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米大統領選挙で知っておかなければならないこと:ユニークな選挙制度と大統領の対日政策

中岡望ジャーナリスト
選挙運動をするヒラリー・クリントン候補(写真:ロイター/アフロ)

知っておきたい独特なアメリカの大統領選挙の仕組み

新聞やテレビで盛んにアメリカ大統領選挙に関する情報が報道されている。どの政党の、どの候補者が次期大統領に選出されるかどうかは日本にとって極めて重要な事柄である。だが、大統領選挙の仕組みや、誰が立候補しているのかと、誰が大統領に当選する可能性があるのかといった情報は断片的に報道されているが、一般の日本人にはわからないことが多い。たとえば、アメリカは民主主義を代表する国家であると考えられているが、大統領選挙は“間接選挙”で、有権者の投票によって直接選ばれていないのである。今回は、知っておかなければならないアメリカ大統領選挙制度と、誰が次期大統領に選ばれるかで日米関係が大きく影響することを、歴史的なケースを使って説明することにする。

なぜアメリカの大統領選挙は”間接選挙”なのか。アメリカの建国の父たちは、一般の日本人が抱いているイメージと違い、“大衆”をあまり信用していなかった。当時、"democracy(民主主義)"は"mass(大衆)"と同意語であった。大衆は政治的な扇動者によって簡単に動かされてしまう存在で、建国の父たちは直接選挙だと国民は一時的な感情から独裁者を選んでしまうのではないかと懸念していた。また、どの大統領候補者も過半数を獲得できない場合、決選投票が行われることになる。建国の父たちは、上位の1位と2位の候補者が決選投票をする事態を避けようとした。なぜなら、2位の候補者と3位の候補者が決選投票で手を組んで、1位の候補者を破る可能性があるからだ。事実、フランスなどでは2位と3位の候補者が連合するケースが頻繁に起こっている。さらにアメリカの特殊な歴史も影響している。アメリカは13州が手を組んでイギリスと戦い、独立を勝ち取った。実は13州はそれぞれ独立国家であった。各州はそれぞれ独自の憲法と議会、裁判所を持っていた。それは現在でも変わることなく、それぞれの州は独自の憲法や州法、司法制度を持っている。したがって大統領は13州によって選ばれるべきだと考えられていた。その結果、大統領選挙は州ごとに行われる現在の選挙制度が出来上がったのである。

もう少し具体的に説明すると、各州に選挙人(electoral college)が割り振られる。選挙は州単位で行われ、州の選挙で一票でも多く獲得した候補者が選挙人を獲得する選挙制度が作られた。各州には州から選出される下院議員の数と2人の上院議員の合計した数の選挙人が割り当てられている。下院議員の総数438人に上院議員100人を加えた538人が、選挙人の総数である。人口の多い州は下院議員の数も多く、当然、割り当てられた選挙人の数も多くなる。たとえば、アラスカ州やモンタナ州など小さな8州の選挙人は3名、人口が最も多いカリフォルニア州の選挙人は55名である。その州で最高の得票を得た候補者が、州に割り当てられた選挙人をすべて獲得することになる。これを「勝者の総取り(Winner takes all)」という。ただ得票数に応じて選挙人を候補者の間で按分する州もあるが、例外的である。各州で獲得した選挙人の数が多い候補者が、大統領に選出されることになる。直接選挙のように、国民全体の得票総数(英語ではpopular voteという)で当落が決まるわけではない。たとえば、2000年の大統領選挙では、民主党のアル・ゴア候補の総得票数は48.4%、獲得した選挙人は266人であった。これに対して共和党のジョージ・ブッシュ候補の得票率は47.9%だったが、獲得選挙人は271人と、ゴア候補を上回り、大統領に当選した。もし大統領が直接選挙で選ばれるなら、ゴア候補が勝利したはずである。ちなみに、アメリカでは下院議員の州に割り当てられる数は、10年に一回行われる国勢調査に基づいて自動的に再配分される。したがって、日本のような一票の格差問題は発生しない。

もうひとつアメリカの大統領選挙のユニークな特徴は、政党の大統領候補を選ぶ“予備選挙(primary)”と“党員集会(caucus)が行われることだ。通常、この過程は総称して”予備選挙“と言われる。現在、メディアで報道されている大統領選挙に関する情報は本選挙ではなく、予備選挙に関するものである。政党の予備選挙も、大統領選挙と同様に政党ごとに州単位で行われる。各州には政党ごとに代議員(delegate)が割り当てられている。民主党と共和党の党員登録をしている有権者が各党の大統領候補を選ぶ選挙を行う(ただ州によっては党員登録をしていない有権者も投票に参加できるところがある)。予備選挙と党員集会という2つの方式があるが、いずれにせよ政党別の選挙で党の大統領候補を選ぶことになる。ここでも大統領選挙と同じ「勝者の総取り」が適用される。

日本では意外に知られていないのが、スーパーデレゲート(superdelegate)というシステムである。予備選挙、党員集会で勝利した候補者は州の代議員のすべてを獲得するが、それ以外に党の全国大会で投票権を持っているのが、スーパーデレゲートであり、彼らは州の予備選挙や党員集会の投票結果に左右されず自由に候補者に投票することができる。スーパーデレゲートは、上院と下院議員、党の役員、元大統領などで、2016年の大統領予備選挙では、民主党の代議員総数5083名で、747名がスーパーデレゲートである。共和党は代議員総数2470のうち437名がスーパーデレゲートである。その意味で、議員や党幹部の支持が最終段階で極めて重要な役割を果たすことになる。2008年の予備選挙では、オバマ候補が代議員で1,828.5票(51%)、スーパーデレゲートで478票、クリントン候補は代議員で1,726.5票(49%)、スーパーデレゲートで246.5票を獲得している。

もうひとつの予備選挙の特徴は、州の投票日がそれぞれ異なることだ。大統領選挙は全国一斉に行われるが、予備選挙の投票日は州によって異なる。最初に行われるのは2月1日にアイオワ州の民主党と共和党の党員集会、次が2月9日にニューハンプシャー州の両党の予備選挙、2月20日にネバダ州の民主党の党員集会と南カロライナ州の共和党の予備選挙が行われるといった具合である。予備選挙で代表者を獲得できない候補者は支持者からの献金が減り、選挙運動を続けることができなくなって脱落していく。過去の例では、早ければ5月段階で、遅い場合でも7月頃には獲得代議員の数から勝者が明らかになってくる。最終的に最大の代議員を獲得した候補者は党の全国大会で承認され、正式な党の大統領候補になる。通常、党の全国大会は野党が先に行う。2016年の全国大会は、野党の共和党がオハイオ州クリーブランドで7月18日から21日に開催される。与党の民主党の全国大会は7月25日から28日にペンシルベニア州のフィラデルフィアで行われる。党の全国大会は各州の代表が集まり、お祭り騒ぎになる。そこで大統領候補と副大統領候補が選ばれる。ただ、事前に候補者が決まらず、決選投票が行われる可能性もある。同時に、選挙に向けた党の政策綱領も承認される。

両党の正式な大統領候補が決まり、やっと大統領選挙が始まる。通常、投票日までに両党の大統領候補者の公開討論会が3回程度開かれる。投票日も決まっていて、11月の第一月曜日の次の日の火曜日と決まっている。今年の場合、11月8日が投票日である。ちなみに大統領の就任式は翌年の1月20日に決まっている。蛇足であるが、アメリカの大統領の三選は禁止されている。初代のジョージ・ワシントン大統領が2期で大統領を辞めたのが前例となり、その後、長い間3選目を目指す大統領はいなかった。だが、フランクリン・ルーズベルト大統領(在任期間は1933年~1945年)は4選を果たし、慣行を破ってしまった。第2次世界大戦中という異常な状況での4選であった。4期目の在任期間は、病死したため3カ月足らずであった。このことから、1951年に制定された憲法修正第22条によって、大統領の3選が禁止された。

大統領の“個性”で決まる政策:二人のルーズベルト大統領

次期大統領になるのは誰か、大いに興味あるところである。私は大学教授とジャーナリストの二つの仕事をしている。本業はどちからといえばジャーナリストである。大統領選挙が近づくと雑誌などから原稿執筆の依頼がくる。その際に必ずと言っていいほど「日本に対する影響についても書いてください」と注文が付く。アメリカの大統領に誰がなるかだけでなく、日本の読者には新しい大統領の対日政策がどうなるのかに興味あるということだ。大統領の個性や考え方が政策に大きな影響を与えることは間違いない。というよりも、大統領の考え方は絶対であり、スタッフは大統領の考え方を政策に仕上げていくのが仕事であると言った方が正確だろう。大統領の決断は絶対的である。過去においても大統領の抱く日本に対するイメージが対日政策に大きな影響を与えてきた。以下で、その例を幾つか示すことにする。

やや古い話だが、その典型的な例がセオドーア・ルーズベルト大統領(就任期間は1901年~1909年)である。同大統領は国内政策では進歩主義者であったが、対外政策は領土拡大を目指す帝国主義者であった。フィリピンの植民地化に際して極めて厳しい弾圧を行ったことで知られている。しかし、同大統領は歴代大統領の中で最も“親日的”な大統領であった。大統領のハーバード大学の同窓生に、後に司法大臣になり、日露戦争でルーズベルト大統領と直接交渉した金子堅太郎がいた。大統領が彼を通して日本に対するイメージを作り上げたことは想像に難くない。また、大統領は米国柔道連盟から名誉8段の称号を贈られるほど、柔道に親しんでいた。大統領は狩りが好きで、大きな熊を狩猟したことで、”テディ”というニックネームがついていた。”テディ・ベア”も、同大統領から出てきた言葉である。大統領はホワイトハウスの書斎を柔道場に改築し、週3回、日本人の先生を呼んで柔道の練習をしていた。また、新渡戸稲造の『武士道』も愛読し、武士道に関心を抱いていた。大統領はアングロサクソンの人種的優位性を主張する人種差別論者であった。だが、日本人を文明化が進んだ“準白人”とみなしていた。逆に中国は滅びゆく文化の国であり、日本はアメリカと共に東アジアの文明化を進めるべきだと考えていた。

そうした発想は、ルーズベルト政権の対日政策にも反映している。まず1905年に桂太郎総理大臣とウイリアム・タフト陸軍大臣は「桂タフト秘密協定」を調印している。その内容は、日本は、第一にアメリカの植民地フィリピンに干渉しない、第二にアメリカは日本の朝鮮半島の支配を容認する、第三に東アジアの平和は日本とアメリカ、イギリスの同盟によって維持されるという内容である。日本が朝鮮半島に侵入した時、朝鮮王朝はアメリカに支援を求めるが、アメリカ政府はこれを無視している。日露戦争ではルーズベルト政権は中立の立場をとったが、大統領は私信の中で「私は単に道徳的な支援以上のものを日本に与えることにやぶさかではない」、「アメリカの共感は完全に日本にある」と書いている。さらに金子堅太郎との最初の会談で「日本が日露戦争で勝利し、アジアの偉大な文明国家としての地位を確立すると確信している」と語っている。大統領がポーツマス和平交渉の仲立ちをしたことは良く知られている。日本はロシアから賠償金を得ることはできなかったが、ルーズベルト大統領はポーツマス条約の内容に関して日本を支持していた。

セオドーア・ルーズベルト大統領と対照的なのが、フランクリン・ルーズベルト大統領である。同大統領はアジアに対する強い偏見を抱いていたと思われる。1925年に新聞に寄稿したエッセイの中で「極東を旅行したことのある者は誰でも、アジアの血とヨーロッパあるいはアメリカの血が混ざりあうと、10中9は不幸な結果をもたらす」と書いている。ここでいう「アジアの血」とは日本のことを暗に指していた。また、アジア人を生まれつき信用できない人種的な特質を持っているとみていたし、日本からの移民はアメリカ社会に同化できないと考えていた。そうした日本人に対する偏見を持っていたことが、太平洋戦争中に日系アメリカ人を収容所に送る法案に署名した背景にあった。大統領の妻のエレノア・ルーズベルトは夫の判断を厳しく批判したことで知られている。セオドーア・ルーズベルト大統領が中国を蔑視していたのとは対照的に、フランクリン・ルーズベルト大統領は中国に同情的であった。日中戦争の際にルーズベルト大統領は民間組織を使って中華民国に軍事援助を与えていた。当時のアメリカ全体の雰囲気も中国に対して好意的であった。平均的なアメリカ人の中国観は、宣教師の伝える情報やパール・バックの小説『大地』の影響を強く受けていた。厳しい生活を強いられた中国人農民に対して同情心を抱いていた。さらに中華民国は膨大な資金を投じてアメリカ国内でPR活動を行い、アメリカの世論の対中国観と対日観に影響を及ぼそうとした。その時に大きな役割を果たしたのが、蒋介石の妻の宋美齢である。彼女はボストン郊外にあるウエルズリー大学を卒業し、美人の上に流暢な英語を話した(余談だが、同大学はヒラリー・クリントンの卒業した大学でもある)。雑誌『タイム』の社主とも親しく、中華民国のファーストレディーとして同誌の表紙を飾っている。こうしたルーズベルト大統領の対日観や世論が、真珠湾攻撃に至る過程の伏線にあったのは間違いない。アメリカ国内では反戦意識が強く、ルーズベルト大統領は対日開戦を決めることはできなかった。アメリカ国民が参戦を支持するようになったのは、真珠湾攻撃である。いつも政治的に分裂していたアメリカは、これを機会に一致団結したのである。

戦後の大統領と日米関係:ニクソンからオバマまで

戦後の大統領では、まず原爆投下を決定し、東西冷戦を始めたハリー・トルーマン大統領(在任期間は1945年~1953年)がいる。同大統領が、どのような対日観を持っていたかは明らかではない。戦後の日米関係で最も大きな影響を与えたのはリチャード・ニクソン大統領(在任期間は1969年~1974年)であろう。ニクソン大統領が、どのような対日観を抱いていたか、どの程度日本について知っていたかは詳細はわからない。ただ、日本よりも、中国に親しみを持っていたことは確かである。大統領の側近は「ニクソンは中国に行くことを夢見ていた」、「中国はニクソンを魅了していた」と書いている。大統領がアメリカの利益を最優先する現実主義者であったことは間違いない。ニクソン大統領を補佐したヘンリー・キッシンジャー安全保障担当大統領特別補佐官(後に国務長官に就任)も同様に徹底した現実主義者である。ニクソン大統領には特に日本に対する思い入れはなかったと思われる。

ニクソン大統領と日本の関係で忘れてはならないのは、沖縄返還と二度のニクソン・ショックである。沖縄返還に際してニクソン政権は中国に配慮して、尖閣諸島の帰属に関して曖昧な態度を扱っており、それが現在の日中間の深刻な問題の原因となっている。日米の沖縄返還交渉は、当時の日米通商問題のひとつであった繊維貿易の交渉とも絡んでいた。最初のニクソン・ショックは国際金融を巡るものであり、日本経済に深刻な打撃を与えた。これで固定相場制が崩れ、先進国は変動相場制の時代へと移っていく。もうひとつのニクソン・ショックは、日本に事前に報告することなくニクソン大統領が訪中し、毛沢東主席と会談したことだ。日本外交はアメリカに追随し、アメリカの中国封じ込め政策の一翼を担っていた。だが、土壇場でアメリカは対中接近を始め、日本は蚊帳の外に置かれることとなった。ソビエトとの関係が悪化し、軍事的な脅威を感じた中国は、アメリカへの接近を進めることで、ソビエトに対抗しようとした。他方、アメリカも経済低迷や対ソ戦略との関係で中国への接近を試みたものである。ニクソン訪中に先立つ周恩来・キッシンジャーの秘密会談で、キッシンジャー補佐官は「率直な日本観を示す。これは米政府全体の見方ではないが、ホワイトハウスの代表的な見解だ」と断って、「中国は伝統的に世界的視野があるが、日本は部族的で視野が狭い」という発言を行っている。ニクソン大統領は、セオドーア・ルーズベルト大統領の中国観、日本観とはまったく違う認識を抱いていた。

指導者の個人的な関係も外交政策に影響を及ぼす。その意味でアメリカ大統領とファーストネームで呼び合える親しい信頼関係を構築したのは、ロナルド・レーガン大統領(在任期間は1981年~1989年)と中曽根康弘首相、ジョージ・W・ブッシュ大統領(在任期間は2001年~2009年)と小泉純一郎首相である。レーガン大統領と中曽根首相の関係はお互いのファーストネームを取って「ロン・ヤス関係」と呼ばれていた。1980年代は日米通商摩擦で両国関係が緊張していた時代である。そうした中で『ニューヨーク・タイムズ』(1987年9月21日)は「中曽根首相とレーガン大統領の温かい個人的な関係は両国間の経済的な問題を解決する上で役に立ってきた」「中曽根首相とレーガン大統領の関係は戦後の両国の首脳の関係の中で最も緊密なものである」と書いている。レーガン大統領が来日した時、中曽根首相は大統領を個人別荘に招待している。政策的にも中曽根首相はレーガン大統領の影響を受けている。レーガン大統領はネオリベラリズムの政策(小さい政府、市場主義、自己責任、規制緩和など)を始めたことで知られているが、中曽根主張も規制緩和(国鉄の民営化など)を進め、「民活路線」を打ち出している。また中曽根首相は、日本をアメリカにとっての浮沈空母にたとえ、日米間の安全保障関係の重要性を訴えたことでも知られている。

小泉首相とブッシュ大統領も、お互いの間に緊密な個人的な関係を作り上げている。おそらく日本の首相で小泉首相ほどアメリカの大統領と緊密な個人関係を作り上げた指導者はいないだろう。2010年に小泉首相はテキサス州クロフォードにあるブッシュ大統領の個人農場に招待されている。個人的な信頼関係を構築しない限り、こうした待遇は期待できない。小泉首相は中曽根首相と同様にアメリカ流のネオリベラリズムの政策を採用している。ブッシュ・小泉時代は日米間に問題らしい問題は何もなかったと言っていいほど平穏な時代であった。

バラク・オバマ大統領と日本の関係はどうであろうか。2010年に来日したオバマ大統領は鎌倉の大仏を訪れている。鎌倉は大統領が子供時代、母親と一緒にインドネシアに行く途中に日本に立ち寄った時に訪れた場所である。その時食べた抹茶アイスの味が忘れられず、「少年時代に続いて(鎌倉を)2度訪れることができ大変うれしい」と語っている。アメリカ大統領の中で子供時代に日本を経験した唯一の大統領である。だからと言って、オバマ大統領が日本について良く知っているとはいえない。また、安倍晋三首相には中曽根首相や小泉首相が作り上げてきたような親密な関係をオバマ大統領との間に作り上げてはいない。しかし、日米の間には安全保障問題でかつてないほど強い結びつきを作り上げている。すなわち、中国の経済的・軍事的な台頭と安全保障の軸足をアジアに移しているアメリカにとって、日米関係の重要さは今まで以上に増しており、同盟関係もかつてないほど深くなっている。また経済的にもTPP(環太平洋パートナーシップ)協定の必要不可欠なパートナーになっている。個人的な関係を越えて相互依存関係は深まっているのが、現在の日米関係であろう。

次期大統領で日米関係はどう変わるか?

最大の関心事は、次期大統領が誰になるかである。現在、党の大統領候補になるための予備選挙に向けた選挙運動が展開されている。共和党では10人以上の候補者が乱立している。世論調査から判断する限り、有力候補はかなり絞られつつある。先行しているのが、経営者のドナルド・トランプ氏と脳外科医のベン・カーソン氏、それに続いているのが上院議員のマルコ・ルビオ議員とテッド・クルーズ議員である。当初、共和党指導部の支持を得て、最有力候補と見られていたブッシュ前大統領の弟のジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事は大きく差をあけられている。トランプ氏が移民政策で厳しい主張をすることで人気を博しているが、共和党の大統領候補に指名される可能性は小さい。かりに大統領候補になっても、本選挙で民主党の大統領候補に対して勝ち目はないだろう。トランプ氏の支持層は高卒の白人労働者層である。彼の移民に対する大胆な発言などが、そうした層の溜飲を下げさせているのが、最大の支持理由であろう。予備選挙が進めば、より現実的かつバランスの良い候補者に支持は移っていくと思われる。最終的には、ルビオ議員とクルーズ議員が大統領候補として浮上してくると予想される。

他方、民主党はヒラリー・クリントン前国務長官が世論調査で大きくリードし、バーニー・サンダース上院議員が追いかけている。両候補の一騎打ちになっている。クリントン氏は国務長官として何度も日本に来ており、ある程度の日本に対するイメージは持っていると思われる。しかし、サンダース議員は日本に関する情報やイメージをほとんど持っていないのは間違いない。サンダース議員は自らを「民主的社会主義者」と標榜し、民主党内では特異な存在である。一匹狼である。ただ党内のリベラル派や市民運動家、若者の支持を得ており支持率も徐々に上昇している。また労働組合寄りで、雇用を喪失するという理由からTPPに反対している。ただ民主党の大統領候補に指名される可能性はほぼゼロに近いだろう。

誰が大統領になっても、取り組まなければならない問題がある。まずTPP協定をどうするかである。クリントン氏は2008年の大統領選挙の際に、いかなる新しい貿易協定にも反対し、NAFTA(北米自由貿易協定)も見直すと主張していた。だが、オバマ政権の国務長官に就任し、オバマ政権がTPP促進を打ち出した時、それを支持すると発言していた。だが、今回の予備選挙の中でTPP協定に反対すると主張を変えている。民主党議員の大半はTPP協定反対の立場を取っている。その理由は、途上国に職を奪われると懸念する労働組合の支持を取り付ける必要があることだ。オバマ大統領は、在任期間中に共和党の協力を得てTPP協定の批准を図ろうとしているが、批准が次期政権に委ねられる可能性もある。かりにクリントン氏が大統領に選ばれたら、どういう政策を打ち出すのか、大いに興味があるところだ。共和党のトランプ氏もTPP協定に反対の立場を取っているが、共和党議員の大多数はTPPに賛成している。

また、クリントン氏は中国の人権問題に批判的であったが、国務長官に就任すると中国批判のトーンは落ちた。第一期のオバマ政権は、人権問題よりも、経済関係を重視する姿勢を取っていた。だが、二期目のオバマ政権は安全保障問題で中国に対して厳しい政策を取るようになっている。次期大統領がどのような対中国政策を取るかが、日本にも大きな影響を及ぼすことになるだろう。日本が安全保障関連法案を成立させたことで、アメリカの新政権は民主党の大統領であれ、共和党の大統領であれ、今まで以上に日本のアジアにおける軍事的コミットメントを求めてくることは間違いない。もともと、安全保障関連法案は、アメリカが最も望んでいたものである。

最後に、日米間のテロ問題に関する協力の問題が大きな課題にあがってくるだろう。アメリカの社会も政治も、9・11連続テロ事件で変わってしまった。アメリカはテロの脅威に対して過剰な反応を示してきた。イスラム国のテロが具体的な脅威になりつつある。この面でも、アメリカの新政権は日本に対する要求を強めてくるだろう。オバマ政権は財政赤字削減のために軍事予算の削減を進めている。民主党であれ、共和党であれ、従来以上に日本に対して安全保障での協力を求めてくるだろう。日米関係は台頭する中国を前により緊密にならざるを得ないが、それはアメリカの対日要求がより強くなることを意味するかもしれない。だれが大統領になっても、アメリカの軍事予算削減は続いており、日本により多くの負担を求めてくるのは間違いない。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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