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医療費の自己負担が所得に比例するのは当然か?

中田大悟独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

金持ちなら普通の人より多く負担して当たり前?

さて、前回の本コラムでは、難病医療助成において、所得に応じた過度な自己負担を求めることの問題点を指摘しましたが、難病医療に限らず、この国の公的医療保険制度では、自己負担の金額(あるいは上限額)が所得に応じて変動する仕組みになっています。「お金持ちはもっと負担してよ」というのは素朴な庶民感情でしょうし、この国の多くの人たちは、この仕組みを当然のことのように受け止めていると思います。しかし実は、所得に応じた自己負担という考え方は、医療保険の本来の在り方とはあまり相性が良いとは言えない、筋の悪いものでもあります。今回は、少し理屈っぽい話にはなりますが、このことを説明してみたいと思います。

まず、現実の制度のおさらいですが、医療保険、介護保険制度では、年齢、所得に応じて、自己負担比率が決まっています。ですが、青天井で際限なく自己負担を負う必要はありません。公的医療保険であれば、高額療養費制度と呼ばれる、自己負担の上限を定める仕組みが存在しています。確認のため、日本の医療介護保険制度の自己負担割合と上限額をざっと眺めてみると以下のようになります。(以下の制度の他に、医療費と介護費を世帯で合算して上限を算出する高額医療・高額介護合算療養費制度もあります)

高額療養費制度での負担上限額
高額療養費制度での負担上限額
難病患者医療費助成現行案での負担上限額
難病患者医療費助成現行案での負担上限額
医療介護費自己負担割合
医療介護費自己負担割合

「保険」って何よ?

そもそも論になりますが、保険というのは、同じリスクに直面する者同士が、お金を出しあって(保険料の拠出)プールし、そして運悪く事故・疾患に遭ってしまった場合に、そのプールした保険料から経済的な補償(保険金/給付)を得られるというシステムです。

そして、保険には、いくつかの原理原則があります。例えば、事故・疾病リスクが高い人、もしくは将来支払われるであろう保険給付額が高い人には、高い保険料が請求されます。自動車保険では、加入者の事故履歴や車種などに応じて保険料が変わるのは当然のことと思われていますし、火災保険などでも保険でカバーする対象の家財総額が高ければ、相応の高額保険料が必要となります。これは、保険の専門用語で「保険技術公平原則」とか「給付反対給付均等原則」などと呼ばれたりする性質です。

もし、こういった保険技術公平性が成り立たないような保険商品があったとすると、みなさんはどう思われるでしょうか。例えば、同じ賠償金額(保険金)の自動車保険で、北関東の峠道を爆音轟かせて夜な夜な爆走しているやんちゃなお兄ちゃんと、週末に家族とショッピングセンターへお出かけするだけのあなたに、保険会社が同じ保険料を請求してきたとしたら、どう思われるでしょうか。大抵の人なら、こんな保険に入っていられるか、と激怒するでしょう。保険技術公平性は、フェアな保険商品が取引されるためにも、重要な原理原則なわけです。

社会保険は「公平」で「不公平」な制度

我われ日本国民の多くが加入している公的医療保険は、「社会保険制度」と呼ばれるものです。この社会保険は、普通の保険制度につきものの欠陥を補正して、より多くの国民が(医療)保険の恩恵を得られるようにしようとするものです。

例えば、民間の医療保険の場合、保険会社が優良な加入者グループを優先的に囲い込んでしまえば、残された人たちは相対的に高い保険料の負担を受け入れるしかありません。一般に、高齢者、低所得という属性は疾病確率と相関がありますから、この場合、低所得者に高い保険料、高所得者に安い保険料が課せられるという意味で、保険としては公平性が保たれていても、別の意味で(垂直的な)公平性が保たれないという結果となるわけです。また、疾病リスクというのは、必ずしも自分の行動だけですべてコントロールできるわけではありません。先天的、遺伝的な要因や環境要因も大きな影響をもちます。この意味でも、個々人の疾病リスクだけで評価される純粋な民間医療保険では、公平性の面で問題が残ります。

こういった、問題に対処しようとするのが、社会保険です。そのため、普通の民間保険ではありえないような、ある意味、不公平な構造が、社会保険制度には存在します。特に、保険料の設定に、それは最も顕著に表れます。例えば、会社員の場合、所得に対して、ほぼ完全に、一定率の保険料を徴収されます(東京都の中小企業のサラリーマンであれば給与の9.97%)。加入者個々人やその扶養家族の疾病リスクの大小は、そこでは考慮されません。所得の高い人は高い保険料を納め、所得の低い人は低い保険料負担で構わないし、同じような疾病リスクのある人でも、同じ所得であれば保険料負担は同一です。加入者全員が、所得に応じた保険料を分担しあうことで、高リスク・低所得の人であっても疾病リスクから身を護れるような仕組みを整えているのが、社会保険と呼ばれる制度の特徴になります。

このように、高所得者から低所得者への再分配という、垂直的公平性の要素をもつ制度が社会保険なのですが、当然、これは保険技術公平性とはトレードオフの関係にあります。疾病リスクの高い人(たとえば過度な飲酒癖のある人)と健康な人が、所得が同じであれば同じ保険料を負担するわけですから、この意味においては(保険技術的に)不公平な制度でもあるのです。不公平であるのに、公平な制度。それが社会保険の特徴です。

ただし、留意すべきは、社会保険での給付は、通常の民間保険と同様に、保険に加入して、保険料を拠出した対価として受け取る権利が発生するものである、ということです。この意味で、たとえ公的な制度であっても、政府が税財源を使って裁量的に給付する福祉制度等とは、根本的に性質が異なる制度であるということは、常に念頭に置く必要があります(もっとも日本の公的医療保険には多額の税金が投入されていますが、この点については別の機会に)。

なぜ人々は「不公平」な社会保険制度の存続を認めるのか

たとえ社会保険が(保険技術的に)不公平な制度であって、多くの日本人はこの社会保険制度を崩してしまおうとまでは思わないでしょう(そう考えている人もいるとは思いますが、私のまわりでは少数派です)。なぜ、人々が社会保険制度としての医療保険を維持してもよいと思うのでしょうか。

それに対する答えは一つではないでしょう。ある人は、同じ企業の社員同士なのだから、もしくは同じ街に住んでいる者同士なのだから、支えあいがあっても良いと考えるかもしれません(共感が届く範囲なら損も我慢できる説)。

また、ある人は、自分には少々不利でも、皆が医療保険に入ることで疫病の感染や社会不安が抑えられ、結局は自分へのメリットにもなると考えるかもしれません(医療保険の外部性説)。

もしくは、今現在は高所得で、保険数理的な意味で高負担になっている加入者であっても、将来どんな理由で低所得になるかわからない、ということを考慮すれば低所得で安心な給付がある社会保険を是認するのかもしれません(将来の不確実性説)。

いずれにせよ、どんな理由であっても共通して言えるのは、社会保険料の負担方法は保険技術的な不公平さを内在しているけれども、そのメリットも勘案すれば、加入者が我慢できる、許容できると考えられる不公平さの範囲内だから、制度への不支持にまでは繋がらない、ということです。

溺れる人に「浮き輪」と「おもり」

疾病にかかる治療費というのは、差額ベッド代や一部の先進医療を除いて考えれば、別に所得の違いによって異なってくるというものではありません。貧しかろうが、金持ちだろうが、同じ疾患について、同じ治療法が採用されれば、同じ診療報酬と薬剤費が必要となる、という意味において、治療にかかる負担は平等です。そして、同じリスクに対応する同じ保険に加入しているのなら、同じ給付があるのが保険としては素直な姿です。譬えば、海で溺れれば等しく浮き輪が手渡されるようなものです。

現在の公的医療保険制度ではすでにそうなっていますし、今後の日本の社会保障改革の指針となっている社会保障制度改革国民会議の報告書で「負担可能な者は応分の負担を行う」と謳われているとおり、いま議論され、もしくは実行に移されようとしているのは、高所得者には、相対的により高額の自己負担を求める、というものです。高額の自己負担ということは、裏を返せば、高所得者には相対的に少額の給付しか行わない、ということを意味しています(治療内容に差がつけられるということではありません、念の為)。ただでさえ、高額所得者は自分の疾病リスクには見合わない保険料拠出額を強制されているのに、治療費の面においても、高額所得者だから、という理由で給付が削減されることになります。

しかし、「負担可能な者は応分の負担を行う」という応能負担の考え方を、公的医療保険で強めていくのであれば、給付を削るのではなく、保険料率の増大や、社会保険料の徴収ベースとなる標準報酬月額の上限をより拡大して保険料を徴収する方が、保険機能の拡充という面では正攻法です。その際の垂直的な公平性については税制で対処するのが望ましいでしょう。

保険の自己負担額の増大で応能負担の強化を目指すというのは、結局のところ、疾病というリスクに陥ってしまった人に対して、追加的な負担を課すということです。譬えば、海で溺れる人に浮き輪と石を同時に抱かせるようなもので、保険としての機能はどうしても劣化してしまいます。同じリスクに直面する人たちが、事前に資金をプールして対処するのが保険の本来の在り方ですから、事前にリスクを加入者間で分かち合うという方向の改革議論が望まれます。

次回は、以上の話をうけて、過度な患者自己負担の弊害について考えてみたいと思います。

独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

1973年愛媛県生れ。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科単位取得退学、博士(経済学)。専門は、公共経済学、財政学、社会保障の経済分析。主な著書・論文に「都道府県別医療費の長期推計」(2013、季刊社会保障研究)、「少子高齢化、ライフサイクルと公的年金財政」(2010、季刊社会保障研究、共著)、「長寿高齢化と年金財政--OLGモデルと年金数理モデルを用いた分析」(2010、『社会保障の計量モデル分析』所収、東京大学出版会、共著)など。

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