浜野保樹さんとマルチメディア

2014年1月3日、浜野保樹東大名誉教授が亡くなりました。享年62歳、若すぎます。

初めて浜野さんにお目にかかった92年、私は郵政省でコンテンツ政策を立ち上げる画策をしていました。80年代のニューメディアブームが過ぎ、アナログからデジタルへの移行が話題となっていたころです。映画、テレビ、書籍、音楽、ゲーム、いろんな情報がデジタルに転換し、コンピュータや通信・放送メディアで利用されるようになる。その政策を立ち上げたいと浜野さんに相談しました。

それが「メディア・ソフト研究会」。コンテンツという言葉がまだなく、造語でした。全家庭が高速回線で結ばれるコンテンツ像を描こうとするものでした。高速といっても当時はせいぜい1.5Mbps専用線。インターネットも登場していません。

浜野さんは、そのマルチメディア委員長。テレビや電話やワープロに代わり、1台で全てを処理するマルチメディア=PCに集約され、アナログの通信・放送網も1本のデジタル網に統合される。その委員会の報告は、世界初のデジタル(CD-ROM)でした。すると海外からたくさん問い合わせが入って、役所は大騒ぎになりました。予算措置をせず、ぼくらがゲリラでやってたからです。

浜野さんはインターネット推進や通信・放送融合の急先鋒で、商用化前のブロードバンドを田舎の有線放送電話で仕掛けようとしたり、タブーとされていた地デジの構想をぶちあげてみたり、それらをぼくと政策として仕掛けてはバレて、物議をかもすことも多数でした。浜野さんは師匠であり、戦友です。

すんなり政策が進んだわけではありません。通信・放送融合は省内でも反対は強くタブー視されていました。ところが研究会の報告をもとに、関西学研都市で光ファイバーを用いた実験予算30億円が認められ、反対していた放送行政局が了解、融合論議ができるようになったのです。

ブロードバンドの推進、デジタル放送の推進にも骨を折られました。時間がたちました。浜野さんが展望したマルチメディアは完成しました。コンピュータもインターネットもデジタル放送も普及しました。そして時代はその次、マルチスクリーンでクラウドでソーシャルへと移行しました。しかし、これからどうなるのか、どうするのかの展望は描けていません。夢多きおじさんは少なくなり、明日のビジネスに汲々としている。

このあたりで、次の展望を描く挑戦を、若い方々にしていただきたく、その場を作ろうと思います。浜野さんには遠くからそれを見守っていただければ幸いです。