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「怒られたのは一回だけ」俳優・山内圭哉を今も動かす中島らもさんの言葉

中西正男芸能記者
故中島らもさんからの教えについて語った山内圭哉

NHK「あさが来た」、フジテレビ「HOPE~期待ゼロの新入社員~」、日本テレビ「獣になれない私たち」、映画「空母いぶき」「引っ越し大名!」などドラマ、映画、舞台と引っ張りだこの俳優・山内圭哉さん(47)。アニメ業界を題材にした舞台「ハケンアニメ!」(10月12日~16日大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA TTホール、10月31日~11月14日東京・紀伊國屋ホール)にも出演しますが、多忙な中でも常に胸にあるのが2004年に52歳で亡くなった作家・中島らもさんから怒られた日のことだと言います。

子役からスタート

 小さい頃は変わった子やったんです。あんまり友達とも遊ばなかったし。それを心配して親が劇団に入れたのが、この世界と関わる最初でした。

 なので、僕は自分で志して役者になっていないタイプなんです。ある時から“人に求められていること”が面白くなってきて、今に至るというか。なんて言うんでしょう、呼んでくださって、見たいと言うてくれる人もいるんやったら、ちゃんとやらなアカンなぁという。

 じゃ、どういう風にやっていこうかとなると、やっぱり楽しむことかなと思うんです。僕らがやっていることって、エンターテインメントですから、やってる人間が楽しんでないとお客さんも楽しくないだろうなと。

 若い役者なんかは特にですけど、悩むことがデフォルトになっているというか。とにかく負荷をかけてしんどくならなアカン、とことん悩むことありきみたいになってますけど、そんなサマはお客さんは見たくない。だったら、楽しもう。そんなところでやってはきました。

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楽しむとは?

 じゃ、どうやって楽しむのか。これはいろいろあるとは思いますが、僕が思っているのは、まずその現場で何かしらのストレスを抱いている人がいれば、そこをほどいていくこと。これも大切な仕事だし、楽しむことにつながると僕は考えています。

 今回の「ハケンアニメ!」で言うと、主演の大場美奈ちゃんはストレートプレイが初めてだと。なので、いろいろ考えるところもあって、がんじがらめになってしまっていた。

 会話というのは、人が話したり、話しかけられたりして初めて生まれるもんですけど、それを台本とにらめっこして一人でやってる時期があったんです。なので、まず人との会話を楽しんでみる。セリフをしっかり聞いてみる。そんなこともいいんじゃないか。そういう話をさせてもらうと、これが少しほどけてくるんです。スッと楽になって楽しむ気持ちが出てくると言いますか。楽しいと思う人が増えてくると、現場って楽しくなるんです。

 ま、これも、自分がそこそこ歳を取ってきたから言えることですけどね(笑)。30代の頃はやっぱり自分自身が楽しむことを考えてましたから。

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それでいいんだ

 そんなことを考える年まわりになったのかなとも思いますけど、いろいろな考えというか、そもそも、自分がこの仕事を今でもやっている道を作ってくれたのは、やっぱり中島らもさんです。

 子役から始めて、20歳を過ぎて知人にオーディションがあると紹介されて、完全に冷やかしのつもりでらもさんの劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」に行ったんです。そして、入ることになり、中島らもという人に出会いました。

 小劇場という世界はいろいろな面白い人が巣食っているようなところでしたけど、特に「リリパットアーミー」というのは“ごまめ”みたいな劇団でしたから(笑)。らもさんが宴会したいがために始めたみたいなところがあったので、純粋な役者さんがほとんどいなかった。

 噺家さんとか、漫画家さんとか。“不良の大人”というか、自分もそんなに社会性があった方じゃなかったですけど、それでいいんだ。なんなら、ここではそれが有効活用できるんだ。まず、中島らもという人に教わったのはそこでした。

唯一の叱責

 当時、中島らも事務所は12時から18時まで営業で、その時点でかなりふざけた会社でしたけど(笑)、ま、僕も12時に事務所に行くんです。事務所の奥のちゃぶ台で、らもさんが原稿用紙と一升瓶を置いてエッセーを書いてるんですけど、僕の仕事は横にいてお酌すること。

 すると「お前も飲めんのか?」と聞かれて「ハイ、飲むのは好きです」と答えたら「お前も、飲め」と。で、ずーっとお酒飲んで。らもさんが原稿書くのに疲れたら「ふんどしとかけて…」と謎かけを振られたり…。お酌と暇つぶし。それが仕事でした。

 18時になったら、また外に飲みに行くんです。で、酒も飲ませてもらい、飯も食わせてもらい…。それが1週間続きまして。

 正直、演劇もちゃんとやる気ないし「これは申し訳ない…」と思って。ある日、二人で飲んでた時に「すみません。僕、冷やかしでオーディション受けたようなもんで、劇団もどんな感じか分かったら辞めようくらいの気で来てるんで、こんなに毎日ごちそうしていただいて、申し訳ないと思って。それを言っておこうと…」と言ったんです。

 後にも先にも一回だけです。らもさんに怒られたのは。その時だけです。

 「お前、いくつや?」と聞かれて「21です」と答えました。そしたら「21で何がやりたいかなんて、分からんもんや。ここは何をやってもエエ場所やから、やりたいことが見つかったら何でもしたらエエ。その代わり、いる間は義務やと思って芝居だけ出とけ」と。

 その場では、そこまで意味も分からずに「え、そんなんでエエんやったら、いときます」と答えたんですけど、自分が歳を取るほどに、そして、らもさんが亡くなってからはより一層、なんと優しいことを言ってもらってたんやろうと思うようになりました。

 今、自分が若い子にこんな言葉をかけられるんやろうか。らもさんって、やっぱり弱いもんの味方で、社会不適合者の味方でもあった。僕もそんな人間やったんですけど「それでエエねん。それでも楽しく生きていけんねん」ということを教えてもらっていたんだなと…。

 その言葉を言ってもらってなかったら、僕は劇団にもいてなかったでしょうし、こういう仕事もしてなかった。若い時に、こういう言葉を言ってもらえる値打ち。そんな人がいてくれる値打ち。それもとんでもなく感じますね。

 さらに加えて「オレも、初めて本を出したんは30歳や。30までは何やっててもエエねん」と言われまして。えらいもんで、30過ぎたら何となく食べられるようになってたんです。そこからしばらくして、らもさんは亡くなってしまいました。

 その言葉を言われてからどんどん時間は経つんですけど、言葉はどんどん近くなるというか。劇団に入って1週間程度やったんで、僕がどんなタマなのかなんて分かってなかったはずなんですけど、ということは、全てに等しく接する。等しく感じて、等しく考える。人と、そうやって付き合ってこられたんだなと…。逆に、自分はそうやってこられたんだろうか。これからできるんだろうか。考えさせられます。

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今でも守られている

 それとね、今でも守られているなと。例えば、ドラマとかに行って、初めてお会いする方に「もともと、中島らもの劇団にいまして…」と話すと「え、君、らもさんのところにいたの!?」と相手のお顔がパッと変わることが今でもあるんです。らもさんのファンの方って、いろいろなところにいらっしゃって、そこからいい感じに仕事が進んでいく。その度に「あぁ、まだこの人に守られてるんやな」と。

 松尾貴史さんだったり、(放送作家の)鮫肌文殊さんだったり、らもさんのところにいた人たちとも集まるともなく集まってるんですけど、よくそういう話になります。「まだ守られているな」と。

恩返しとは

 恩返しですか…。受け取らないと思いますけどね。ヒエラルキーが本当に嫌いな人でしたからね。松尾さんがおっしゃってたんですけど、人生の師匠やと思っているから「師匠」と言ったら「師匠と言うな。君と僕は友だちや」と返す人やったと。なので、恩返しと感じはったら、サッとかわされそうな気はします(笑)。

 ただ、鮫肌さんから聞くところでは、絶対に面と向かって誉めてくれないけど、ずっと外では「テレビの世界では、鮫が頑張っとるからなぁ」と言ってたらしいんです。

 だとすると、僕がこういう仕事をし続けることも、らもさんは喜んでくれているんじゃないかなと。「義務で芝居だけ出とけ」と言われた僕が芝居で飯を食ってるというのも、何とも因果なもんやなとは思いますけど…。

 あと、お酒飲んでベロベロになった時に、ポソッと言ってはりました。「みんなの笑い声が、オレを生かすんや」と。要するに、みんなとワイワイ楽しく飲むだけで幸せになってるというかわいらしい人やったんですよね。

 それと、常々「オレは悲劇は書きたくない。生きてて、こんなにつらいこと、悲しいことがあんのに、なんで劇場に来て、またつらい思いをせなアカンねん。見終わって『あー、面白かった!で、どんな話やったっけ?』というシャワーみたいな芝居がしたい」と言ってはりました。

 ものすごく頭のいい人でしたから、人間のおろかさとか、社会の不条理さみたいなものを人の倍、感じてはったと思うんです。

 だからこそ、楽しい時間、みんながニコッとしている時間がどれだけ日々にあるんだろう。それも考えていただろうし、そういう時間が好きだったんだと思います。

 もともとうつ病もありましたし、いろいろつらいこともたくさんあったはずです。僕は病気のことも、全然気づきませんでしたけど…。後から考えて、しっかりうつになってたであろう時でも、フツーに横でちんちん出したりしてましたし(笑)。ま、そうやって楽しく飲む。もし、そんなことができたら、一番の恩返しになるんでしょうけどね。

(撮影・中西正男)

■山内圭哉(やまうち・たかや)

1971年10月31日生まれ、大阪府出身。幼少期から子役として活動し、84年の映画「瀬戸内少年野球団」で注目を集める。92年に故中島らもさん主宰の劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」に入団。2001年には、川下大洋、後藤ひろひとが立ち上げたユニット「Piper」に参加する。舞台、ドラマ、映画と多方面に活動し、16年にはフジテレビ「HOPE~期待ゼロの新入社員~」で「第5回コンフィデンスアワード ドラマ賞助演男優賞」を受賞する。NHK「あさが来た」、日本テレビ「獣になれない私たち」などのテレビドラマ、映画「花戦さ」「空母いぶき」「引っ越し大名!」など出演多数。アニメ業界を題材にした舞台「ハケンアニメ!」(10月12日~16日大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA TTホール、10月31日~11月14日東京・紀伊國屋ホール)にも出演する。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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