とぎれとぎれの興奮

オリンピックとテレビのことを想っていて、15年前のことを思い出しました。以前にも書いたことなのですが、改めて。

シドニー五輪。女子マラソンの号砲が鳴ったのに、当時住んでいたアメリカではテレビ中継がない。ネット中継もない。頼みの綱は、日本の新聞社のサイトでした。文字でライブ中継をしてくれていました。5分おき程度に、実況を書き込んでくれていたんです。

ボストンの自宅で、パソコンの文字を読んでいました。ああニッポン女性が世界を引っ張っている。高橋尚子さんが勝つかもしれない。たまらん。涙がでる。そこで思い立ち、親戚に国際電話をかけて、「受話器をテレビの前に置いてくれ」と指示しました。

日本のテレビの実況が音で伝わってきました。回線のせいか、音がとぎれとぎれです。そのとき私は学びました。人は、大事なことを、とぎれとぎれに聞くと、異様に興奮する、ということを。高橋がんばれーっ!私はボストンからシドニーに向かって絶叫していました。

4年後、アテネ五輪。野口みずきさんが走りました。私は東京でテレビを見ていました。その後の報道によれば、高橋尚子さんはアメリカのコロラドで合宿を張っていたといいます。テレビ中継がなかったので、電話で経過を聞きながら応援したといいます。電話口で叫びながら応援したといいます。私と全く同じことをなさったのです。大興奮したといいます。

1936年、ナチスの祭典と呼ばれるベルリンオリンピック。80年近く前のこと。女子200m平泳ぎ決勝。NHK河西アナウンサーの「前畑がんばれがんばれ前畑」という絶叫を、私のおじいさんの世代はむさぼり聞いたといいます。鉱石ラジオは、とぎれとぎれだったといいます。興奮したに違いありません。

鉱石ラジオはトランジスタラジオに、そしてテレビへと進化しました。国際電話がつながるようになりました。ネットが現れ、パソコンで文字が読めるようになりました。今やスマホで世界の音声も映像も得られるようになりました。技術は、機械は、どんどん進化します。

だけど、映像がなくて音だけだったり、それもとぎれとぎれに聞こえたりすると、とても興奮する。絶叫してしまう。そんな、人と情報との関わり、目や耳と感情とのつながりというものは、80年やそこらで変わるものではありません。

いや逆に、耳をすまさなくても目をこらさなくても、トイレでも電車でも、スマホで世界のできごとが意のままに手に入れば、あんまり興奮することなんてなくなるのかもしれません。

次の東京五輪ではどうでしょう。街角の大画面を前に、みんなで大騒ぎしながら、スマホでは選手のデータをチェックする。応援メッセージを送りながら、絶叫する。東京を走るランナーたちは、みんなのメッセージをメガネディスプレイで読んでいる。

そんな具合に、2020年には、新しい楽しみ方、新しい興奮が生み出されているでしょうか。