「みんな」の時代の「ひとり」を生むには

みんなの時代が来ました。

2006年末、TIME誌はパーソン・オブ・ザ・イヤーを「You」とし、表紙にPCと鏡を掲載しました。鏡に映る読者一人ひとりがデジタルの力で威力を発揮する、だれもが主役になる時代。当時それはWeb2.0などと呼ばれました。

その後、ソーシャルメディアが爆発的に普及しました。みんながつながって、みんなの声が社会に直接の影響を及ぼすようになりました。米大統領選を左右し、アラブの春をもたらし、ロンドン、NYCなど各都市の暴動を演出しました。

日本はその「みんな力」「ソーシャル力」の高さを示してもいます。バルス祭りでツイート世界記録を達成して世界を驚かせました。初音ミクという、みんなが作ったり描いたり、演奏してみたり踊ってみたりしながらソーシャルメディア上で育てたスターがロンドン五輪の開幕式を飾る国際アンケートの1位を獲ったりします。シスコが今年2月に発表した調査結果では、日本のモバイルユーザが発信するデータ量は世界平均の5倍で断トツ1位だそうです。

みんなの時代は、日本のチャンス、かもしれません。その力を維持し、発展させるべきです。 社会全体の底上げ、を図るべきです。

一方、テレビが面白くなくなった、といいます。いろんな事情があるでしょう。でも、個がフルスイングする環境でなくなってきたことが大きな原因でしょう。

先日、日テレの土屋敏男さんが、コンテンツに必要なのは「個の狂気」だと断じていました。コンテンツの魅力が欠けてきたのは、個が、狂気が、薄まっているせいもあるかもしれません。みんな、の中に、個が埋没しているのかもしれません。

みんなの力では、できない。「ひとり」のもつパワーだけが突破できる、未知の空間。クリエイターは、その魅力に引き寄せられて、創る。

みんなの底上げは、教育の領域です。でもウルトラな「ひとり」を生むにはどうすればいいんでしょう。ウルトラな「ひとり」がフルスイングできるようにするにはどうすればいいんでしょう。対策はあり得るんでしょうか。

政府が唱えるように、高度コンテンツ人財を生むために、高等教育を整備する、コンテンツの制作を教える機関を充実することで、個の狂気が充満するか。そうは思えません。作れる「ひとり」は増えるでしょうけど、爆発する「ひとり」は別ルートから生まれそうです。

ではどうする。わかりません。わかりませんが、新しい表現のジャンルを創り出してしまうほどの「ひとり」が生まれてくるのは、何らかの環境や土壌、何らかの環境の条件があるのではないかという気がします。

近代絵画での印象派の出現。ファッション界でのココ・シャネル。映画でのゴダール。ポップミュージックでのビートルズやセックスピストルズ。マンガでの手塚治虫、つげ義春、大友克洋。ゲームでの宮本茂。

そのジャンルの本場で、それまでに出来上がり膠着した表現様式を、ぺろんとひっくり返して新ジャンルを生み出す、つまりパンクですが、そういう「ひとりひとり」が生まれてくる条件ってのが、ありはしまいか。

ソーシャルメディア時代のパンク、それはまずフェイスブックやツイッターやLINEを生み出したメディアイノベーターたちが当てはまるわけですが、その上での新しい表現を打ち立てる「ひとり」ってのはどういう人が、どこから生まれてくるんですかね。

「みんな」の時代の「ひとり」を生む算段、それをこれから考えてみたいと思います。