宮川大助・花子、漫才を憎んで、憎んで、そして愛した結婚生活41年

紫綬褒章を受章した「宮川大助・花子」

 「こんなこと、今日、初めて言います。…漫才に誘ってくれて、ありがとうございます」

 夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」の紫綬褒章受章が2日、発表された。発表に先立ち、先日、大阪市内で受章への思いを語る会見が行われた。その場で、花子が大助に語ったのが冒頭の言葉だった。

 「こんなこと、今日、初めて言います」と花子が言った段階で、大助が“食い気味”に涙を流したシーンでは「言う前から泣いて、どうすんねんな!!」という花子のツッコミとともに報道陣から大きな笑いが起こった。そこは結婚生活41年の2人。大助には、今から花子が伝えてくる内容が瞬時に分かったのだろう。それはそれで、とても感慨深い場面だった。

漫才への特別な思い

 1999年にデイリースポーツに入社し、19年ほど2人を取材してきたが、ここに至る“文脈”を考えると、花子の言葉は実に味わい深いものに思えた。

 常々、大助はこんな話をしていた。「漫才をせず、普通の夫婦でいたら、ウチは今まで1回もケンカせずにやってきたと思う。ケンカは全部、漫才から。僕が誘ったばかりにヨメさんには苦労をかけてきました」

 漫才を始めたのは結婚3年目。お笑いへの夢があきらめきれなかった大助が結婚に続き2回目の猛アタックをして、花子を妻から相方にもした。舞台上の姿からは想像もつかないが、夫婦の主導権を握っているのは完全に大助。コンビにおける頭脳も、完全に大助。大助のスパルタ指導で、夫婦漫才の第一人者になった。しかし、その道中、88年には花子が胃がん。そして、2007年には大助が脳出血という大病も患った。

漫才さえしなければ…

 昨年、結婚40周年記念イベントに先立ちインタビューした際、花子は正直な思いを吐露していた。

 「漫才のことで、何回も離婚を考えた。漫才をしていなければ、子供にももっと時間をかけてあげられただろうし、互いにもっと健康にも気遣えたかもしれません。40周年記念のイベント開催日、(2016年)4月9日になったんです。劇場(なんばグランド花月)の都合もあってこの日になったんですけど“死(4)ぬまで苦(9)しむ”。ようできた話ですわ(笑)。ただ、40年かけて、少しずつ分かってきたんです。漫才があったから、人に喜んでもらえる夫婦になれたんやと」

 そして、今回の「漫才に誘ってくれてありがとう」。大助だけではなく、会場にいた娘・紗弓の目も真っ赤になっていた。

大助の“手柄”

 大助の誕生日には、大助が花子の欲しいものを買ってあげる。それが2人のルールになっている。花子の喜ぶ姿が、大助にとってのプレゼントなのだという。

 「結婚してこれまで、僕が自分で『ようやった!』と手柄に思えるのは、たった一つ。胃がんはヨメさんに行ってしまいましたけど、脳出血は僕が引き受けることができた。それだけです」