新型コロナ禍で講演60本キャンセル。「ほぼ仕事ゼロ」でも島田洋七が語りかける「とにかく、生きとけ!」

コロナ禍、笑いについて電話取材で語った島田洋七(写真は2019年9月筆者撮影)

 「B&B」としてMANZAIブームで頂点を極めた島田洋七さん(70)。シリーズ累計1000万部を突破した著書「佐賀のがばいばあちゃん」でも注目され、これまで重ねてきた講演会は約30年で4800回以上にも及びます。しかし、今年3月からは新型コロナウイルスの感染拡大で、講演会は全て中止に。そんな中、講演会の中身を全て収めた音源を自らのYouTubeチャンネルにアップしました。生活の糧の“ネタバレ”にもつながる流れですが「今は損とか得とか関係ないのよ。いかに人の役に立つか。それだけです」と持論を展開しました。

60本キャンセル

 ここ何年かは、仕事のうち97%くらいは講演会です。今も、九州で放送されてるラジオだけはやらせてもらってるんですけど、その収録が、電話を使って月2回。あとは、講演で動いてました。

 それも3月の頭から完全に止まってるからね。現時点で8月末まで全てキャンセルです。なので、ほぼ仕事ゼロです。講演って、500人、1000人の人が集まって話を聞くわけやし、基本的にお年寄りも多いからね。幾重にも、この状況だとできないんです。

 去年のペースで言うと、年間で100カ所ちょっとで講演をしたから、だいたい月に8本から10本のペース。既になくなった3月から8月の分だけでも、だいたい60本くらいは飛びました。おそらく、8月以降もすぐに入ってくることは考えられないから、いつから再開できるのか、それは全く見えません。

 2月に大阪のリッツカールトンで講演会やって、その流れで、(島田)紳助と(オール)巨人がオレの誕生日(2月10日)のパーティーをしてくれて。その当時はまだそんな感じの世の中やったけど、そこから2回ほど講演やって、2月末からはバタバタとキャンセルでした。

 連日「突然、すみません。キャンセルをさせていただきたいのですが、キャンセル料はどのようにさせてもらいましたら…」みたいな連絡が来るので「コロナ相手にキャンセル料なんか要りません」と口が覚えるくらい(笑)、何回も同じやりとりをしました。

18秒に1回の男

 今回なんて、誰も悪くないのよ。ただただ仕方ない。でもね、一つあるのは、何十年もしゃべりまくってきたから、全くしゃべれんのはつらいわね(笑)。こんなに仕事せんのは初めてやから。

 講演というのはね、テレビじゃないから、一回に見る人数は知れてるんですよ。テレビみたいに一気に何百万人とかに見せるものじゃないからね。ただ、同じ空間でやりますから、空気が伝わります。ほんで、オレの講演は1時間ちょっと笑いっぱなしやから。自分のことを言うのはナニですけどね、そら、見てくれたおばあちゃんの顔も全然違いますよ。講演の前と後とでは。

 終わって、こちらが会場から出ようと思ってタクシーに乗りかけたら、おばあちゃんがたくさん来てくれて「生まれてから、こんなに笑い続けたのは初めて!」と言ってくださるんです。これはね、ホンマ、たまらんよ。

 あとね、忘れられんのは、それも75歳くらいのおばあちゃんが講演の後、3人くらいこっちに来て「あんた、いいばあちゃんに育てられたね…」と泣きながら言われたことやね。今でも言いながら、涙出てくるけど、それは本当に嬉しかったですよ。直接話すということは、いろいろ伝わるし、こちらも、もらうしね。

 それと、今から4カ月ほど前、JAの仕事で福岡で講演したんです。そこの組合長みたいな人が他のところで講演を見てくれてたらしく、ウチでもやってもらいたいということで呼んでくださったんです。

 開演前にあいさつに来られて「講演が終わった後に、お礼の言葉とともに、あることを申し上げますから」と言いはったんですよ。なんやろなぁ?と思いつつ、講演が終わって、花束もらって、その人が出てきてあいさつをされたんです。

 「皆さん、面白かったでしょ?私、以前、洋七さんの講演を見て以来、ずっと気になってたんです。何回皆さんが笑ってるんだろうと。しかも、爆笑で。今日、数えてみました。1時間8分で235回笑ってました。単純計算で18秒に1回。こんな空間ないですよ」と言ってくださいました。もう、島田洋七も飽きてきたら“18秒に1回の男”に芸名変えようかなと思ってます(笑)。

今は損とか得じゃない

 そもそも講演を始めたのは、もう30年くらい前ですけどね、TBSラジオで午後の帯番組をしていた時に、毎週ゲストで評論家の塩田丸男さんが来られてて。

 ある日の放送後、塩田さんが「これから講演なんですよ」と言ってはった。オレ、その時は講演なんてもの、よく知らんかったのよ。でも、塩田さんが「洋七さんもやったらどうですか?笑わせる講演って、誰もやってないですよ」と言ってくれたんです。大学教授とか、たまに野球選手がインタビュー形式でやってるくらいで、爆笑させる講演はないよと。

 その流れで塩田さんから群馬県の商工会を紹介してもらったんですよ。芸能界のいろいろな話なんかをしたら、お客さんが爆笑してくれてね。その瞬間「これ、エエなぁ」と思ったんです。

 しゃべるのは好きやし、もともとが漫才からスタートしてるし、目の前でお客さんの反応があるのは楽しいし。そこで「オレ、これで日本一になってやろう」と思って。そのまま今までやり続けて、気がついたら、4800回以上やってきました。

 だからこそというか、今まで、講演の話を丸ごと全部どこかに出すということはしてこなかったんです。テレビ番組の中で「講演をやってください」という話もありました。でもやらなかった。もちろん1時間以上という長尺の枠が取りづらいというのもありますし、収入的にも圧倒的な軸は講演。考えようによったら、ネタをさらすということにもなる。

 でもね、このコロナは、そんなことを言ってる時期やないのよ。ネタバレとかそんなのは関係ない。今は、損とか得とかじゃないですよ。ま、それでなくても、オレはその都度アドリブ入れまくりやし、また新しいものを考えたらいいんですよ。大事なのは、多少なりとも何か役に立つこと。それですよ。

 自分で言うことやないけど、1時間ちょっと、しゃべりっぱなしの笑わせっぱなし。これだけ長い時間、笑い続ける空間もなかなかないやろうし、今はお年寄りもスマホを持ってる時代。YouTubeに出したら、いろいろな人に見てもらえるんじゃないかなと思って。ホンマにそれだけです。

「とにかく、生きとけ!」

 あとね、今はウチのばあちゃんが言ってたことがいつも以上に頭に浮かぶんですよ。

 「人間、米と味噌、しょうゆがあったら、生きていけるから。それだけ食べてたら大丈夫や」

 ま、細かい科学的根拠は知らんけど(笑)、要は、食べてたら生きていける。そう思って、弟子とか若手に佐賀の米を送ってます。「とにかく、生きとけ!」言うて。「生きとかな、売れんぞ!」って(笑)。それが一番大事なことよ。特に今はね。

 ホンマに、生きるってすごいことですよ。去年6月には岩手・大船渡で講演をやりました。その少し前に、たまたま、別の場所でやった講演を大船渡出身のおばちゃんが聞いてくれていて。講演の後にね「こんなこと言っていいのか分からないんですけど…」と話しかけてきてくれたのよ。「私、大船渡の出身なんです。大船渡でも、笑わせてもらえませんか」と。

 オレが「それはもちろんいいですけど、お笑いって失礼な部分もありますよ。ムチャクチャ言うからね」と返したら「震災から街は復興してきましたけど、まだ心は復興してません」とこちらの手を握って言うわけよ。そこでは「分かったよ」とだけ言いました。

 その流れですぐ大船渡の会館を調べて、自分のスケジュールを見て、30分後には会館に電話しました。

 「6月のこのあたりって、会館、空いてます?」

 「その時期なら、空いてますよ。どんなご用件で?」

 「島田洋七さんの講演会をやろうと思ってて」

 「では、お名前と連絡先をうかがえますか?」

 「島田洋七です」

 その瞬間、向こうはビックリしとったけど(笑)。またそこから「あの~、ご本人にこんな話を申し訳ないんですけど…、入場料によって会館使用料が変わってきまして。どれくらいの料金をお考えでしょうか?」と聞いてきたんで「全部タダです。よろしくお願いします」とだけ言うて、事務所の電話番号を伝えときました。

 ほんで、実際にやったのが去年の6月19日。会場は大船渡市民文化会館リアスホール。これまであらゆるところでやったけど、その時は感覚が全く違いました。

 しゃべってドッとウケたら、その度に涙がこみあげてくるんです。しゃべってるこっちが。ホンマに、よく笑ってくれるのよ。言わずもがな、あれだけ大変なことがあって、つらいことがたくさんあったんやろうけど、これだけ笑ってくださる。そう思ったら、なんやろね、笑いが起こるたびに、こっちが胸いっぱいになるのよ。言葉にしにくいけど、何と言うのかな、しみじみ「やってて良かったな」と。

 せやからね、コロナに勝って、また集まって笑える日が来たら、その時にやる講演はこれまでとは違う感覚になると思ってます。緊急事態宣言にも変化があって、ここからまた笑いが大事な時期になってくる。もう50年ほどお笑いやってきたけど、それは間違いないです。

何のための話術か

 笑いにもいろいろな形があります。特に今はいろいろなことをする若手も多いけど、僕はしゃべくりでやってきました。だから、純粋に自分がしゃべることで、笑ってもらいたい。その思いがずっとありましたし、またそれが強くなりました。

 若手の頃、初めてもらった賞が「NHK漫才コンテスト」で優勝した時の「優秀話術賞」やったんです。「優勝」じゃなくて「優秀話術賞」というのが1位の賞の名前やったんです。それをもらったんやから、話術で日本一にならなアカン。その時から思ってました。

 何事も、まず人の役に立つということ。オレは、それが第一やと思ってます。自分ができることで役に立つ。オレができるのは人を笑かすことだけやから、しゃべって喜んでもらう。そのための、話す技術、話術ですよ。

 講演は来てくださった方が元気になる。自分がしゃべったことで、皆さんがエエ顔になってくださる。オレにとったら、一番の仕事です。

 そして、矛盾するかもしれんけど、ホンマのこと言うたら、オレが楽しいんですよ。それだけ笑ってくださって、エエ顔になってくれはったら、実はオレが一番エエ顔になってるからね。「みんな笑ってくれたなぁ。ホンマに良かったなぁ」って。

 もう30年もやってたら、オレ自身が講演を聞いてくれる人と同年代になってきたけど、体が動く限りはずっと続けたいと思っています。

 だからね、3月下旬から毎日1万歩ずつ歩いて、酒も飲んでません。外食もせんしね。今で6キロ痩せました。164センチしかないのに体重が81・5キロあったんやけど、今は75・5キロまで減りました。

 MANZAIブームの頃は若さと忙しさで、食べても食べても67~68キロ。何とか、そこぐらいまでいけたらなとは思ってます。コロナやから家に引きこもって、ダラダラ飲み食いして体壊したら、それもコロナに負けたことになるからね。そんなん悔しすぎるやん。

 逆にコロナをきっかけに、MANZAIブームの頃の体重まで戻したろうと思ってね。それくらいせんと、やったった気にならんよ。…ま、でも、言うても実年齢は70やからね(笑)、そこはしっかりと頭で理解した上で、気持ち的にはまだまだ走り続けます!

■島田洋七(しまだ・ようしち)

1950年2月10日生まれ。広島県出身。本名・徳永昭広。71年に「島田洋之介・今喜多代」に入門し、72年にデビュー。74年、現在の上方よしおと組んでいた「B&B」として「NHK漫才コンテスト」で優勝に該当する「優秀話術賞」を受賞する。75年に相方を島田洋八に変え、80年代のMANZAIブームを牽引。フジテレビ「笑ってる場合ですよ!」など多くのレギュラー番組を持つ。2004年、小学2年から中学卒業まで一緒に暮らした佐賀の祖母を綴った小説「佐賀のがばいばあちゃん」が注目され、シリーズ本が累計1000万部を超えるベストセラーとなった。また、およそ30年前から1時間以上しゃべりっぱなしの講演会を開催。多い年には年間約300カ所で行うほどの人気を誇る。「少しでも、元気になってもらえたら」と4月22日から自らのYouTubeチャンネルで講演会の音源をアップしている。