしていましたが、半年でジュビロに移籍したので、どんなリーグか説明できるほど覚えてないです(笑)。ただ、フィジカルを重視するサッカーである一方、テクニックのある選手も多かった。あとは、優秀な若手が多かった印象があります。ポーランドで活躍して、ドイツなど大きなリーグに移籍するという野心を秘めた若い選手がたくさんプレーしてますしね。でもあの時は1部で、今回は2部。そういう点では、まったくの未知数という感じです」

──そういう中で、ベテランとしてどのように生き残っていく?

「監督と会って話してみないと分かりませんが、当然ベテランとしての役割も求められると思います。でも、まず僕としてはチームに自分の居場所を作ることが先決。1年契約なので、その中で結果を出していくしかないですよ」

──海外に行って、辞め方を見つけたいという話もしていましたが、具体的に何か考えていることはあるんですか?

「うーん……。まだ漠然となんですけど、やっぱりもう一度フランスに戻りたいというのはありますね。僕のプロキャリアはフランスが一番長かったわけだし、フランスに育ててもらったという意識もある。友だちも多いですし、そこでキャリアの最後を過ごしたいというイメージは少しあります。フランス語も話していないと忘れてしまうし、もう一回フランスで生活して、フランス語のスキルも上げたい。でも、まずはポーランドで英語の学校に行きたいなって考えてます」

──楽しそうに見えますね。それでは最後に、日本のファンに向けてひと言。

「36歳のおじさん選手が、ヨーロッパでプレーしていることを覚えていてもらえればうれしいです。この年齢になっても、まだヨーロッパでプレーする変わった人もいるんだって(笑)。そして僕自身は、オドラ・オポーレで自分の居場所を見つけて、まだヨーロッパでできることを証明したい。それが、ジュビロというクラブとサポーターへの恩返しにもなると思っています」

 話を聞いていると、今回の移籍も、松井にとっては普通の決断だったのだということに気づかされる。現状に甘んじることなく、いつも自ら苦難な道を選び続けることによって前進し続ける。それが松井というサッカー選手の生き様であり、それは誰にも変えることはできない。

 36歳の新たなる挑戦に、乾杯。オドラ・オポーレの松井大輔に、幸あれ。

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(集英社 Web Sportiva 8月16日掲載)

サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

1970年生まれ、山梨県甲府市出身。明治学院大学国際学部卒業後、「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部に入り、編集長を経て2005年に独立。紙・WEB媒体に寄稿する他、CS放送のサッカー番組に出演する。雑誌、書籍、WEBなどを制作する有限会社アルマンド代表。同社が発行する「フットボールライフ・ゼロ」の編集発行人でもある。

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