感想文「情報覇権と帝国日本」

有山輝雄東京経済大学教授「情報覇権と帝国日本」。開国から欧州の電信への依存、不平等条件の打開、通信覇権主義への参加、壮絶な挫折までを膨大な資料をもとに描く1・2巻計1113ページ。本書は、通信設備と通信社の整備の両面を同格に追う。インフラとコンテンツ、ハードとソフトの両面にわたる輸入、整備、自立、進出の夢。電気通信の普及と帝国主義・覇権主義との深い関わりを描く大著。

江戸末期の開国後、海外との電信は長い間、通信ハードはデンマークの大北電信会社に、情報ソフトはイギリスのロイターに握られていました。帝国主義に遅れて窓を開けた日本として左右できる部分は少なく、それを是正することに対する先人の涙ぐましい努力に頭が下がります。

明治維新、日清・日露、一次大戦を経て、軍事・安保機構としての通信システムの重要性が高まっていったことが資料から浮き彫りにされます。一次大戦後、欧州の国家主義に対してアメリカが国際主義を標榜し、通信でも旧秩序に対抗したのは当然のヘゲモニー争い。その狭間で、中国ナショナリズムの台頭もあって、日本が右往左往したのはやむを得まい。

本書の整理によって、1920年代の通信ヘゲモニーを巡る調整と意思決定は、逓信大臣・外務大臣・首相による高次な政治判断の連続であったことがわかります。今のIT・知財政策にそれだけの覚悟とプライオリティーがあるでしょうか。

海外への情報発信面では、明治期はゼロに等しく、満州事変で情報戦・宣伝戦の重要性に目覚めながら、備えなく敗北。そこから力を入れたとあるが、現在に至るまで成功しているとは言えまい。

一次大戦後、世界新聞専門家会議が開かれたのは、拡充し強大化するインフラ(ハード)に対する国際的なコンテンツ(ソフト)及び大ユーザのカウンター。料金引き下げやニュース所有権を求めたのは、現在のネットのコスト条件や知財の問題と符合します。

そうした100年近く前のハードとソフトの調整は、現在も参考になります。映像、音楽、書籍などに分断されたコンテンツは、大ユーザとしてまとまってネットに対し意向を要請すべきでしょう。そしてその相手は、欧米列強ではなく、Google、Apple、Amazon、Facebook。

ロイターの東アジア独占から1933年に契約が自由化されるまで、日本は開国から80年間、海外への情報発信権が縛られていました。国力を増強する過程でいかに対外発信に苦労したかは知っておいていいでしょう。

そもそも通信政策はなぜ存在するのでしょうか。淵源はこうした国際戦略にあると考えます。auやソフトバンクを規制しながらGoogleを非規制にしている現在の通信政策は、必要かつ正当なのか。根本的に整理すべきと思います。