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「『M-1』は好きじゃなかった」。「ライセンス」が語るどん底の思い

中西正男芸能記者
「ライセンス」の藤原一裕(左)と井本貴史

 12月20日に決勝戦が行われる「M-1グランプリ2020」。様々なコンビに影響を与えてきた大会ですが「ライセンス」の藤原一裕さん(43)と井本貴史さん(42)にとっては、苦い思い出がにじむ場だと言います。「M-1」が「好きじゃなかった」どん底での感情。そして、再生のキーマンとなった先輩の言葉。今の思いをストレートに語りました。

不満の塊

 藤原:2006年、敗者復活から「M-1」の決勝に進みました。当時の出場資格でラストイヤーにあたる10年目で初めての決勝でした。

 芸人人生を振り返った時に、一番しんどかったのが04年、05年でした。自信もあるし、エネルギーもある。自分たちが力を入れていたトークも、隔週でオールナイトイベントをしたり、とことん情熱を注いでいました。

 井本:芸人って、なんというか、多種多様じゃないですか。言うなれば、陸上部みたいなもんで。その中にいろいろな競技がありますし。

 お笑いにもいろいろな“競技”がある中で、僕らが当時一番力を入れていたのがトークだったんです。コンビとして、一番光が見えそうなところだとも思っていましたし。

 トークは今でも続けていますし、これからも続けていくと思いますけど、その頃はそこに注ぐ力がかなりの量やったと思います。

 藤原:周りはどんどん仕事が増えていく。金はないけど時間はある。いろいろなフラストレーションばかりが積み重なっていく。

 本当に正直な話、「M-1」が好きじゃなかったんです。そこでしか評価しない体制というのもどうやねんとも思ってました。滅入るというか、不満の塊でした。「なんで、誰も理解してくれへんねん」と。

 中でも、大きかったのは「はねるのトびら」(フジテレビ)でしたね。その番組に出ている後輩たちの、明らかな突き上げ。そして、一瞬で上がっていくさま。誰かに何かを言われたわけではないですけど、自分の中にグサグサ刺さる現象でした。

 端的に勢いを感じるのは、声援です。同じ劇場出番になった時、舞台にコンビ名が出た時の声援がまるで違うんです。レベルが違う。僕らの方が先輩だし出番はあとやのに、声援は段違い。決定的な差を見せつけられました。

 そうなると、より、悶々とします。でも、どれだけ悶々としても、誰も目を向けてはくれない。本当にそれを打破したかったら、こちらから視界に入っていくしかない。

 そこで、完全に「M-1」にシフトしました。「M-1」というシステムがあるならば、そこで結果を出す。そう思って積み重ねをして、決勝にたどり着きました。そして、そこから実際に仕事も増えていきました。

 今、振り返ると、しんどい時期も「M-1」にシフトした時期も、全てが大事だと分かります。ただ、当時は本当にしんどかったですね。先も見えないし…。

「エエもん食いに行こか」

 井本:その期間、僕にとっては浜田(雅功)さんの存在が本当に大きかったですね。ほぼ毎日会ってたんで。

 最初は「ガキの使い―」の前説に行かせてもらうようになって、そこをきっかけに本当にかわいがってくださいまして。

 特に、僕らは01年に東京に出てきてから、ボケとツッコミを変えたんです。そこから僕がツッコミをするようになりました。

 だから、リスタートの部分で、何をどうすればいいのかが分からなかった。ただ、それでも今から考えたら「よう、そんなこと聞くなぁ」ということを浜田さんに尋ねてました(笑)。「ツッコミって何ですか?」という根源的なことから、話の振り方みたいな実践的かつ基本的なこともイチイチ聞いてました。

 けど、それに対して、全部答えてくれるんです。「分からんけど、オレやったら、こうすると思うわ」「オレは、こう思うわ」という言い方で。

 食べ物一つでも、本当に勉強させてもらいました。

 「エエもん、食いに行こか?」

 「そんなん申し訳ないです…」

 「いや、ちゃうねん。単純にエエもんを食いたいんじゃなく、お前にそれを食べといてもらいたいねん」

 そういう感じで毎回本当にエエもんを食べさせてもらいました。一食で一人何万円もするような食事なんて、当時の僕の感覚からしたらありえない食事でしたけど、そういうお店にわざと連れて行ってくれるんですよ。

 そこで、浜田さんが言われてたのは「幅を作りなさい」ということでした。例えば、今日、晩飯で何万円のものを食べたら、明日は何百円のものを食べなさいと。それが人間の振れ幅やし、上を知らんかったら幅にならないからと。

 幅の広さが経験になるし、その幅を言葉に置き換えていく。そういうことの意味も、いつも時間があったその時期に教えてもらいました。

 今、自分がこの歳になって、それができてるのかはわかりませんけどね。5~6年目の若い子に聞かれたら「知らんがな!」って言ってしまいそうですけど(笑)。

 藤原:本当にいろいろな方に支えられての道のりでしたし、よう考えたら、もう僕らも43歳ですからね。

 自分の感覚で言うと「43歳って、こんなんなんや…」という感じです。実感もないし、ホンマに、こんな感覚のままでいいの?というくらい、重さもないし。

 ただ、周りからしたらストレートに43歳と見られるわけで、その時に生まれる世間とのギャップが怖かったりもしますけどね。オレ、この感覚で50歳にもなってるのかなと。

 もう20年ほどトークライブは続けてますけど、今後も続けていくと思いますし、その時々の自分が、同じトークライブという形の中でどうなっていくのか。それは興味深くはありますけどね。

 井本:確かに、80歳くらいになって、どんな感覚になってるのかは楽しみではありますよね。それでも感覚は変わってないのか。それを自分でも知りたいです。

 ま、さすがにトークライブをするにしても、オールナイトではなくなってるでしょうけどね。朝4時とかからやってるかもしれませんけど(笑)。

(撮影・中西正男)

■ライセンス

1977年9月20日生まれの藤原一裕と78年1月27日生まれの井本貴史が96年にコンビ結成。ともに奈良県出身。吉本興業所属。2001年に活動の拠点を大阪から東京に移し、日本テレビ「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の前説を担当する。06年には「M-1グランプリ」敗者復活戦を勝ち上がり、コンビ結成10年(当時の資格でラストイヤー)で初の決勝進出を果たす。藤原は09年から11年まで3年連続で「吉本男前ランキング」で1位となり、殿堂入り。12年には「THE MANZAI 2012」にエントリーし、認定漫才師に選ばれる。読売テレビ「ワケあり!レッドゾーン」などに出演。DVD「LICENSE vol.TALK ∞10」が12月23日にリリースされる。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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