作・著者
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コロナでぼくらは変わった。失ったものがある。得たものもある。そしてコロナは去る。早く取り戻したいものがある。戻さなくてよいものもある。

失って、戻したいもの。ライブ。ライブハウスやお笑い劇場、スポーツの試合。客を入れて、盛り上がる、ぼくらの文化を一刻も早く取り戻す。

得たもの、産んだものもある。ライブ配信やeスポーツの活況、「どうぶつの森」世界ブーム。これは遺したい。

戻したいもの。居酒屋。集って、好き好きに注文、取り分けて、飲み、食い、語り、一緒に酔う。居酒屋大国ニッポン。

得たものもある。テイクアウトやUber Eatsの活況、Zoom飲み。これも遺ればよい。

2000年前、詩人ユウェナリスは「パンとサーカス」を揶揄した。2000年たってぼくたちはリアルなパンとサーカスが禁じられ、苦しんでいる。

何に?文化に。生まれる文化があるとして、消える文化にうろたえる。はかなく消えるが、消えたら戻らない。だから守らなければ。

失業保険もきかないフリーのパフォーマー。

表現を支える照明、音響、道具。

家賃負担が乗りかかる劇場主。

芸術文化を支える人が一番の危機に直面している。

日本は文化への公的支出が先進国最低の水準で、寄付も根付いておらず、芸術文化を支える基盤が脆弱。

アニメやゲームなどポップカルチャーがお上と関係なくビジネスとして成長したため、公的なセーフティーネットがおろそかだった面もある。

新しい働き方も得た。テレワーク。かけもちオンライン会議。

失ったもの?特にあるまい。要らないことがハッキリしたものはある。満員の通勤電車。ハンコ。紙の資料。職場が変わったので大量に作った名刺は1枚も渡していない。職場にはいるけど何もしてないおじさんがオンラインで非・存在感が明るみに出ているとも聞く。要らなかったんだろう。

教育は刷新される。オンライン教育、デジタル教材、ネットでの教え合い学び合い。

マンモス教室はもう要らない。同じ教科書を使って話す授業も全国バラバラに行う必要はない。ネットに一個あればいい。だけどリアルでワークショップ的に行う授業は値打ちが増す。戻らなくていい。新しい教育を作ろう。

会社も学校も、デジタル対応の格差が現れた。25年、IT対応をサボっていた連中からの、できない言い訳も耳についた。危機に面しての泣き言だ。

オンラインの診断や薬の購入ができるようになった。薬局はFAXが中心だから難しかったという。学校もまだFAX文化だ。教育や医療はこっちの世間とズレていた。

いちばん変わったのは、みんなのおうちかもしれない。ずっと家にいて、外と映像でつながるとなると、快適にしたいし、見栄えもよくしたい。困るのは、犬だ。特にロックアウト中の海外は大型犬の散歩ができず、とてもストレスを抱えているという。それをリビングのネコが横目で見ている。ネコの天下が来そうだ。

作・著者
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「集中で密」が招いた感染。それを防ぐため、ITで「分散で疎」を心がける。コロナ後、それが定着するだろうか?数千年かけて築いた都市文明に別れを告げて、のどかな田園の文明に向かうだろうか?いや、それは幻想だろう。

分散と疎を可能とするITと交通が極度に発達するに伴い、逆に集中と密は拍車がかかった。コロナがガツンと警鐘を鳴らしたからといって、数千年の文明がすぐ逆行するとは思えない。人はまだ集積、都市集中、そしてスマートシティを求めるだろう。

ただし、オンライン率、バーチャル率は高止まりするはずだ。1割程度しかできなかったテレワークは5割程度できるようになるだろう。デジタル教育も1割程度の大学しかできなかったが、できなきゃもう潰れる。6%のeコマース率が中国並みの20%に上昇するのも遠くあるまい。

都市に住み、職住の接近or一致で、密で快適なリアル+バーチャルのコミュニケーションと、移動の自由も確保する。集中と分散、密と疎が対立項だった時代が過ぎ、リアル+バーチャルの掛け合わせで、集中と分散、密と疎を併せ持つ社会が目指される。

その上で、いつかまたくる疫病や災害に備える手段を上塗りするのだろう。ぼくらは311で災害への教訓を得て、コロナで疫病への対応策を得た。備えのレベルを下げず、受け継ぐ。

備えの意識が強まる。世界の貯蓄率が高まるだろう。企業も投資を手控えて手元流動性を高めるかもしれない。そのぶん政府は投資を促すだろう。そして重要物資を他国に頼らず、国内の自給自足を志向するだろう。インバウンド頼りの産業の足腰もリバランスしなければならない。

そのようにほんのり世の中は変わる。

新しい集中と分散、密と疎のブレンドは、いやいや仕向けられた状況ではなく、コロナを単なるきっかけとして必然的に選び取る、コロナ前より素敵な世界となるはずだ。