石巻「こども新聞」心の成長支え5年

こども記者とこども新聞を始めた太田さん 宮城県石巻市、なかのかおり撮影

東日本大震災で被害の大きかった宮城県石巻市。震災後、子どもたちが取材し地域のニュースを届ける「石巻日日こども新聞」が発行されている。私は8月、石巻市を訪ねて「こども記者」と一緒に過ごした。地域の人と交流し、記事として表現することで、力づけられ、子どもたちの心の成長につながっていると感じた。こども新聞の活動の様子や、いろいろな形で支える大人の思いを4回に渡って紹介する。

2回目はこちら→石巻「こども新聞」始めた女性の思い・子どもの感情表す場を

石巻日日こども新聞 震災から1年後の2012年3月創刊。「石巻日日新聞」の協力で制作。年4回の発行で部数は3万部。一口3千円からのサポーターに支えられている。

インドネシアの学生とずんだおはぎ

8月10日。石巻市内で、「石巻日日こども新聞」の記者4人がインドネシア・アチェからのお客さんをもてなした。アチェは2004年のスマトラ沖地震で被害を受けた地域で、大学生のウイルダさんと、大学院生のケンムさんが来日。通訳のスタッフも2人、同行した。

子どもたちは、お客さんと宮城の名物「ずんだ」のおはぎを作った。ゆでた枝豆をつぶして砂糖を加え、炊き上げて丸くしたもち米をくるむ。みんなで一緒に味わいながら、打ち解けた空気になった。

ずんだおはぎを作る子どもたち 筆者撮影
ずんだおはぎを作る子どもたち 筆者撮影

それからお互いの国のことを質問し合った。この日は、小学校5年・ユイさんの本格的な記者デビュー。考えてきた質問をして、メモを取る。インドネシアには雨季と乾季がある、一年中暑いといった基本的な情報のほか、「アチェが津波の被害を受けた時は、日本の人が助けてくれた」という話もあった。

記者デビューしたユイさん 筆者撮影
記者デビューしたユイさん 筆者撮影

こども記者活動について質問も

逆にアチェのスタッフから質問され、子どもたちは、これまでに自分で取材した内容を紹介した。「記者をして難しかったことは?」「質問を考えるのが難しい。こんなこと聞いていいの?って思う」というやりとりも。

また「記事が出て、取材した人の反応は?」と聞かれ、「怒られたことはありません」「喜んでもらえます」との答えがあがった。「インドネシアに行って、子どもたちと交流できたらいいね」と夢を語り合った。

インドネシアでイスラム教の女性は、頭にヒジャブという布を巻く。ユイさんは、ウイルダさんに巻いてもらった。取材を終えて、「聞きたいことを、聞けました」と笑顔。この交流の様子を、大人スタッフのサポートを受けながら記事にまとめた。9月、デビュー作がこども新聞の23号に掲載された。地元の石巻日日新聞の協力で印刷されていて、通常の新聞と同じ仕様の紙面だ。

まとめた記事の一部(提供)
まとめた記事の一部(提供)

震災後にこども新聞を始め、ワークショップを開いて居場所を作ってきたのは、石巻出身の太田倫子さん(48)。この日も、ずんだおはぎの材料や道具を用意。質問し合う場面では、さりげなく子どもたちの話を補って盛り立てた。

対話、東京の団体も後押し

アチェの一行を案内したのは、特定非営利活動法人「地球対話ラボ」(東京都大田区)のメンバー。2002年の「アフガン対話プロジェクト」が活動のスタート。テレビ電話と衛星電話を使ってアフガニスタンと日本の高校生の対話を実現。双方向の対話からお互いを知る機会を作ってきた。近年、インターネットテレビ電話(スカイプなど)が普及し、つながりは広がった。

震災後は、津波の被害を受けたインドネシアの若者と日本の大学生の交流を後押ししている。アートを通して社会の課題に取り組むグループ「アチェ・コミュニティアート・コンソーシアム」が始まるのをきっかけに、今回はそのメンバーを招いた。

アチェのメンバーは、石巻のほか、福島の浜通りや仙台も訪れた。福島では被害の激しかった地域を訪ねるツアーに参加し、原発災害を見てもらった。仙台では仮設住宅から移ったコミュニティで料理を作って交流したり、障害者の作業所を訪ねたり。

ヒジャブを体験 筆者撮影
ヒジャブを体験 筆者撮影

「子どもたちのエンパワメントに」

こども新聞の活動の場「石巻ニューゼ」には、石巻日日新聞が震災後、新聞を印刷できなくなっても、手書きで避難所に貼りだした壁新聞が展示されている。アチェの一行は「よくやっていたね」と見入っていた。こども記者の活動については「子どもたちのエンパワメント(力づけ)になっている」と話した。

対話ラボの事務局長・渡辺裕一さんは「来てくれたアチェの若者は、小学生ぐらいの時に津波を経験。直接は被災していないメンバーも、壊滅した街を見ているし、海外からの支援を受け今のアチェがあることを知っている。彼らが東北の子どもたちを支援する側になって、お互いに交換できるものがあると思います」。

連載の2回目は、こども新聞を始めた太田倫子さんの物語を紹介する。