超人スポーツはオリパラの壁を取っ払う

リオのオリンピック、パラリンピックに次いで、来年は平昌の冬季五輪です。

オリンピアードが超人なら、パラリンピアードも超人です。

パラリンピックには、車いすや義足を使う競技も多い。障害者が用いる補助具は、障害を健常に近づける、マイナスをゼロに近づける道具。しかしもはやマイナスはプラスとなります。

ロンドン・パラリンピックの走り幅跳び金メダリスト、ドイツのマルクス・レームさんは、カタール・ドーハで行われた障害者陸上世界選手権で8m40cmを跳びました。リオ・オリンピックの金メダルは8m38cm。既にそれを超えています。オリンピックをパラリンピックが超える日が近づいています。

先駆者は両足が義足のオスカー・ピストリウスさん。2008年、スポーツ仲裁裁判所が国際陸上競技連盟の判断を覆し、ピストリウスさんが「オリンピック」に出場することを認めました。ロンドン大会で男子400mと男子4×400mリレーに出場しました。直後のパラリンピックでも100m、200m、400m、4×100mに出場。オリパラ双方に出場したのです。

そして、ピストリウスさんとレームさんの義足は、いずれもカッコいい姿として捉えられました。もはや義足はかわいそうな存在ではなく、まぶしく仰ぎ見る強者の証です。

「もはやオリとパラの壁はない。ではオリもパラも合体して一つの大会にすればいい。」

「いや待てそれは不公正だ。たとえ肉体が機械に劣ろうと、肉体のみで競う値打ちは大きい。分けるべきだ。」

「メガネは視力を補正する。目が悪い人の補助具だ。だがオリンピックでは認められる。だったら肢体の補正だっていいじゃないか。」

「いや待て視聴覚と肢体は違う。メガネはダテのファッションアイテムとなるほどの市民権を得たが、義手義足はそういう存在ではなかろう。」

やさしい議論ではありません。パラがオリを超えたら超えたで、それまで大目に見ていた柔らかい壁はより強固に塗り固められてしまうかもしれません。

レームさんはリオ大会のオリンピックに出場することを希望していましたが、OKとはならず、結局パラリンピックのみに出場しました。「政治的な事情」でレームさんが出場希望を取り下げた形ですが、規制の壁に阻まれたということです。

彼は「オリンピックとパラリンピックが完全に分かれている現在の状況を少しずつ変えることができれば、新たな可能性や希望が見えてくるのではないか」と発言しています。同意します。

しかしこの状況は、ぼくたちから見れば、パラリンピアードのほうが特権階級になったということでもあります。オリ=裸の超人と、パラ=機械の超人とを眺めてみれば、ぼくらは前者には参加できるけど、後者には参加できませんから。

オリの種目には参加の門戸は開かれているものの、超人にはなれないので出場をあきらめるのですが、パラの種目には参加もできず、そして今や一番の超人がそこにいるのです。不公平であります。

車いすバスケのように、ぼくらも参加が許されるような種目は現れてきました。けれど、レームさんのように義足になるには足を切断するしかない。切ってもいいんだけど、なんか釈然としない。

それは古代からのスポーツ、農業社会のスポーツを前提に考えているからですよね。21世紀のスポーツ、情報社会のスポーツを作りましょう。健常者も障害者も、老若男女、オリンピアンもパラリンピアンも、津々浦々、同一ルールで参加できるスポーツをスクラッチでデザインしましょう。

ドローンレース、バブルジャンパー、HADO、キャリオット、ホバークロス・・・ぼくら超人スポーツ協会が開発する種目は、いずれもオリパラの壁を取っ払おうとするものです。2020年の東京を見据えて、力を込めていきます。よろしく。