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菅田将暉、両親で初めて明かす息子への感謝、平手打ちして泣いた日

中西正男芸能記者
父・菅生新さんと母・好身さん(撮影:大森大)

 3月2日、「第41回日本アカデミー賞」最優秀主演男優賞も受賞し、今、最も注目を集める俳優・菅田将暉さん(25)。「いったい、体がいくつあるの?」と思わせるほど、次々と話題作に出演しています。並外れた演技力はもちろんのこと、それだけ声がかかる最大の理由は、「またこの人と仕事をしたい」と相手に思わせる人間性だとも言われます。会った人の心を惹きつける魅力は、どうやって培われたのか…。父・菅生新(すごう・あらた)さん(58)と母・好身(よしみ)さん(54)に直接尋ねてみました。

しっかりと夫婦でお話しよう

 :こうやって、夫婦で取材を受けるのは初めてです。僕は昔からコンサルタントとしてテレビの仕事もさせてもらっているし、息子が世に出てからは取材を受けたりもしています。僕がしゃべると、それはどうしても僕の見方になってしまうけど、実際に息子に接しているのは母親の方が確実に多いですから。本当の現場の話というのは、圧倒的に母親が知っていますからね。

 :確かに、こうやって取材にお答えするのは初めてです。これまでは、あえて主人が前に出ることで、こちらを出さないようにしてくれていたところもありましたので。主人は講演もたくさんしますし、テレビ番組にも出ていますので、半分、公の人間というところもあると思うんですが、私は一般の人間というか…。なので、息子を皆さんに知っていただくようになって、ある日、どこでどうやって調べたのか、雑誌の記者さんから突然お電話があったりすると、「うわ、マスコミの世界みたいや!!」って妙に驚くといいますか(笑)。「本当にこんな世界があるんだ…」と。

 :いざ息子との向き合い方、育て方という話をするのであれば、母としての見方や感じ方がとても重要で、究極は、僕はしゃべらなくても、この人の話だけでいいと思っています。息子本人もラジオではしっかりと家族の話もしているし、変にコソコソすることもなく、どうせなら、一度、しっかりと夫婦でお話をしようと。

撮影:大森大
撮影:大森大

 :それが今回だったんです。

 :いっそのこと、露出してしまおうと。そして、このYahoo!ニュース個人の企画としてお話を受けたのは、ズバリ、インタビュアーの中西さんが友達だからですよ(笑)。極めてプレーンな話。数年前から親しくなって、僕がやっている経営者の例会にも来てもらったりして、どうせ話すなら、この人に、と。そら、人間の付き合いって、そういうことですからね。縁を大切に、しっかりと育むこと。それは息子たちにも教えてきたつもりです。

兄弟げんかを見たことがない

 :うちは息子3人で、「菅田将暉」になったのが長男です。次男が長男と4学年、長男と三男は7学年離れているんです。なので、小さい頃の長男は、2人の弟の面倒を本当によく見てくれる子でした。主人が自営で仕事をしているので忙しくて、帰ってくるのも遅かった。出張もある。そんな中、長男は三男をお風呂に入れたり、遊び相手をしたり、三男からしたら、小さなパパみたいな存在でした。私が長男で感動したのは、中学に入った頃、テスト期間中のことでした。夜、ふと寝室を見に行ったら、長男が右手に教科書を持ってテスト勉強をしながら、左手で三男をなでて寝かしつけていたんです。我が子ながら、よくできたお兄ちゃんだなと思いました(笑)

撮影:大森大
撮影:大森大

 :形容詞で言えば、長男はとにかく優しい子だと思います。他のおうちと違うところがあるとすれば、一つ間違いなく言えるのは、自宅出産ですね。「お産は病気じゃない。赤ちゃんのためにも、自分のためにも、自然の力に任せたいの」。妻から説得されて、結果、3人とも家で生まれました。となると、長男は次男と三男がまさにこの世に出てくるところを一部始終見ているんです。頭が見えてきたら「弟、頑張れ!」と声を上げていましたし、弟たちがどんな様子で命を授かったかを目に焼き付けている。そうなると、おのずと相手への慈愛みたいなことが出てきますから、うちは兄弟げんかをしているのを見たことがないんです。

親としてすくい上げないと

 :もちろん、いろいろなことが重なって人間はできていくものですが、それもとても大きなことだったと思います。あと、母親として、シンプルに誇らしかったのは、モテてはいたみたいです(笑)。小中学校の時、うちに友だちが遊びに来る時は、たいてい男女数人で来て、みんなでワイワイする感じでしたけど、いろいろなお母さん方に聞くと「しっかりモテてたわよ!」と。それも、年齢層が幅広かったみたいです。三男の幼稚園には当時小学校高学年だった長男が迎えに行ってくれてたんですが、長男が行ったら、保育士さんが「キャー!今の誰?」となっていたと。あと、幼稚園に送ってきたお母さんたちが、長男が小学校に登校するまで“出待ち”じゃないんですけど、通学路を歩いていくのを見てから帰っていたとか。ま、親バカど真ん中なんですが、うれしい話ではありましたね。

 :まだ背も低かったし、カッコいいよりも、かわいらしいルックスだったのかもしれませんけどね。僕が覚えているのは中学の時に福山雅治さんのコンサートを観に行ったんですが、帰る時に長男が「福山さん、気持ちよさそうやったなぁ」って言ったんです。「カッコよかった」とか普通はそっちの感覚だと思うんですけど、息子は意識が客席じゃなくて、ステージ上にあったんです。この感覚を持っていることを、親としてはすくい上げないといけないんだろな、と漠然と思ってはいました。

提供:父・新さん
提供:父・新さん

 :直接的に“舞台”ということだと、中学2年の文化祭。クラスごとの取り組みで、長男がシナリオを作って、主演しました。他にも演出、衣装、照明…といろいろなことを中心になって考えたみたいで、それをやり終えた時の達成感がすごかったという話はしてました。お芝居の中身は、アニメ「ちびまる子ちゃん」がタイムスリップしたという設定で、息子ははなわ君の役。ま、中学生がやることですから、クオリティーはそれなりだったんですけど(笑)、見ているこちらからしても一致団結して楽しそうだなぁという空気は伝わってきましたね。

突然、チャンスが飛び込んできて…

 :言わば、そこが初舞台です。それまで何もお芝居とかもやったことはなかったんですが、その頃になると、ちょいちょい、大阪・梅田のナビオ前とかで声をかけられて、スカウトの名刺をもらってくるようにはなっていました。そこでなんとなく「あ、芸能界というところもあるんだな…」と思ったのか、靴の「ABCマート」の店内に貼ってあった大手芸能事務所のオーディションに興味を持って受けに行ってました。これが決勝まではいけたんですが、最終的には賞をとるには至らずで。

 :そこで悔しさがきっかけになって、次は高校1年の時にジュノンボーイのオーディションを受けたんです。ここでも最終的に賞はもらえなかったんですが、決勝まで行ったことで事務所との面談が受けられた。そこで本格的に今の道につながっていったんです。

 :決勝までいったとはいえ賞はとっていないので、プロ野球で言ったら、ドラフト上位指名ではなく、育成枠みたいな感じで、今の事務所・トップコートに入ることになりました。その時点では正式契約ではなく、まずは、大阪にグループの演技の学校があるから、そこで勉強して、大学進学とともに本格的に活動を始めるというイメージでした。そんな中、たまたま学校が休みの期間があったんで僕が東京で仕事をするタイミングで長男もついてきて、事務所に改めてお礼を伝えに行こうと。そうしたら、マネージャーさんが「せっかくだから、あいさつ回りというか、東京にいる2日間、いろいろなところに連れて行ってきます」と言ってくれて。そこで東映に行ったら、たまたまオーディションをしていたので、飛び入り的に参加させてもらうことになり、決まったのが、なんと「仮面ライダーW」だったんです。

提供:父・新さん
提供:父・新さん

人生初の平手打ち

 :もちろんありがたいお話なんですけど、ライダーをやるかどうか、ここは本当に迷いました。

 :幸い、長男は地元の進学校に行っていて、その中でも成績がよかったし、僕のイメージでは早稲田大学に行って、大学に行きながら芸能活動もやる。そんな感じだと思っていました。僕は経済人だし、リスクヘッジというか、しっかりと大学にも行かせたかったし、大学を卒業するまでに芽が出なかったら、就職するということを考えていた。それが、いきなり「ライダー」。当たり前ですけど、ここは家族そろって悩みに悩みました。

 :マネージャーさんからは、いかにライダーがビッグチャンスかを何度も説明いただくんですけど、それは頭で分かったとしても、なかなか思い切りがつかないというか。

 :ただ、最後は「願ってもないチャンス」ということで、上京してライダーをやることを選びました。長男の住むアパートも僕が東京中歩き回って探して、一人暮らしをさせました。高校も2年で東京に転校することになったんですが、ある日、先生から連絡があったんです。「レポートが出ていない」と。そこで息子の家に行って「どういうことだ!仕事は仕事で大切やけど、学校もしっかりやると言うたやないか!」と人生初の平手打ちをしました。すると、息子が「それは分かっている。分かっているんやけど、体が動かへんねん…」と言って。深夜まで撮影があって、仮眠だけして翌朝からまた撮影。しかも、主役として、背負うものもたくさんある。「もう、ホンマに動かへんねん」と言われた時に、しんどくてサボるような子ではないのは僕が一番、分かっている。でも、親としたら、それでも頑張れということを示すところだとも思ったし、だから、平手打ちもした。でも、家族会議で最終的に決めたのは父である僕でもある。いろいろな感情が一気にあふれてきて、平手打ちの後、ボロボロ泣きました。僕も、息子も。あんなに手が痛く感じた平手打ちはありませんでした。

提供:父・新さん
提供:父・新さん

大切なのは人間性

 :そこから2、3ヵ月、経った頃でしたかね。私たちが現場に行ったのは。

 :平手打ちのことをどう息子の中で消化したのかは分かりませんが、少しずつ撮影のペースにも対応できて、なんとか余裕が出てきたのか、僕と妻を東映の撮影所に招いてくれたんです。ライダーをやり始めた時に比べたら明らかに体も大きくなっているし、スタッフさんともしっかりとしゃべっているし「ここがセットやねん。意外と狭いやろ?」と、堂々と説明をしてくる。まだ16歳でしたけど、半年でこんなに大人になるんやと。そこで胸をなでおろした感はありました。

 :やっぱり、そこでも皆さんとしっかり人間関係を築けたことが、なんとか持ちこたえられた理由じゃないかなと思います。

 :それは確実にあるやろうね。仕事の腕の良し悪しももちろんだけど、なぜ仕事が続く、すなわち、売れるのか。そこに大切なのは人間性やと。人間は「もう一回会いたい」と思う人と会うもの。実際、長男も「明石家さんまさん、ホンマにエエ人やった!」「笑福亭鶴瓶さん、すごい人やった!」と。自分の体験としても痛感する中で、その仕組みがより理解できたところはあると思います。

熱くインタビューに答える新さんと好身さん(撮影:大森大)
熱くインタビューに答える新さんと好身さん(撮影:大森大)

息子へ「ありがとう」

 :手前味噌になるかもしれませんけど、家の中で気をつけていたのは、うちは主人がいないことも多かったので「今、こうやってご飯を食べられているのはお父さんが頑張ってくれているからよ」というのを常に私が言うようにしていました。それも、フワッとした言い方ではなく、できるだけ具体的に仕事の内容も言って、子どもたちが具体的に感謝できるように心がけていました。だから、主人が講演をする時にはなるべく子どもたちも連れて行って、一番後ろの席で見せました。話している内容は分からなかったとは思いますけど、お父さんが頑張ってくれている空気を吸わせられたらなと。

 :小さな頃から、大人の世界の空気を吸わせておく。それが後々、社会に出るようになってから、何かしらの形で出てくるもんだとは思いますよね。

 :社会人はみんなそうだと思うんですけど、外では気も使うし、頭も下げる。これも、私が言ってしまうとダメなんでしょうけど、たぶん、息子はそこはできているから、お仕事がいただけているんだと思います。あと、私が教えられることは、甘えも油断もたっぷりとある家族や本当に近い人に、どこまで外と同じようにできるか。根本の命をもらっている親とか、おじいちゃん・おばあちゃんをはじめ、身内への感謝の気持ちがついつい薄れてくる。そこを今一度、認識させる。言い続けるのが母である私の役目だと思っているんです。

 :まさに感謝の連鎖やなと。感謝のラリーというか。僕らも子育てを通じてたくさんのことを教えてもらって、息子たちに感謝しているし、そこをまた息子に伝えたい。今年の正月も、長男が三男を連れまわして服をたくさん買ってやったみたいで。サラッと「お父さんもやってくれたから」と言ってましたけど、それは親としてうれしい言葉でしたね。

 :こちらこそ、「ありがとう」と思います。

 :それで言うと、昨年5月、息子が出ているフジテレビの番組に呼んでもらったんです。「明日は親孝行します」と前日に連絡はもらっていたんですけど、その番組で、僕の青春時代からの憧れ、吉田拓郎さんと会わせてもらいました。これは、もう、そら、うれしかった!ホンマに親孝行でした。ただ、僕が喜びすぎて、息子からしたら「そない、力いっぱい打ってこられても、ラリー返されへんわ…」というくらいのテンションやったのは申し訳なかったなと思います(笑)

菅田将暉(写真:田村翔/アフロ)
菅田将暉(写真:田村翔/アフロ)

■菅生新(すごう・あらた)

1959年8月8日生まれ。高知県出身。同志社大学在学中、アルバイト俳優として京都・太秦の撮影所に通い、TBS系「水戸黄門」、テレビ朝日系「暴れん坊将軍」などに出演する。大学卒業後は大手製薬会社に就職。90年、30歳で妻・好身と結婚し、独立。93年に長男(菅田将暉)、96年に次男、99年に三男が誕生する。独立後は経営コンサルタントとして多くのベンチャー企業を指導し、自身のテレビ番組「菅生新のサクセスファイター」「菅生新のビジネスハンター」なども手がける。大阪市立大学非常勤講師。昨年、著書「スゴー家の人々」を、3月21日には「成功する人はなぜ『やる気』を持ち続けられるのか」を上梓する。

■菅田将暉(すだ・まさき)

1993年2月21日生まれ。大阪府箕面市出身。トップコート所属。2008年に「第21回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でファイナリスト12人に選出され、現事務所の所属となる。09年、テレビ朝日系「仮面ライダーW」に主演し、ドラマデビュー。その後、映画「共喰い」「セトウツミ」「溺れるナイフ」「キセキ-あの日のソビト-」「帝一の國」「あゝ、荒野」「火花」などに主演。今月8日には芸術選奨の文部科学大臣賞新人賞を受賞した。また、音楽の分野でも才能を発揮し、昨年「見たこともない景色」でCDデビュー。今年に入っても2月にライブを開催し、今月21日には初アルバム「PLAY」をリリースする。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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