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イタリアサッカーの再開初戦に「醜く、退屈」の声も…だが、再出発は「万歳カルチョ」だ

中村大晃カルチョ・ライター
6月12日、コッパ・イタリア準決勝2ndレグのミラン戦でPKを蹴るC・ロナウド(写真:ロイター/アフロ)

PK失敗だけではない。的外れなシュートや、らしくないコントロールミスなど、イタリアでのワーストパフォーマンスのひとつに分類されてもおかしくない出来だった。クリスティアーノ・ロナウドですら、長期にわたる中断の影響があったことは想像に難くない。

6月12日、イタリアサッカー界は「ポストコロナ」へと踏み出した。シーズン再開初戦は、コッパ・イタリア準決勝セカンドレグ、ユヴェントス対ミランの“ビッグマッチ”。だが、試合は0-0のスコアレスドローに終わり、敵地での初戦で1-1と引き分けていたユーヴェが17日の決勝に駒を進めた。

前半16分にC・ロナウドがPKを失敗していなければ、そして何よりもその直後にアンテ・レビッチが不可解なカンフーキックで一発退場にならなければ、試合は違うものになっていたかもしれない。

◆予期されたことだが…

再開初戦がスコアレスとは、イタリアらしいと言えるかもしれない。ただ、再開直後から「コロナ以前」を求められないのは、ブンデスリーガを見てのとおりだ。

それでも、多くの人が待ちわびた最初の試合だっただけに、厳しい指摘も散見されている。

ユーヴェOBのマッシモ・マウロは、『レプッブリカ』で「評価は下さない。この試合を批判することはできないからだ。まったく活動できなかった3カ月を経て、言えることはあまりない」と断じた。

「展開の遅さや、プレーをつなぐのが難しかったこと、適切なタイミングの飛び出しがなかったことに文句は言えない。とんでもない。選手たちは走った。殴り合った。退場者も出た。PKもあった。そう言うと普通の試合だったように思える。だが、実際にはつくりものの試合だった」

また、ファブリツィオ・ボッカ記者も『レプッブリカ』で「醜く、退屈で、空虚なサッカーだった。だが、最も大事なのは、抗い、印象を頭の中から追いやることだ。あまりとらわれすぎないことだ」と記した。

「確かな評価を引き出すには、あまりに不正確で、不確かで、ほぼ不十分というくらいすぎた」

アンドレア・ディ・カーロ記者も、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』で「数カ月の中断を経た初戦だから、あらゆる弁護があり得る。それでも現実には、月並みよりマシ程度のショーだった」と書いている。

◆「ショーは戻ってくる」

だが、ディ・カーロ記者はコラムをこのように締めくくった。

「美しさが理由で記憶される試合ではなかった。だが、歴史は残る。カルチョが戻ってきたのだ。ビバ(万歳)、カルチョ」

同じ『ガゼッタ』で、アンドレア・マーザラ記者も「認めよう。世紀の一戦ではなかった。我々はもっと良い試合を見てきた」としたうえで、次のように続けている。

「だが、中断危機があったのだから、興奮度数が小さな0-0でも満足しよう。いや、違う。3カ月前のように再出発したことこそ、真の感動なのだ。ショーや観客はこれから戻ってくる」

◆日常への回帰は長き道のり

それがいつになるかは、まだ分からない。だが、カルチョは少しずつ日常を取り戻していくはずだ。

「醜く、退屈で、空虚」でも、イタリアらしさを感じる場面もあった。両チームに疲労の色が濃くなった終盤、ユヴェントスがとどめを刺すよりも時間をコントロールすることを選んだのもそのひとつだ。それもまた「醜く、退屈で、空虚」なのかもしれないが。

ユーヴェOBのクラウディオ・マルキージオは、試合直前に「いずれにしても、いつだって、6000万人のウイルス学者がいるより、6000万人の監督がいるほうがいい」とツイートした。

国民だれもが監督になり、バールで意見をぶつけ合う…そんなイタリアの日常を待ちわびる人は多いだろう。「ポストコロナ」のカルチョは、まだ始まったばかりだ。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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