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極真空手の猛者からアーティストへ。WATARUが語る胸の内

中西正男芸能記者
歌、そして、サーフィンへの思いを語るWATARU

 極真空手の猛者という異色の経歴を持つシンガーソングライター・WATARUさん(30)。現在はプロサーファーとアーティストという日本初の“二足のわらじ”を目指しています。空手から音楽、そしてサーフィンへ。常に、強い思いを持って活動してきた自身の道のりを語りました。

日本チャンピオン

 空手は子供の頃から続けてきましたし、師範になって道場も開きたかったし、世界チャンピオンにもなりたかった。小学校の時は全日本チャンピオンになれたし、高校時代は1年から3年まで全日本で3位という感じでした。

 空手は物心つくあたりから親の影響でやらされていた状態だったんで(笑)、自分が強くなりたくて始めたわけではなかったんです。

 ただ、オレが頑張ったら、父ちゃんと母ちゃんが笑ってくれる。幸せを感じてくれる。どちらかというと、空手は自分のためというよりも、父ちゃん、母ちゃんのためにやってきた部分が大きかったですね。

 そんな中、初めて自分からやりたいと思ったのが歌とサーフィンだったんです。

空手から歌へ

 空手一筋でやってきて、高校を卒業する18歳になった。いろいろな選択肢が頭に浮かびました。それまでは空手のことだけを考えてきたけど、ふと、思ったんです。本当にこのまま空手だけをやっていく人生が良いのかと。他のことをやってもいいんじゃないかと。

 あまりにも空手ばかりをやってきたので、人生の岐路に立った時、少し休憩したい思いもあったんだと思うんです。ただ、別のことをやるといっても、いったい何をやるのか。そこで、自分でも驚くほど、スッと出てきたのが歌だったんです。

 当時は高校の先輩方が音楽ユニットを組んだりして、自分もそこに参加させてもらったりもしていたんですけど、人生の一歩として音楽を選んだのは親父の影響が大きかったと思います。

 家にはずっとギターがあったし、親父が毎日歌を聞かせてくれてたし、音楽というものが身近にあった。だからこそ、迷うことなく音楽をチョイスできた。そこは120%あると思います。

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プロサーファーとアーティスト

 サーフィンはもともと大好きで、始めたのは小学校3年の時でした。小っちゃい頃から千葉の九十九里というところに親父に連れて行ってもらったり、そういう思い出もあって海は好きだったんです。

 なので、18歳で免許を取って運転できるようになったら毎日海に行ってたし、サーフィンをしてました。

 空手はもちろん戦いだし、勝ち負けがある。でも、サーフィンは自分が気持ちよくできれば、それでいいんだろうなと。争いにしたくないというか。

 ただ、プロサーファーの資格を持って、アーティストという人は誰もいないんです。楽しみとしてサーフィンをやりながらアーティストをやっている人はたくさんいるんですけど、プロにまでなった人はいない。

 ここが空手の根性なのかもしれませんが、いないならば、自分がそこになってやろう。日本で初めての存在になる。そんな思いから、プロを目指すようになったんです。

25歳からのスタート

 歌においても、どこか空手の考えはあるのかもしれませんね。自分が本気で音楽をやりたいと思ったのは25歳なんです。遅いんですよ。正確に言うと、どうやって自分の歌を広めたらいいのかをすごく考えていたというか。

 歌への思いが強すぎて、曲は作るものの、そこからどうしたらいいのかを考えてしまうというか。一般的な流通網に乗せて、例えば、CDを作って、タワーレコードに置いてもらってという流れが良いのか。良いのかと言ったって、まずそんな流れに乗ることが非常に難しいし、いったい何をどうしたらいいのか。そんなところで、袋小路に入ってしまいまして。

 そんな中でYouTubeが注目され、ユーチューバーという存在も次々に出てきた。ナニな話、最初は「誰なの?」と思っていても、そういう人たちが世界に向けてどんどん発信をして、影響力を持ってきている。

 ゼロからのスタートでも、自らの頑張りで何かを作っていっている。その姿を見た時に「じゃあ、オレも負けてらんねぇな!」と思ったんです。そこからYouTubeで楽曲をアップするという形をとって、ありがたいことに、多くの方に見てもらえ、全国でライブができるようにもなった。このあたりの負けず嫌い感は、空手の感覚かもしれませんね(笑)。

 25歳で自分のレーベルも立ち上げて、なりふり構わずできることはやろうと。あと5年で30歳。こうやって歳を取っていって、自分が死んで灰になった時に、オレが生きていた証が残っていない。それがすごく嫌だったんです。

偽らず素直に書く

 そうやって、歌に力を注ぎこむと、当然なのかもしれませんけど、サーフィンの上達は難しくなります。音楽配信の打ち合わせをしたり、全国でライブをしたりすると、海に行く頻度はどうしても減りますしね。

 日々の陸上のトレーニングで補おうとはするんですけど、やっぱり本当に波に乗らないとうまくはならないですからね。難しい。でも、やると決めた以上はプロになる。そこは実現したいと思っています。

 先月リリースした「LIKE A BIRD」は初めて応援歌というコンセプトで曲を作りました。ただ、応援歌と言っても、どうやったら人の力になれるのか。そこはすごく考えました。悩みました。頑張っている相手に「頑張れ」と言うのはどうなんろうと思いますし。

 そこで思ったのが、今、自分は歌を歌いながらプロサーファーを目指している。自分の中では1年くらいで取れるだろうと思っていたけど、現実は全くダメで、悔しい思いばかりをしている。

 そこで悩んだり、泣いたりということを偽らず素直に書いていけば、それが同じような気持ちを持っている人に一番ストレートに通じるんじゃないかなと。結果、共感という形で応援になるのかなと思いまして。

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 いろいろ考えはしますけど、そんな時こそ、体を動かしてますね。今でも空手の道場に行っています。今はね、後輩が世界チャンピオンになったりもしているんで、悔しいなぁって思う気持ちもあるんですけどね(笑)。

 空手を辞めてから時間は経つんですけど、自分は今でも蹴りは得意で、まだキレはあるんですよ。自分で言うのもナニですけど(笑)。なので、現役とやっても、蹴りが入ったりする。そうなると、向こうもスイッチが入るというか。いきなりギアを上げて本気になるので、結果、こちらがボコボコにされるというパターンが多いんです…。

 この前、道場に行った時もスパンと上段蹴りが入ったんですけど、その時はそのまま道場を後にしたので、今は“入れ逃げ”している状態なんですよ。なので、次に道場に行ったら、とんでもなくボコボコにされるとは思います(笑)。

 ま、でも、そういった刺激も全部前向きな力に変えて、頑張っていきたいと思っています!

(撮影・中西正男)

■WATARU(わたる)

1989年2月2日生まれ。東京都出身。学生時代には、福島県空手道選手権大会軽量級優勝、全日本ジュニア空手道選手権大会の高校中量級で3位など極真空手のトップ選手として活躍。その後、ハワイを拠点に音楽を始め25歳で自身のレーベルを立ち上げる。現在プロサーファーを目指し、ジャパンプロサーフィンツアーに参加している。先月リリースされた新曲「LIKE A BIRD」は2019年ムラサキスポーツサーフィンCMソングに採用された。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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