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シンガポール「世界一の教育」に対する誤解と現実 PISA1位?競争が激しい?教育移住はありか?

中野円佳東京大学特任助教
(ペイレスイメージズ/アフロ)

止まらない「シンガポールの教育」への評価

米朝会談も滞りなく終了し、国際都市としてますます注目を浴びるシンガポール。税制や子育て環境としても移住する世界の富裕層も多い。

国際NGO(非政府組織)のSave the Childrenが5月末に発表したレポートで、子どもが育つのに適した環境を指標化した結果、シンガポールとスロベニアが1位に選ばれている。5歳以下の死亡率、発達障害、学校に通っていない子どもの割合、子ども労働、早婚、若い時の出産、紛争で住みかを追われた国民の数、子ども殺人の割合の8項目について175カ国を調査した結果で、日本は19位。

シンガポールは15歳向けの国際横断学力テストPISAでも各科目で1位を総なめにしている。金融大手HSBCが毎年実施している調査では、外国人駐在員の駐在先に対する評価が最も高い国として2017年度まで3年連続で1位を獲得。欧米や日本からも子どもの教育環境などを理由に移住する富裕層がいるなど、「シンガポールの世界一の教育」の評判は止まらない。

シンガポールには2種類の教育がある

しかし、実際にシンガポールで子育てをしはじめると、まずシンガポールの教育について過去の自分含めて多くの日本人が誤解していることに気づく。シンガポールにいる人には一目瞭然なのだが、まず外から見て「シンガポールの教育」と言うとき、そこには2種類の教育がある。「シンガポール人が通うローカルの教育」「シンガポールにあるインターナショナルな教育」だ。この2つは全く通う層が異なっており、分けて論じないといけない。

競争の激しいローカル校、現地では課題認識も

まず、「シンガポール人が通うローカルの教育」について。PISAの順位に寄与している公立の子どもたちが通うのはこちらだ。シンガポールは小学校卒業時に受ける試験でその後進学するコースが決まり、ひいては大学に行けるか、日本で言う高専のような「ポリテク」に行くか、が振り分けられていくので非常に競争が激しく、親は教育熱心である。街中には幼児向けの算数や中国語の塾などが散見されるほか、家庭教師も盛んだ。

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こうした競争的な環境で試験の点数は高いものの、リスクをあまり取ろうとしない、イノベーション人材が育たない、若者に自信がないということなどが国内では課題として認識されている。政府も「創造性」を身に着けさせる方向に舵を切り、様々な方針を打ち出している。しかし、既存の競争に駆り立てられてすでに我が子に投資してきている親などの反発もあるといい、今後どこまで構造を変えられるかは不透明だ。

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PISA2015の結果をOECDがまとめた資料によると、「クラスで1番になりたい」「試験の前に十分準備をしていても、まだ心配だ」といった質問に対して「あてはまる」と回答している生徒の割合は、シンガポールではOECD平均や日本に比べても高く、競争の激しさがうかがえる。また、学校におけるいじめも、日本と同様に問題になっている。

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つまり、「シンガポール人が通うローカルの教育」は外からもてはやされるほどバラ色とは言えない状況である。これに加え、「シンガポールの教育が素晴らしいから」と外国人が教育移住をしてこの枠組みに入り込もうとするのは意外と難しい。

たとえば、小学校に入学する際は公立でもシンガポール人、永住権取得者が優先されるほか、シンガポール人の中でも家族が通っていたなどの「出身」がみられるため、そもそも「評判が良い学校」とされるところには入学すること自体が難しい。

仮に入れたとしても熾烈な状況が待っている。ローカル校に日本人が通う選択肢について、シンガポールに29年在住し、移住や教育の相談にも応じている Hirooka Family Office CEO 廣岡良博さんは「外国人でも永住権を持つ親にとっては子どもをローカル小学校に行かせるというのも選択肢。でも、日本から来ると言語の問題もあるが学習内容のレベルが1~2年遅れており、1年落として入るのは当たり前。それでもついていくのが大変なこともある。基本的には駐在家族などにはお勧めしない」と話す。

インターナショナル校にはシンガポール人はいない

では「シンガポールにあるインターナショナルな教育」はどうか。治安の良さ、住み込みでメイドを雇うことができるなどとも相まって、オセアニアや欧米からもわざわざシンガポールで子育てをしたいと移ってくる人もいる。中国語が学べる環境も魅力的だ。

外国企業を誘致しているので、様々な国からの駐在員も多く、米系、英系、カナダ系、オーストラリア系、インド系…と様々なインター校が存在する。人気校はウェイティングリストがあり、なかなか入れないこともあるが、選抜がなく、受け入れのハードルが低い学校もある。

ただ、インター校で問題となるのは学費の高さだ。シンガポールはそもそも家賃が日本と比べても非常に高く、生活雑貨や食品など物価も高い。これに加えて、通常年間250~300万円程度の学費がかかる。

シンガポールの日本人家庭にインターナショナルスクールを紹介しているカルチャーコネクションの岡部優子代表は「通常企業駐在の場合、100万円弱の日本人学校の学費までは補助が出る場合が多い印象を受ける。それを超える部分については各家庭で負担している」と話す。

企業役員や投資家など富裕層が通わせているケースも多いようだ。子どもが2、3人いて高校までインター校で通わせようとしたときには、長期的なキャッシュフローが確保できる自信が必要になるだろう。

最近は年間15000シンガポールドル(円で120万円程度)のインターナショナルスクールも出てきており、選択肢は広がっているものの、企業駐在やかなりの富裕層が通わせていることを考えると、ある意味ではシンガポールの中でも非常に限られた層の人たちが通っているといえる。

人種や国籍は非常に多様ではあっても、こうしたインターナショナル校には基本的には公立に通うように義務付けられているシンガポール国民はいない。いわば国際都市としてのシンガポールに「あるだけ」で、これがシンガポールの教育と言えるのかは微妙だ。

外国人政策としての教育

つまり外国人から見た時の「世界一」のイメージの「シンガポールの教育」は何を指しているのかやや曖昧で、人によって異なり、課題も偏りもある。

とはいえ、シンガポールの教育、とくに外国人に対する教育姿勢は興味深い。シンガポールはもともとのルーツが移民文化であり、今も人口の4割が外国人(永住権を持たない外国人は3割)。永住権やビザの取得については最近厳しくなってきているとはいうものの、多様な人を多く受け入れることで経済が成り立っている国だ。

ここで、教育においては明確な線引きをしていることがわかる。シンガポール人、永住権取得者はローカル公立校へ。そして、富裕層や企業が学費を負担することが前提に呼び込む高度人材は、インター校へ行ってもらう(日本人は日本人学校に行かせる選択肢もある)。

一方で低賃金労働者に対しては、子供を育てることはそもそも前提としないシステムともいえる。建築現場や家事労働者として働く多くの外国人は、出稼ぎ労働者として家族を置いてきている。住み込みの家事労働者は妊娠が分かれば強制帰国となり、通常家族を呼び寄せて住むスペースもない。

このような線引きが良いかは議論の余地が多いにあるが、少なくともこれが外からの評価が高いシンガポールの教育の実態でもある。日本は英語環境でもなく、国の規模も異なり、今からシンガポールの真似をできるわけでもなければ、すべきとも思えない。

しかし、日本でもすでに様々な形で外国人の住民が増えてきており、子どもの母語が日本語でないケースもあるだろう。日本の公立校は多様化しつつある子供たちに十分対処できているとはいえず、一方で高度な外国人人材を惹きつけるほどのインターナショナルな教育環境の選択肢も少ない。

外国人就労も拡大の方向であるにも関わらず、労働者自身の日本語教育や生活支援もままならない。移民を受け入れるべきではないとか、シンガポールの政策の見習うべきということではないが、人材育成や教育政策を国の根本に据え、明確化する姿勢は、シンガポールから学ぶ点もあるかもしれない。

※本記事はBLOGOSからの転載です。

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東京大学特任助教

東京大学男女共同参画室特任助教。2007年東京大学教育学部卒、日本経済新聞社。14年、立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、15年4月よりフリージャーナリスト。厚労省「働き方の未来2035懇談会」、経産省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員。著書に『「育休世代」のジレンマ~女性活用はなぜ失敗するのか?』『上司の「いじり」が許せない』『なぜ共働きも専業もしんどいのか~主婦がいないと回らない構造』。キッズラインを巡る報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞。シンガポール5年滞在後帰国。

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