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新庄剛志が惚れたアーティスト・HARTYが体感した“1%の戦い”

中西正男芸能記者
憧れの人だった新庄剛志氏への思いを語るHARTY

 新庄剛志さんの公式応援歌「%1」を歌うミュージシャンのHARTYさん(35)。昨年12月、新庄さんがプロ野球のトライアウトを受けた際にも、最も近いところで新庄さんを支えていました。自身も甲子園に出場した高校球児でしたが、新庄さんとの縁は思わぬ形で紡がれたものでした。そこから垣間見たスターの孤独。そして、新庄さんから託された言葉とは。

「いつか新庄さんみたいに!」

 香川西高校野球部3年の時に副キャプテンとして夏の甲子園に出たんですけど、そもそも、野球を始めたきっかけが新庄剛志さんだったんです。

 小学1年の時、塗装業をしていた親父にいきなり車で甲子園球場に連れて行かれたんです。それまで野球に興味はなくて、その場所が甲子園球場ということも分からないくらいだったんですけど、それが1992年5月26日のことでした。

 試合は、阪神タイガース対横浜大洋ホエールズ戦。試合途中から球場に入ったんですけど、アルプススタンドに座ると、ちょうど、一軍初スタメンの新庄さんがバッターボックスに立ってたんです。

 状況も良く分からないままグラウンドに目を向けていたら、そこで新庄さんがホームランを打ったんです。その時の球場の熱。歓声。そして、新庄さんのカッコよさ。

 それが忘れられなくて、すぐに自分も野球を始めたんです。「いつか、新庄さんみたいになるんだ!」と思って。

 そこから野球に打ち込んで、地元である大阪・岸和田から香川西高に行って甲子園に出たんですけど、球場に足を踏み入れるや否や、センターのポジションに走っていきました。かつて見た新庄さんが立っていたところ。「やっとここまで来たか」という思いを噛みしめながら、そこに立ってみました。

 大学でも野球を続けたんですけど、ケガで断念せざるを得なくなった。もう、野球で新庄さんを目指すことはできない。じゃ、あの日の新庄さんのような歓声を浴びることが野球以外でできないか。それを考えた時に出てきたのが音楽だったんです。

 というのも、実は野球とほぼ同時期に音楽も始めてたんです。いとこのお姉ちゃんがバンド好きで、その影響で子どもの頃から僕も音楽をやるようになって。

 といっても、叩いていた“ドラム”は父親が現場から持ってきたバケツをひっくり返したものやったんですけど(笑)、野球と並行してバンド活動はやっていたんです。

 野球の道が閉ざされた。次は、何とか音楽で歓声を浴びたい。方法論は変わったんですけど、目指すところはあの日の新庄さんではあったんです。

 そうやってミュージシャンの道を歩んできたんですけど、2019年の11月に新庄さんがもう一度プロ野球選手になるということをSNSでアップされたんです。

 憧れの人がまたすごいことをやろうとしている。そう思って、一人のファンとしてSNSを注目していたら、そこから1カ月ちょっと経った12月22日、いきなりインスタグラムのダイレクトメッセージが来たんです。

 「僕は歌を歌っている人をすごく尊敬しています。もっと、もっと、聞いている人に刺さるような最高の歌を届けてください。新庄剛志」

 ずっと憧れの存在ではあったものの、何の接点もないし、一方的に見ていただけ。そして、人生の原動力になっていた人から、いきなりメッセージが届く。

 そら、頭が真っ白になりました(笑)。詐欺メール的なものかとも思ったんですけど、何回確かめてもホンモノのアカウントから来ている。なので、返事を返したんです。

 「ありがとうございます。僕も新庄さんに負けないくらい、もっと頑張って、たくさんの人に歌を届けたいと思います」

 僕の歌をどこかで聞いてくださって、ありがたいことにメッセージを送っていただいた。それだけで夢みたいにうれしいことなんですけど、そのメールに対してこちらが御礼を伝えて、やりとりは終わり。普通、そんな感じだろうな…と思っていたら、またメッセージが来たんです。

 「歌を作ったり、夢を見ることに『頑張る』なんて必要ないよ。そして、僕なんかに『負けないように』なんて、そんなちっぽけなこと言わないで。オレなんかを越えるくらいのことでなく、もっとバカでかい目標を立てて、そこに向かう道のりを楽しむんだよ」

 思ってもいない熱いメッセージをもらったので、何と返したら良いのか分からず、しばらく固まってたら、すぐ追加でメッセージが来まして。

 「それが、新庄の信条…てかっ!!」

 そこで、一気に「ハッ!?なんや、それ!」と我に返りましたけど(笑)。

 そのやり取りのすぐ後、新庄さんがインスタグラムに「いい曲を歌うアーティストを見つけた」というコメントとともに僕の写真を載せてくれたんです。

 そして、さらにダイレクトメッセージで「HARTY君、僕がもう一回プロ野球選手になった時、登場曲をキミが歌ってくれないか?」と言われました。

 そんな言葉をいただいて居ても立っても居られないというか。「スケジュールが調整でき次第、新庄さんがいらっしゃるバリ島にうかがいます」と返信しました。インスタグラムを見ていても野球の練習相手がいなさそうなので、せめてそのお手伝いくらいは行けばできるんじゃないかと思いまして。

 もともと予定されていた一連のライブが終わった2020年2月、バリ島にうかがいますとお伝えしたんです。その時点で2019年の12月末でした。

深夜の空港で

 でも、そこからしばらく新庄さんと連絡が取れなくなったんです。何を送っても返答がない。でも、こちらは変わらず思いをお送りしたりしてたんですけど、何の返事もない。

 いよいよバリに向かう日が近づいてきて、日本を発つ直前に「バリ島のどこに新庄さんが住んでらっしゃるかは存じ上げませんが、必ず自力で探し出してご挨拶します。返信無用にて」とメッセージを送ったんです。

 乗った飛行機は深夜1時ごろ、バリに到着する便やったんですけど、到着ゲートを出てビックリしました。

 「HARTY君!」と呼ぶ声が聞こえるので「えっ?」と思ったら、なんと、新庄さんが僕を待っててくれたんです。僕が探し出すどころか、新庄さんが迎えに来てくれていて。

 そこからホテルまで送ってもらって「明日午前10時にまた迎えに来るから、練習付き合ってね」と言ってくださって別れたんですけど、展開が衝撃的すぎて、結局、一睡もできないまま10時になってました。

 その日から1週間、朝から晩まで練習や食事、買い物などをご一緒させていただくことになったんですけど、その流れの中で「なぜ、しばらく連絡が取れなくなったんですか?」ということも尋ねてみたんです。

 「自分はお金をだまし取られてバリ島に来た。だから、どうしても人が信じられなくなっているところがある。だから、本当に申し訳ないけど、HARTY君を試したんだ。でも、キミはしっかりと変わらずいてくれた」

 すぐさま「僕がどれだけドキドキしたと思ってるんですか(笑)」と返したんですけど、そこにリアルな新庄さんの心を見た思いがしましたし、その話をストレートにしてくださったことがまたうれしかったです。

1%の戦い

 そこから日本に戻ってきて、せめて何かお返しができないかと考えて作ったのが、後に「%1」になる曲だったんです。新庄さんといて感じたことを曲にしてお送りしたんですけど「これは僕だけにとどめておくべきものじゃない」と言っていただいて、リリースすることになったんです。

 そして、トライアウトに向けて新庄さんが日本に帰ってきたのが8月10日。そのタイミングで僕も大阪から東京に出て、トライアウトまでの間、東京で共同生活をしました。

 一緒に暮らしているからこそよく分かるんですけど、家にいる時もずっとトレーニングをしているんです。3階建ての家にお住まいなんですけど、家の階段をずっと往復したり、昼夜問わずウエートトレーニングをしたり。ずっと鍛えてらっしゃるんです。

 トライアウト前日も一緒にいて、最後の練習をしたんですけど、そこでずっと新庄さんが使ってきたスパイクを僕にくださったんです。もう一回プロ野球選手になるまでサインはしないとおっしゃってたんですけど、そのスパイクには“HARTY、ありがとう。新庄剛志”と書いてくれました。

 ただ、結果的に、どこの球団からもオファーはなかった。そこで、新庄さんから言われたんです。「HARTYすまない。1%の可能性にかけるという曲を作ってくれたけど、0%になってしまったね」と。

 でも、その時ばかりは瞬時に言葉を返してました。「僕は、そんなことないと思います。トライアウトにたくさんの人が注目して、たくさんの人が胸を躍らせた。もう、その時点で成功じゃないですか?1%の可能性を形にしたと僕は思います」と。

 トライアウト後、おっしゃっているのは「これから、オレは人生の最終的な夢を構築する」ということです。

 ただ、その夢が何かは「それは言わん!」と(笑)。でも「楽しみに待っててね。HARTYの『%1』を広められるのは、これからのオレだから」ともおっしゃっています。ということは、1%の戦いはまだ続いているんだと感じています。

 なので、形は変わったかもしれないけどマインドは変わらない。そんな思いを込めて、今月27日に配信開始になる曲も「Change the color」というタイトルにしたんです。

 恩返しなんて新庄さんは求めてないと思いますけど、もし、それができるなら、最初に新庄さんがおっしゃったように「たくさんの人に刺さる最高の歌を届ける」。それなんでしょうね。

 そして、これも最初におっしゃった「オレを越えるなんて小さいことを言うな」ということを実現する。それしかないと思います。

 あんまり真面目なことばっかり言ってると、これはこれで笑われそうなので(笑)、こんなところにしておきたいと思います。

(撮影・中西正男)

■HARTY(ハーティ)

1985年5月23日生まれ。大阪府岸和田市出身。本名・花田裕一郎。小学生の頃からバンドを組み、音楽活動を始める。初めてのプロ野球観戦で目の当たりにした新庄剛志に憧れ野球にも打ち込む。香川西高野球部では3年時に副キャプテンとしてに甲子園に出場する。大学でも野球を続けるが、ケガをきっかけに再び音楽に没頭。ジャマイカに渡り、本場のレゲエミュージックに触れてミュージシャンとしての足腰を鍛える。2014年に配信した「I SEND JAPAN」がプロ野球・広島東洋カープの白濱裕太選手の登場曲として使用される。19年には、女優・川崎亜沙美とのコラボソング「FURUSATO~ちょうちんのあかり~」でメジャーデビューを果たす。20年には、インスタグラムをきっかけに交流が生まれた新庄剛志への思いを込めた新庄剛志公認応援歌「%1」をリリースした。今年1月27日には新曲「Change the color」が配信される。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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