感想文「テレビジョンは状況である」

重延浩テレビマンユニオン会長著「テレビジョンは状況である」。テレビ史であり、文化史であり、それに挑戦した経営論であり、デジタル論であり、メディアに関わるみんなの必読書です。

テレビ60年で挙げた歴史事象のうち、皇太子殿下ご成婚を除き、東京五輪、金嬉老、月面着陸、三島割腹からベルリンの壁、麻原逮捕、9.11、3.11まで、ほぼ全て同時体験できたぼくは幸運でした。自分史として捉え直す視点をいただきました。

重延さんは、テレビが自由な「放送の時代」から、80年代に産業化され視聴率主義の「構造の時代」に移ったとし、テレビマンユニオンがその構造自体に挑戦したことを描きます。それは実に挑戦的に映ります。構造の時代は個の表現が複数の表現に変わったといいます。日本テレビ土屋敏男さんのいう「個の狂気」が失われていった時期と符合します。

制作秘話が面白い。重延さんがレニ・リーフェンシュタールを東京に招いた番組。羽田に孫基禎さん(ベルリン五輪マラソン金メダリスト)が来て挨拶して去ったという話に驚きました。そのネタだけで1時間シンポが開けそうです。

ジャンヌ・モローを口説いて三時間の「印象派」なる番組を作った話もすごい。見たい。81年、重延さん 40歳といいます。大きい仕事を若いうちにしないといけないと思わせます。85年に重延さんがMITメディアラボに行き、ネグロポンテやミンスキーに取材した話。できたばかりのラボだ。その映像、みたいなあ。

重延さんのメディア論と政策論には耳が傾きます。デジタルの4文字は、中世の次の時代をルネサンスとした5文字の大改革に匹敵する、と指摘します。ぼくもデジタルは産業革命になぞらえるより、文明変革と並べる方が本質が見えると思います。

さらに、ジョブスが「テレビをオンにするときは自分の脳をオフにしたい、コンピュータで仕事をするときは脳をオンにしたい」とした正論への悔しさ、それを乗り越える方法論を模索しています。それが本書の狙いでしょう。

米フィンシンルール、英の外部制作ルール、仏のTVから制作者への資金還元制度など、放送・制作分離策に対し、日本の放送二次利用の低さを指摘しつつ、それを超える新環境の到来も予知しています。ぼくもそこに期待します。

ただ、新時代のツールから発想するのは本当のメディア論ではないとし、人間の所産であるメディアを「個」に帰して捉えています。テレビが再生するには人とソフト、なのでしょう。

重延さんは、デジタルエイジには技術と産業はあれど、革命も戦争もなく、放置されて社会が変貌しているとみています。だがそこに新未来論をみるとも言います。その新未来論、もっとつきつめてみたいと思います。