水から見た社会と国土
水は社会を映す鏡
水は私たちにとって、最も大切な資源の一つです。
人間の体の半分以上は水でできていますし、地球の表面の3分の2は水でおおわれています。私たちは、地球上の限りある水を分け合い、上手に使いながら生活し、社会をかたちづくっています。
一方で、水害や渇水といった水問題は、私たちの生活を脅かす脅威でもあります。水問題は、異常気象だけでなく、急激な人口増加や不適切な開発といった社会問題を介して生じます。
この水と人との強いつながりにおいて、水は時代や地域ごとの私たちの社会の状況を色濃く反映します。水は社会を映す鏡であると呼ばれる所以です。
以下では、いくつか日本での水と社会のつながりにまつわる例を紹介したいと思います。
戦争で洪水が激化?
昨年7月に西日本全域を襲った豪雨のように、毎年のように全国で洪水が発生しています。実は日本には今以上に洪水が頻発し、毎年数百人を超える方々が亡くなった時期がありました。
図は日本の明治から現在までの水害による死者・行方不明者数と被害額を示しています。戦後の約10年間に際立ったピークがあるのが分かります。
なぜこの時期に水害が多発したのか。その原因はいくつかの指摘がされています(まだどれが一番の原因だったのかは研究者の間でも意見が分かれます)。
一つは、この時期は地球上の気候システムにおいて台風が起こりやすい時期だったという気候的な理由、二つ目は戦後という特殊な時代背景によるものです。
戦時中、木炭などの軍需物資のために大量の木々が山から切り出されました、終戦時には日本中の山々がハゲ山になっていました。この状況は当時の写真等からもうかがい知ることができます。このように荒廃した山では、降った雨は地中へ浸透しにくくなり、土砂と一緒に流れ出やすい状態となってしまいます。この状態の山々を数多くの台風が襲い、そして下流の都市で深刻な水害が生じるようになったというのが理由の一つです。
また、戦時中は国家予算の大半が軍事費へ向けられていたため、治水事業にお金をかけられず川が荒れていたことも理由の一つと言われています。
戦後、治山や治水事業が進んだこともあり水害は大幅に減少しました。しかし、近年では気候変動という新たな水害の原因が危惧されていますし、少子高齢化も山や川の管理を再び難しくすると予期されています。
日本の川も臭かった
一方、洪水より分かりやすいのは水質です。
発展途上国に行かれた方の中には、その国の川の汚さや独特な匂いに驚かれた方も少なくないと思います。ですが、そのような川の状態は、つい50年くらい前までは日本のどの都市でも見ることができました。
下水道が整備されていなかった当時(昭和30年代の東京都区部の下水道普及率は3割以下でした)、私たちが使った水のほとんどは、川や海へと直接流れ出ていました。この状況に、地方から多くの人が都市へ流入し、水を大量に使うことで、生活排水の量も急増、川や海の水質は悪化していきました。
その結果、人々は汚れた川や海をある種の迷惑施設としてみるようになっていき、中には完全に蓋をされてしまった川も全国に多数あります。その後、日本の社会が成熟するにつれ下水道が整備され、環境意識も高まり、水質や自然環境は徐々に回復してきています。
水を通して社会をみる
水は私たちが生きる社会の状況を反映して、洪水や水質の悪化といった水問題、または快適で美しい水辺空間や豊かな水資源といった価値となって現れます。
これから、皆さんとともに水を通して私たちが生きる社会を見ていきたいと思います。ここでの連載が、これからの人と水との関係を考え、持続可能な社会をつくっていくための一助になることを期待しています。