著作権問題、随想 2

TPPでの著作権交渉。保護期間の延長問題は、ぼくはさほど深刻に受け止めていないと申し上げましたが、これに対し、「非親告罪化」は深刻だと考えます。政府はクールジャパンに力を入れていますが、日本の表現パワーはプロのクリエイター以上に、国民みんなの創造力に立脚しています。それを殺すには、国民みんなの二次創作力を削ぐことです。

その国内生態系を崩して導入するなら、アメリカが決して他国に要求しようとしない「フェアユース」をコレでもかというレベルまで同時に導入するバランス感が働くことになるでしょう。あるいは「累犯に限る」、つまり2回目からの故意の場合に限って適用するといった知恵もあり得る。ぼくは日本のユーザは非親告罪化を座して受け入れてオシマイにはならないと見ます。

TPPは多国間交渉ですし、最後は政治決断。帰結はわかりません。でも、知財のプライオリティは確保したい。農業のために知財を売るような事態だけは未来のために避けたい。にしては知財側の声が小さいんです。

同時に、話はこれっきりではない、ということも胸に留めておきたい。昨年3月、アメリカのマリア・バランテ著作権局長は保護期間が長すぎると言及しましたし、MITスローンスクールのブリニョルフソン教授も著書でその旨を表明しました。米国内の有力者から、制度のアンバランスさが指摘されているわけです。別方向の議論が生じてくる可能性もあるでしょう。

さて、著作権政策に関するお話、最初の問題意識に立ち返ります。物事を解決するアプローチのことです。まず「行政」が著作権「制度」で解決するという手法について。

著作権行政では、権利側と利用側の利害を調整するスタイルがとられます。文化審議会の場で、延々と時間をかけて意見調整が図られます。これはそもそもムリだろうと思います。著作権ルールが生煮えで、互いの土地が柔らかい時期はよかったかもしれませんが、時間をかけてあれこれ努力した結果、しきたりはできあがり、地面は硬くなっていて、それをさらに個別に掘り返して線引を変えるなんて、小さな案件でもコストがかかります。

ぼくが通信や電波の行政に身を置いていたからそう感じるのかもしれません。その世界では、たとえNTTやKDDIやソフトバンクが猛反対しても、実施すべきと考えれば総務大臣は断固決定するからです。無論ユーザが反対しても決断することもあります。それらが実行できるかどうかは政治=国会を舞台に力勝負となりますが、行政の決定は大臣の意思として行います。

著作権行政はコンセンサス行政が基本です。だからまどろっこしい。それなら民民の契約に委ねるスキームとするか、司法に判定してもらうか、立法で多数決取ってもらうか。そのほうがよくね?というケースが増えています。

(つづく)