蝶野正洋が「今年のビンタに力を込める」理由

防災、救命への思いを語る蝶野正洋

 “黒のカリスマ”と呼ばれ、プロレス界の頂点を極めた蝶野正洋さん(56)。今年でデビュー35周年を迎えましたが、新たな試みとして防災や救急救命の啓発活動にあたっています。災害時に命を守る方法を綴った書籍「防災減災119」も今年9月に出しました。近年は大みそかに放送される日本テレビ「笑ってはいけない」シリーズでのビンタのイメージが強いですが「今年のビンタには、より一層、力を込める」と宣言します。その裏にある思いとは。

仲間との別れ

 2005年、ずっと“闘魂三銃士”でやってきた橋本真也選手が突然亡くなってしまいました。40歳でした。自分は42歳の時で、どこか、選手としての幕引きも考えていた時期だったんですけど、そんな中で橋本選手といきなりの別れが来てしまいました。

 さらに、09年には(プロレスリング・ノア)の三沢光晴社長が亡くなってしまう。オレも自分で感じてましたけど、40代半ばになって体力的な過渡期には来ている。それでも、トップを張っている。みんな危機感はあったと思うんですけど、結果、それが一番悪い形で出てしまった。

 これはプロレス界を挙げて、そういうことが起こらないシステムを作らないといけない。その思いを抱きつつ、自分は10年に新日本プロレスを退団したんです。

 団体から外れて一個人になった時に、とにかく自分にできることは何かないか。そう思って、救急救命講習を受けに行ったんです。その時に東京消防庁の方が「今、救急救命、とりわけAEDの啓発に力を入れてるんです。日本に導入されて数年経つけど、使える人がまだ少ない。そこを広げていきたくて」とおっしゃっていた。

 自分としてはプロレスの中でも悲しいことが相次いで起こって、なんとか整備しないといけないと思っていた領域でもあるので、是非ともやりましょうと。

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自助の考え

 そういう啓発活動をやっていく社団法人を作って、準備を整えた中、翌11年に起こったのが東日本大震災でした。復興イベントで何回か現地に行かせてもらう中で、消防関係の方々との繋がりもより深くなったんです。そこで消防団という存在をしっかりと認識し、実は東日本大震災の時でも、まさに命を懸けて救命活動をされていた。でも、そこがクローズアップされることはあまりない。

 これはご本人たちはあまりおっしゃいませんけど、地域に密着して活動をされているからこそ、避難所にいる人たちの顔をパッと見るだけで誰がいないか分かる。すぐにその人の家にかけつけて助けようとして、津浪が来てしまった。そんな話をたくさん聞いたんです。

 あと、日々の救急救命活動でも、例えば、心臓がとまった。脳梗塞になった。とにかく最初の10分の動きがものすごく大切なんです。救急車を呼んで現場到着まで全国平均8分から8分半。そこから病院に搬送してとなると、もうそこで失われてしまう可能性がたくさんある。

 いわば“いい結果が生まれにくい”状況から救急隊員の人たちは対応にあたるわけです。それでも、後から救急隊員にクレームが来ることもたくさんある。

 さらに、病院までいくと、時間的にはもっと厳しい状況になっている。そこから手を尽くすわけですけど、結局、そこで「なんで助けてくれなかったんだ」と訴訟にまでなることもある。

 そういった話を聞いていて、シンプルな言葉ですけど、純粋に当事者の方々がかわいそうだと思いまして。その流れを多くの人が理解すること。そして、友達が、家族が、いきなり倒れた時に、まずは周りの人間が処置をする。そして、救急車の到着を待つ。そこの意識と知識がすごく大切だと思ったんです。

 オレの中にも、防災とか救命は「プロがやってくれるもの」という意識がもともとありました。けど、そうじゃなく、自分たちもできることをしっかり持っておく。自助の考え。それを多くの人に知ってもらえないだろうかと。

ビンタの意味

 10月1日から芸能事務所「ケイパーク」さんと業務提携を結んだんです。自分の35周年を機に何か新しいことをという思いもありましたけど、やっぱり、防災、救命の活動をもっと強く、広く行えないかという思いが大きかったですね。

 行政に対しても、自治体にしても、しっかりしたことをやってるんです。ただ、なかなか伝わらない。そこに、自分が“客寄せパンダ”として出て、少しでも多くの人に関心を持ってもらう。それが自分の役割だと思っているので、オレはスピーカーみたいなもの。それをさらに大きく伝えるチューナーを「ケイパーク」さんにお願いしている感じですね。

 今年は本も出しましたし、何とかこの活動を広めたいという意識が強いので、活動のメインが啓発になっているところもあります。もちろん、それは大事なんですけど、オレの役割は客寄せパンダだとすると、もう一方で、しっかり名前も売らないといけない。

 今は“プロレスの蝶野”じゃなく“年末ビンタの蝶野”のイメージが強いみたいですけど(笑)、それもありがたいというか「ビンタの蝶野がなぜ救命、防災なんだ?」という違和感とか、否定的な思いも、それは結果的に関心につながるわけで。どんな形でもいいから、とにかくこの分野のことを知ってもらう。それができれば、それが正解ですから。

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 ただね、最初に年末ビンタのオファーが来た時、オレ、断ったんですよ。もう12年ほど前ですかね。まず、ビンタはウチの師匠のアントニオ猪木さんの代名詞だし、オレ、実は試合ではビンタはほとんど使わないんですよね。さらには、人にビンタされるのも、ビンタするのも嫌いだし。

 ただ、収録まで日にちがなくて本当にバタバタの中でオファーをいただいて、オレの中では収録当日に担当者の方としっかりと話をして、ビンタ以外の形を模索しようと思ってたんです。

 じゃ、現場に行ったら、さらにバタバタで。担当者の方と話をするヒマも一切なくて、気づいたらもうその場面になってて。あとは否応なく、山崎邦正(現・月亭方正)君をビンタするしかなかったんです(笑)。それがいつの間にか、今日に至るという感じです。

 ビンタをすることと人の命を救うということ。パッと見たら、真逆のように見えると思うんだけど、オレの中でそこはしっかりと繋がってるんです。今年は本も出したし、新しいことをいろいろ始めましたからね。ビンタで興味を持ってくださる方が多ければ多いほど、オレが伝えたいことに耳を傾けて来てくださる方も増える。なので、今年はいつも以上にビンタに力を込めますよ。方正君には悪いけど(笑)。

(撮影・中西正男)

■蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)

1963年9月17日生まれ。東京都出身。84年、新日本プロレスに入門。91年に「G1 CLIMAX」第1回大会で優勝。2002年、新日本プロレス取締役に就任。10年に退団してフリーになる。17年からプロレスを休業。ファッションブランド「ARISTRIST(アリストトリスト)」も手掛ける。日本消防協会「消防応援団」、日本AED財団「AED大使」などの肩書も持ち、今年9月には書籍「防災減災119」を出す。身長186センチ。12月6日、7日にはスペシャルサポーターを務める「大阪モーターショー」に来場する。