クール・ジャパン、「世間と社会」

鴻上尚史さん著「クール・ジャパン!?」。鴻上さん司会のNHKクールジャパンでは、日本ってそうなんだっけ?と思わせる場面にも出くわします。

銀座を行く人にカラオケ機で一曲たのむと、日本人はみんな歌う、外国人は歌わない、という実験のお話。ぼくも逆の結果を予想していたので、スタジオで驚きました。なぜだろう。音楽の授業が充実しているからか? 以来、シャイと自己規定していたぼくらは実はそうではないのでは、と考えています。

「ステージ」という回でも、日本人は議論や主張は苦手だけど、歌ったり演じたりする表現の敷居はとても低い、という面が明らかになりました。「ネットコミュニケーション」の回では、ネットでの発信や絵文字コミュニケーションが異常に発達していることが明らかになりました。この番組は日本人の自己認識を問いかけます。

鴻上さんは「世間と社会」という切り口で整理します。日本は世間と社会とにコミュニティやコミュニケーションが分かれる。欧米には世間がなく全てが社会。これによる行動・言動の差が生じるというもの。これでストンと落ちることも多いです。

一方、日本にはないけどいいなぁと思うことも。たとえば、デーティング・ピリオド。西洋人が本格交際するまでに何回かデートする(H含む)お試し期間のこと。これを知った時はぼくも衝撃でした。お前らそんなのアリだったのかよ。早く教えろよ。

G8でパスポート取得率が最下位は日本24%、次がアメリカ35%。「自分の国を出る必要もつもりもない国民」と鴻上さんは評します(イギリスは70%)。自らを知らなくて済む田舎者が、外からホメられて戸惑う姿をクールジャパンと呼んでいる、のかもしれません。

鴻上さんは、昨今のクールジャパン騒ぎについて「官主導の売り込み戦略に反発するのは当然」とします。同意です。この番組のおかげでクールジャパンの認識は広まった一方、官が乗り出したことで「色」がついた面はあります。これをどう考えるかもぼくらの課題。

鴻上さん「政府ができることは「場」の提供」としつつ、「クールジャパン機構が出資するTokyoOtakuModeが販売するフィギュアにどぎつい物があるという理由で、サイトから商品と写真が消えた。政府は場の提供ではなく「判断」をしている」と批判します。

そして、「これがフィギュアというアートだと胸を張って言う文化的矜持が官僚にも政治家にもない」とします。さきごろ春画展が大英博物館で成功したのに、国内では強く残る自主規制が邪魔をしている事例がありましたが、民も含めて考えるべき課題かと思います。

「演劇、映画、小説、アニメ、マンガ、ダンス・・・あらゆる分野で、客観的な立場に立って「場」を用意できる日本人プロデューサーがいない。」「ここに政府がやるべきクールジャパンの仕事がある。」御意。人材、特にプロデューサ育成が課題であり続けています。難問。

「クールジャパンを海外で展開する時に一番大切なことは、「早急に成果を求めない」ということ。」「政府はなにもしないでくれ、という人だけの世界になると、欧米・韓国の税金を使った場作りに負けてしまう。」これも御意。しかし成果を上げねば施策が打ち切られてしまう。悩ましい。

10年続いているNHKクールジャパン。外国人たちのストレートなコメントを受けつつ、クールジャパンをどうするのか、ぼくもしばし考え続けたく。みなさま、引き続き、よろしく!