デジタル教科書にサンセイのハンタイなのだ

デジタル教科書を推進する運動を始めて3年半。ここにきて改めて反対論を目にするようになりました。恐らく、推進モードが加速し、現実に広がりつつある現状に、それまであまり感心のなかった層も議論に参加し始めたということかと思います。

ただ、議論はずいぶん錯綜しています。ぼくの現状認識は以下のとおりです。

1) 韓国シンガポール始め各国が今年から来年に一人一台環境を整えるのに対し日本は7人に1台が現状。政府目標は2020年。ぼくらが急げと言ってるのはここで、「教材」もそれにつれて拡充していく。

2) 「教科書」はまだ開発・実証段階だが、本格導入するにはデジタルを正規版扱いするよう3法の改正が必要で、もう少し時間がかかる。

3) 情報化の実証は各国で進んでおり、日本では文科省・総務省、海外事例はApple、マイクロソフトらの報告をチェックすればよい。

4) ただし紙・鉛筆をデジタルに置き換えよというものではなく、紙・鉛筆+デジタル。紙がよい効果のある学習はそれを続ければよく、デジタルが威力を発揮する学習はデジタルで。しかし反デジタルの方々は対立項に持ち込もうとする。

5) 従来、実証の成果を待って進めるというのが国(というか財務省)のスタンスだったが、実証を「進めつつ」推進という政策転換が昨年行われた。実証と推進の同時並行。これはアナログの教育が今も実証と推進を同時並行しているのと同じ。

6) 実証は必要だが、実証の成果を「待って」いたら100年たっても導入はできない。社会全般も、子どもの暮らしも、海外の教育もみなITを利用する中で、導入に反対するかたには「導入しないメリット」を実証する責任が生じていると思う。

これに対し、反対派との議論になるのですが、根本的な情勢認識の違いがあり、うまくかみ合いません。

反対派は、デジタル教育の進展に社会的なコンセンサスがなく、だから社会の了解を得るために賛成派は実証や検証をする義務があると考えているのですが、 (賛成派全体ではなく)ぼくは、国際社会や日本政府・自治体はもうコンセンサスに基づいて決定を下しており、逆に反対派が実証や検証で不当性を示さないと いけなくなっていると考えているのです。

デジタル教育推進はぼくらの横暴という声がありますが、政府決定にまで至っているのは、世界の先生、研究者、保護者、企業、官僚、政治家らの努力が積み上がったものだと考えます。ぼくはハネ上がりのスピーカに過ぎません。

各国が推進し日本も政府決定した中で、このままでは実証+実現に向かいます。だから反対派は、その理由をデータで科学的に実証して止めるべき状況なのです。が、その努力はみられません。かつての子どもケータイ禁止論にあったように出会い系など警察の実害データが示したような実証がいるのではないでしょうか。

反対論でも、田原総一朗さんの「画一的になる」という意見、田中真紀子さんの「読まなくなる」という意見には明確に反論しました。誤認ですので。でも多くの反対派による「懸念」には反論してきませんでした。それはただの「不安」だから。不安は反証しても解消しません。

デジタル教育を向上させる研究は必要です。紙と鉛筆のアナログ授業を向上させる研究が今なお世界中で行われているように、デジタルの研究もあと100年以上必要でしょう。

でも、デジタルを導入するかどうかの判断は別。それは「政治決断」の問題。まずは徐々に使わせて、時間をかけて改善していく、それでよいのではないでしょうか。