ボケの岩尾がいたから後藤は這い上がった!

お笑いコンビ「フットボールアワー」の後藤輝基が、28歳の一般女性との婚約を発表した。

11日に収録された日本テレビ系「行列のできる法律相談所」(18日放送分)の中で電話プロポーズし、約2年の交際を実らせた形だ。

後藤といえば、もともと同番組の司会を務めていた島田紳助さんの後任として、東野幸治、「雨上がり決死隊」の宮迫博之と順番に司会を担当しているが、その、巧みな例えを用いたツッコミで、千原ジュニアと並び“スタッフが最も一緒に仕事をしてみたい芸人”との評価を得るまでになった。

しかし、ここまでの道のりは決して平たんではなかった。

冷たい視線を受けつつ

1994年、大阪NSC14期生としてお笑いの世界に入り、お笑いコンビ「後藤・天満」(のちの「エレキグラム」)を組むも、99年に解散。同年、同じくコンビ「ドレス」を解散していた同期の岩尾望と「フットボールアワー」を結成した。後藤、岩尾とも、元のコンビではボケだったが、岩尾の強烈なキャラクターを活かすべく、後藤はツッコミにまわった。

「芸人を目指す人は、基本的にボケを目指して芸人になります。プロ野球選手を目指す人が最初はエースや四番に憧れるようなもので、コンビで目立つのはボケ。なので、いざ役割転換するとなると抵抗があるものなんです。しかも『フットボールアワー』は解散してから組み直した“再婚コンビ”でもありますから、もう一つ覚悟が上乗せになっている。だからこそ、なんとしても売れるしかないという思いは強かったようです」(関西を拠点に活動する放送作家)。

実際「フットボールアワー」結成翌年の2000年、「ダウンタウン」、「ナインティナインら」を輩出した関西若手芸人の登竜門「ABCお笑い新人グランプリ」で、いきなりグランプリにあたる最優秀新人賞を受賞する。

とはいえ、当初の下馬評はほぼ最低ランクだった。当時から華があった「チュートリアル」や、深夜番組で実績を残し関西ではブレークしつつあった「ランディーズ」などが本命視される中、「いったい誰やねん?」という冷たい視線から始まったネタが、数分後には大きな拍手を生み出していた。

その後は、関西の賞レースを総なめにし、03年には「M-1グランプリ」で優勝。名前を全国にとどろかせることになる。

少しずつ時間をかけて…

それでも、やはり目立つのはボケの岩尾。本来、目立つ役回りとなるボケの中でも、この上なく芸人向きのルックスも相まって、さらに注目を集めた。コンビとしては大きな武器となったが、後藤輝基という一人のタレントとしては、自らの個性を埋没させかねない“諸刃の剣”ともなった。

「あれだけ強烈なボケがいるわけですから、後藤さんが目立つのは容易なことではない。だからこそ、岩尾さん以外の出演者へのツッコミにもどんどん斬新なフレーズが増えていき、『ひょっとしたら後藤さんだけでもいけるのでは…』という空気が少しずつ、少しずつ、時間をかけて出来上がってきました」(在阪テレビ局スタッフ)。

岩尾がいたからこそ、たどり着いた今の場所。人生の新たな“相方”を得た後藤が、今後どんな場所にたどり着くのか、大いに注目される。